第七話 ベーゼの書3
ミーアは魔術書店エンスティクトの前を、行ったり来たりしている。昼間ならいつでもいいよ、とガラマ賢人は快く言ってくれたが、甘えても良いものか。それに多忙時に行っては迷惑だろうし、何時頃に行けば良いのだろう。二時ちょうどに来てみたものの、いざとなると気が引けてミーアは二の足を踏む。
「こんにちは、ミーアさん!」
エンスティクトの扉が開き、ルルディが出てきた。驚いたミーアを見て、首をかしげる。
「すいません! あ、あの、今、お時間よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
ルルディは微笑み、ミーアを中に入れてくれた。凍えた体に温もりが染み渡る。
「すいません、お邪魔します」
「そんなに気を遣わんでも。気軽に来てくれていいんだよ」
ぺこぺこと頭を下げるミーアに、ガラマ賢人は優しく声をかけてくれた。書店の前で迷っていたことが知られていたかと、恥ずかしくなる。
応接間のソファーに座り、ほっと息を吐く。 入る前は緊張していたが入ってしまえば、くつろいだ気持ちになれた。
ルルディがベーゼを連れてきた。彼はまだミーアに警戒の目を向けている。人慣れしない野良猫みたいな目だ。発言と態度に気をつけなければ。一言でもベーゼを傷つけることがあったら、信頼関係は決して持てないだろう。
「ベーゼさん。お会いできて、嬉しいです」
ベーゼは軽くうなずき、目を逸らす。ソファーの上に足を乗せて、小さく丸まるように座っている。そうしていると臆病な子供のようで、番人の書には見えなかった。
「どうも、おかしい。ガラマはすべて話して良いと言ったが、あんたは信用できるのか?」
ベーゼに質問されてミーアは戸惑う。
「あの、私ってすごく頼りないですよね……けれど、秘密は絶対に守りますから!」
断言して、ミーアは無理に口角を持ち上げて胸を張った。言い切ってから不安になって背中に汗が流れる。
「……うん。わかった。でも、何から話せばいいだろう」
「順番に話すのがいいと思うわ。ガラマお爺さんが、あなたを書いた日のこと」
ルルディが合いの手を入れる。
ベーゼは言葉を探すように瞳をさ迷わせてから、ふっと息を吐いた。
「……ガラマは親友が焼身自殺した日に、おれを書いたんだ。一晩で。ガラマは親友の死を悲しみ、そして怒っていた。なんで死んだのかと」
ベーゼは目を伏せて語りだした。
雪の日だった。真っ白の中で燃えていた赤い火。魔術書作家の親友は、絶望していた。魔術書を盗みに入った強盗に、妻と子が殺された。犯人はすぐに捕まり牢獄に入れられた。 親友の心は深い憎しみに落ちた。ガラマも犯人を憎んだ。
「親友は殺人者に復讐をしようと、人を殺す死神の書を書いた。ガラマはそれを見つけて、親友をとがめた。人を殺す本は書いてはいけないって。ガラマは彼から死神の書を奪った。その直後に」
ミーアは両の手を握り合わせた。
「親友は焼身自殺した。真っ黒こげの死体は、抗議するように大口を開けていた」
死神の書を奪ったことが自殺の引き金となったのか。親友が死に際に何を考えていたのか、永遠に知る人は出てこない。ガラマは自分を責めた、そして親友も同じぐらい責めた。
「おれが初めて見たガラマは、今の穏やかさから想像もできない、激しい顔をしていた。優しいじいさんじゃなかったよ。書き上げられてすぐに、おれはガラマに命じられた」
死神の書を封印しろ、と。
ベーゼには生まれながら、その方法が分かった。体の中に死神の書を封印したベーゼを見て、ガラマは一筋の涙を流したそうだ。
死神の書をベーゼは守ってきた。
「おれはリトと呼んでいる」
ベーゼが胸に手を当てて、自分の中を見つめるように視線を下げた。
「人を殺したことがない死神……リトはちいさい子供の声で、おれに話しかけるんだ。リト……リトは……おれが守ってやらないと」
眠たそうにベーゼは目を閉じた。体を丸めて膝に額をつける。彼の様子を見て、ルルディは目を細める。
「ごめんなさい、ミーアさん。彼は疲れてしまったようです」
「そうみたいですね。ベーゼさん、ありがとうございました」
ルルディの肩を借りて立ち上がったベーゼは、かすかにうなずいた。小さな頭を揺らしながら、ベーゼがルルディの手を借りて歩いていく。
応接室に一人取り残されたミーアは、話を頭の中で整理した。ガラマ賢人の悲しい過去を知ってしまった。ベーゼの言った激しい顔が、まったく想像できない。
死神の書を封印しなければならなかった。
ガラマ賢人の覚悟を思う。世に出してはならぬ禁書を燃やしてしまわず、なぜガラマはベーゼの中に封印したのだろう。
ルルディが戻ってきたので、ミーアは疑問を口にした。彼女も同じことを考えていたらしく、深くうなずいた。二人でガラマ賢人に尋ねることにした。
辛い思い出に、ミーアは恐る恐る触れた。
ガラマは賢人らしく、冷静だ。
「燃やすことができませんでした。死神の書には、憎しみと悲しみの深い業があるのです。封印という手段しかありませんでした」
ガラマは遠くを見た。書店はもう閉められて、ドアにはカーテンがかかっている。薄暗い店内に沈黙が流れる。
「あの、どうして私にベーゼさんを会わせてくださったのですか? こんな重大な秘密を、私は知る権利があったのでしょうか……」
あまりにも重い真実に胸が詰まる。正直なところ、知りたくなかった。もう知る前の自分には戻れない。魔術書の暗い側面を見せられて、もう甘ったれの自分ではいられない。
「あなたにぜひ、魔術書店を開店して欲しいからです。あなたのおじい様は、ナダル様でしょう? ナダル魔術書店、私もよく足を運び学ばせてもらいました」
ガラマが柔和に笑う。
「……おじい様をご存知だったのですね!」
「ええ。あなたを膝に乗せて、孫自慢をしていたナダル氏をよく覚えています。この子は本が好きだから、魔術書店を継いでくれるかもしれないと、私に話してくださいました」
見つめるガラマの顔が、涙でにじむ。溢れた涙は熱い。
「……おじいちゃん……」
祖父を想い、ガラマの優しさを想い、ミーアは泣き崩れた。
必ず番人の書を書き上げる。自分に厳しくする。ミーアは家に帰ると、机に向かって猛烈にペンを走らせた。
*
灰色の空に、白い息を吹きかける。
ユーリは世界樹の広場で人を待っている。 待ち合わせの時刻よりも早く来た。長く冷たい空気に触れていたい。
こうして一人、街中でぼんやりと過ごせる時間もわずかだ。丘の上の城を見る。堅牢な灰色の建物は、陰鬱の中に沈んでいるように見えた。
「すまない、待たせてしまった」
アグノスが来た。ユーリは首を横に振る。
背の高い彼の歩調に従い、ユーリは歩いた。互いに視線は合わさずに、前だけを見る。
「新たな宮廷魔術師が城入りしたそうだ。出所が不明で情報を得られない」
アグノスの低い声は、注意していないと街の雑踏にかき消される。ユーリは耳をすます。
「例の槍は地下倉庫だ。決行は二月。魔術書の手配はしてある。兵士も何人かこちら側に引き込んだ」
「わかりました。新年からお疲れ様です」
ユーリは短く返答をする。
年始で市場は休みだが、甘い菓子や焼いた肉串を売る屋台でにぎわっていた。子どもが菓子を買ってもらい、頬を赤くして笑う。
道行く人は新年の挨拶を交わし、この一年も平和であると信じている。
「では、また夕方に」
アグノスがさっと離れていった。雑踏に紛れた彼を目で追わず、ユーリはふと屋台の前で立ち止まる。
蜂蜜漬けにしたりんごを串に刺して売っている屋台に、目を奪われた。丸いりんごから蜜が滴ったまま氷っている。柔らかいのだろうか、固いのだろうか。その歯ごたえはどんなものだろう。
「リンゴ飴でも買う気かい、坊ちゃん」
肩を叩かれて、ユーリは振り返った。リュカがにやにやと笑っている。
「こんな下町で何してんだい? そんな身なりで歩いてたら、スリに合うぜ」
「そんな間抜けじゃないよ」
ユーリは言い返して、早足で歩き出す。リュカが付いてきた。
「ちょっとツラ貸してくれよ。訊きたいことがある」
鋭いリュカの目に、ユーリは息を飲んだ。
路地裏に連れてこられて、彼が何を言い出すのかと構える。好戦的な態度で、文句がありそうなのは確かだ。
「おまえは何者だ?」
リュカが言った。
「おまえは突然現れた。そしてオレたちに急接近してきた。レジス大先生とアグノスさんと、こそこそと何をしている?」
リュカが距離を詰めてくる。ユーリは拳を握り締めた。いつか疑われる日が来るはずだと予感していた。その切り抜け方は考えていたはずだ。
リュカに嘘をつくことが心苦しい。まっすぐに質問してきた彼をかわすことが、正しいのだろうか。
「ごめん、今は答えられない。僕はどうしてもやり遂げなければならないことがある。レジス先生とアグノスさんには、それを手伝ってもらっているんだ」
リュカの顔が険しくなる。うさんくさそうに見下げてくる目に、ユーリは耐える。
「真実はもうすぐ明らかになる。僕が何者か、君は知る日が来るだろう」
「なんで今じゃダメなんだよ? もったいぶった話し方するな」
「どうしても、言えない!」
ユーリの怒鳴り声を受けて、リュカは驚いた顔をした。ユーリは彼に背を向けて、早足で歩き出す。リュカは追ってこなかった。
手で口をおさえる。つい大声を出してしまった、声が高くなった。知られたくない。彼とは友達になりたかった。
ユーリは指先を震わせた。




