第九章 フェリアの書2
「それで、あんなに怒っていたのね」
街で一番おしゃれなカフェテリアで、レイサンダーとアンヌ、マヤはテーブルを囲んでいた。いつもは若い娘たちでにぎわっているが、今日は静かだ。
紅茶にマドレーヌを飲み食いしながら、アンヌは激怒の理由をレイサンダーに聞かせた。
アンヌは踊り子でもある。
彼女は刺繍師の才能には恵まれなかった。器用でセンスもあるのに、魔力が足りなかったのだ。本来ならば長女のアンヌが刺繍師を継ぐはずだった。
アンヌのコンプレックスを払拭したのが、踊りだった。
春祭りの踊り子に選ばれた十四歳の時に生き生きと舞って、自信を身につけた。それまでいじけた少女だったが、溜め込んでいた激情を発散するかのように、アンヌは活発な性格になった。少々、はねっ返りすぎるが。
踊り子たちのリーダーも務めていて、週に一度、舞踏教室で先生もしている。
踊り子たちにとって、春祭りは命そのものだ。
春祭りのために、懸命に練習してきた。
必死に稽古して、叱られて泣いて、それでも踊って。すべては春祭り、フェリア女神に捧げるため、そして自分が輝くために。
「彼女が、どれだけ泣いたか」
アンヌは頬杖をついて、呟く。
「あたしは厳しくあの子に稽古をつけたわ。頬を叩いたこともある。あの子はよく泣いた、そしてよく踊った。……今年は、彼女の祭りだったのよ。エルダ、今年は彼女が主役だった」
アンヌは感傷的に言った。
エルダはアンヌが才能を認めた、新しい踊り子のリーダーだ。今年はそのお披露目で、中心になって踊るはずだった。
アンヌは彼女の補佐の踊りをつとめ、今後は舞踏教室の専念する予定だ。
マヤもエルダをよく知っている。
小鹿のような大きな目をして、いつも細い体を怯えているように震わせて、話すときは聞き取りにくいほど小声だった。しかし踊ると目が光り、長い手足を力の限り動かして、生命力を溢れさせた。彼女は魂で踊れる。そんな踊り子は、なかなかいない。屈指の才能である。
「……あたしさぁ、思ったんだけどね」
レイサンダーがテーブルに肘をつき、両手を組んで言った。
「やっちゃえばいいじゃない。お祭り」
レイサンダーが微笑む。
「やっちゃう?」
アンヌが問い返す。
「そう、あたしたち、お祭りやりたい人たち集めてさ、やっちゃおう。だってあたし、すごくお祭り楽しみにして来たの! 見たいの、アンヌの踊りもマヤの刺繍も、エルダも、ぜーんぶ見たいの!」
レイサンダーがテーブルをどん、と叩いた。ウェイトレスがびっくりした顔で、こちらを見る。
ごめんなさい、と謝りながらレイサンダーは気取った顔で前髪を整えた。
あっはははっ、とアンヌが笑う。
「あんた、いいこと言うね。そうさ、やっちゃえばいいんだよ」
レイサンダーに顔を近づけて、アンヌがにたりと笑う。
「女は戦争が嫌いよ。好きな男と離れるなんて、まっぴらごめん。それに女は強い、兵士の野郎どもなんか、怖くないよ。憲兵の目を盗んでさ、準備してやっちゃおう」
アンヌがマヤの肩を抱き寄せ、レイサンダーに顔を近づけてささやく。
「うん、やっちゃおう。あたし、ボディーガードになってあげる」
レイサンダーがウインクした。
「ほんと? 心強い。マヤ、あんた、どうする? 乗る? 乗らない?」
厳しい目で、アンヌが迫ってくる。
指が腫れあがるほど刺繍した。その作品が春の太陽を浴びないなんて、耐えられない。
「もちろん、賛成」
マヤは笑った。
「オッケー、楽しくなりそう」
レイサンダーがアンヌとマヤの手を握りしめ、満面の笑みを浮かべた。
※
紺色のマントが、春風でふくらむ。
いつも漆黒の服を着ていたアグノスが、色のついた服を着ている。
「春用ですか?」
ユーリは隣を歩くアグノスを見上げて言った。
「……新調した」
「ルルディにアグノスさんは紺色が似合いますーって言われて、買ったんだよ」
すかさず、レジスが補足を入れる。
「へぇ、アグノスさんって単純なところもあるんだな」
にやにやと笑い、リュカが言う。
アグノスはむっつりと黙りこむ。ユーリは少し笑った。
「あの、ルルディにも、僕の正体を明かしてもいいですか? 今回の作戦は、ルルディとマヤの力が必要ですから……それに、僕は祭りに参加したい」
色鮮やかな刺繍のエプロン、躍動するレースのフレアスカート。ユーリの憧れだ。
「あぁ……いいだろう。ただし、ルルディには我々の動きは伏せていてもらいたい」
アグノスが重々しく答える。
「いっそ、ルルディにすべてを話しては?」
レジスが提案したが、アグノスは首を横に振った。
「いや、俺は彼女には知って欲しくない」
アグノスの想いは頑ななようだ。
彼の気持ちも分からなくはない。しかし。ユーリはいずれ真実がルルディに伝わると予感していた。それはアグノスの口から、彼女は聞きたいのではないだろうか。考えるが、ユーリは口にしない。
「……いずれ、バレるけどな」
リュカがぼそりと、言った。




