第八話 エラティスの書1
髪を切り捨てた日に、別人になれたと思った。深刻な情況なのに「王女」という拘束から抜け出せたことに、喜びを感じていた。
けれど、ユーリの少女は消えていなかった。
リュカの驚いた目を受け止める。あんぐりと口を開いたマヌケ面に、悪態をつきたいのに言葉が出てこない。
「……王女様……え、このユーリが? これが?」
リュカが指差してきた。
「そうだよ。リュカはまず、今までの失礼な言動を謝るべきかな」
レジスがいらないことを言う。ユーリは視線をそらし、黙り込む。
「いやいやいや、嘘だ! レジス先生、この期に及んでまでオレを騙すつもりかよ!」
リュカがレジスに怒鳴った。
「む、僕をそんな人間だとでも? ユーリは本当にユリア王女様だよ。君こそ、物分りが悪すぎ! だいたい君ねえ、貴族に対して態度悪すぎだよ、魔術書作家は貴族から援助を受けて今の立場があるんだよ、敬うことを知りたまえ!」
「知らんよ、そんなん! そもそも、向こうがオレに敵意向けてきたの! いくら美形で貴族でもオレは同じ年の男は敬わない!
「まったく、君はそういう所がダメなんだよ。柔軟に考えないと。それにユーリはあんなにきれいなのに、女好きの君が少女であることを見破れなかったことにも、師匠としてがっかりだ!」
「がっかりしてるのは、こっちだ! あ、あんな……あんな色気のない女が王女なんて、オレは信じたくないんだー!」
リュカが叫ぶ。
もう耐えられない。ユーリはリュカの後頭部を殴った。いってぇ! と頭をおさえてリュカが崩れる。
「殴った! こいつ、殴ったよ。王女様が善良な国民を殴っていいのかよ!」
「君のどこが善良な市民だ! 目の前にいる人間をさんざんこき下ろしといて! あのね……僕が」
言いかけて、ユーリは深呼吸した。リュカに合わせてバカになってはいけない。
ユーリは一度目を閉じて、すっと息を吸い込み「ユリア」を呼び戻した。
「私がユリア王女です。王の始めようとする戦争を阻止するため城を出て、ユーリと身分を偽り生活して
いました」
リュカが目を丸くしている。
「今まで騙してごめんなさい、リュカさん。けれどあなたのお陰で少年らしく、自然に振舞うコツがつかめたのよ。あなたの真似を少しだけすることで。私にご協力してくださること、感謝しますわ」
ユリアは腹の下で手を合わせ、一礼した。
リュカは開いていた口を閉じ、目を伏せてうつむく。ゆっくりと立ち上がるとユリアの前に来て、膝をついた。
「今までのご無礼をどうぞお許しください。私、リュカは王女ユリア様に忠誠を誓います」
自分の目線より下ったリュカが、大きく見えた。彼の細いうなじから広い肩幅にかけて、目でたどる。
これからは同性としてではない、付き合いが始まる。
少年と少女、国民と女王。リュカと自分との違いをありありと目にした。
リュカと友達でいたかった。短い夢を見ていた。
「……って、これでいい?」
立ち上がってリュカが言った。少し照れている横顔をユリアは切なく見つめた。
*
最近、踏み台の出番がない。アグノスがいるからだ。彼に本を渡せば、手の届かない所でも本を収納してくれる。
「今日はジャンジャークッキーだ」
午後の休憩に、アグノスが紅茶とクッキーを出してくれた。ありがとうございます、とお礼を言ってお茶とクッキーを頂く。
アグノスが魔術書店エンスティクトに居ることは、当然となった。
その代わり、ガラマお爺さんがいない日が多くなった。腰が痛いと一日中、ベッドで過ごすこともある。
日常の変化に、ルルディは不安を抱いている。
アグノスの焼いてくれたクッキーは美味しい。彼が黙って隣にいるだけで安心する。
だけど胸がちくりと痛い。これは何だろう。
「ルルディ……俺は、頼りないか?」
アグノスが尋ねてきた。
彼は真剣な顔をしていた。悩んでいる顔だった。
「いいえ! アグノスさんのお陰で、すごく助かっていますよ。頼りないなんて、そんなこと、考えたことないです。むしろ頼もしいですよ」
ルルディは明るい声を出して、笑った。
アグノスも微笑む。
「そうか、ありがとう。俺はガラマ賢人ほどの経験値と知識はない……しかし、いつでも頼って欲しい。俺に遠慮してくれるな、ルルディ」
優しい微笑と声に、ルルディの胸のちくりはひどくなった。締め付けられるようで苦しく、だけど嬉しい。頭にぽっと熱が灯る。
「はい、ありがとうございます。正直、不安なことはあります……でも、あたしは一人ではないですから、心強いです」
ガラマお爺さんとアグノス、レジスとリュカ、マヤ。この街には知り合いが何人もいる。
「何があっても俺が守る。大丈夫だ」
アグノスがそっと肩に置いてくれた手はとても大きかった。ルルディの胸の高鳴りもまた、大きな音をたてた。
*
客は花束を抱えていた。
カトレアのピンク色の花弁に負けぬほど、客は華やかな容姿をしている。紺色のコートに、若草色のマフラーを巻いている。編み目の凝ったマフラーは手編みだろう。
金髪に碧眼の美しい青年は、不思議そうに店内を見渡した。
「こんにちは、いらっしゃいませ。どのような魔術書をお探しですか?」
ルルディが話しかけると、青年はゆっくりと瞬きをして、見つめ返してきた。表情のない整った顔は人形のようだ。
「僕が魔術書なのです」
平坦な声で彼は言った。
「初めまして。僕はオルストル家当主、ルービー・オルストルの魔術書エラティスと申します」
エラティスが頭を下げた。
オルストルは上客の伯爵家だ。
執事とは顔見知りだが、当主は病で臥せっているため会ったことがない。ガラマお爺さんからは「恩人」だと聞いている。
それにしても、魔術書が魔術書店に来るとは珍しい。
「初めまして、私は魔術書師見習いのルルディです。あの、今日はどういったご用件でしょうか?」
「恋心を教えてくれる魔術書はありますか?」
エラティスの用件に、ルルディは首を傾げる。
「恋心、ですか?」
「はい。僕はルービー様のために、恋心を知りたいのです」
エラティスは花束を抱きしめて、淡々と言った。
ルルディは彼の願いに、戸惑った。




