第一話 ヒモナスの書2
この世界で目覚めたばかりのルルディにとって、外は珍しいことの連続だ。魔術書店を出て、城へ向かう道中、ルルディは立ち止まって初見の光景に見惚れては、ウイバルを呆れさせた。
「あなた、一体、ガラマお爺さんとは、どういうご関係で?」
落ち着きのないルルディの態度に辟易した様子で、ウイバルが尋ねてきた。
「ええと、そうですね……」
ルルディは、つい脇見をしてしまう。
王都ハルバリアの華やかさに惹き付けられる。色鮮やかな軒を連ねる商店、たてがみを揺らして我が物顔で歩む馬車の白馬、婦人の着飾った姿と、紳士たちの胸を反らした歩き方。
仕立て屋のショーウインドアに、白いドレスが飾られていた。ルルディはドレスの裾を縁取るレースの可憐さに、胸をときめかせる。
ごほん、とウイバルが咳払いをした。
「あ……ごめんなさい。あたし、街が珍しくて。ええと、あたしとガラマお爺さんの関係ですよね……師弟関係ですよ」
ルルディは微笑んで、しきりにスカートの裾を直し、早足で歩きながら答えた。
「師弟関係ねぇ。ガラマ魔術書師は弟子を取らぬことで有名でしたが、なにゆえ、あなたをねぇ。失礼ですが、血縁関係はまったくないのですかな?」
「血縁関係ですか? ううんと、おそらく……ええ、きっとないです」
ルルディは頼りなく答える。ウイバルの目は疑わしそうだが、あたしだってよくわからないのだから困る、とルルディは思う。
「なぜ、あなたを弟子にしたのでしょうね」
ウイバルは不満気だ。
まだ見習いになったばかり。実績がないから、お客さんに不安を持たれても仕方ないわ、ルルディは自分を励ました。これからこれから、と。
城砦が見えてくると、ルルディの浮かない気持ちは吹っ飛んだ。先の尖った鉛筆みたいな形の塔が連なり、厳つい城壁で囲まれた白亜の城にルルディは素直な歓声を上げる。
城にたどり着いたと達成を感じるのは早すぎだ。跳ね橋が足元に降りてきて、渡るとさらに細い道を歩く。開けた場所に出ると、そこは噴水が湧き出る緑の庭園、バラの良い香りがする。庭園を歩き、ようやく城門だ。
「こんな立派なお城の宮廷魔術師だなんて……ウイバルさん、すごいわ!」
ルルディに誉められて、ウイグルはふむ、と満更ではない顔をした。
ウイバルは城の扉の前に立つ兵士に、声をかけた。いよいよだわ、とルルディは手にしていたコートを羽織る。
城の扉が、重々しい音を立てて開かれ、ルルディは顔面に冷気をくらい。
大きく、震え上がった。
*
凍ったバラが、砕け散る。鼻頭がひどく冷たい。心なしか、踏みしめる絨毯から、しゃりしゃりと音がしているような気がする。
「寒すぎるわ、ヒモナス。これでは涼しい所か、極寒よ」
ルルディは二の腕をさすりながら、ヒモナスに文句を言った。
赤いビロード椅子に腰掛け、ヒモナスは知らん存ぜず。横向きに座り、足を腕置きに乗せている。彼は、全身が薄氷のような淡い水色だ。髪も瞳も、全身を包むローブも。切れ長の目と尖った細い鼻は、とっつきにくい冷酷な印象を与える。
ヒモナスは城の中でも上等な客間を占領し、日がな一日、ぼんやり過ごしているという。
天蓋付きの広いベッドを見て、あたしが五人は寝れるわね、とルルディは思った。
とても、身に余る贅沢だわ。
「ねぇ、聞いてちょうだいよ。寒すぎるって言ってるの。お姫様は、あなたのせいで風邪を召されてしまったのよ。みんな寒くて困っているの。冷気を弱めて」
ルルディは腰に手をあて、ヒモナスの耳元で言った。
じろり、とヒモナスが睨んでくる。
「なぜ、私が合わせなければならない? 私はこのぐらいが、丁度良いのだ。人間様の我が儘で、冷気を調節などしない」
「何を言っているの。それが、あなたの仕事じゃないの」
「知らんよ、鼻ぺちゃ小娘」
ヒモナスはふぁあ、と大きなあくびをして、腕を閉じて目を組む。
「だ、誰が……」
わなわな、とルルディは震えた。寒いからではなく、怒りで。
「誰が、鼻ぺちゃよ! よく見て、あたしには立派な鼻があります!」
ルルディが怒鳴ると、ヒモナスはうるさそうな顔をした。
「たしかに、鼻はあるな、なるほど。しかしなんとまあ、些少な鼻だろうね。君、寝る前にこうして鼻をつまむ習慣をつけてごらん」
ヒモナスが自分の鼻をつまんだ。
「そうすれば、まあ、多少は鼻が普通ぐらいの高さにはなるだろう」
ふふふふ、とヒモナスが鼻声が笑う。
「もう! 人をバカにして! あたしの言うこと、ちゃんと聞いて! 寒い、寒すぎるの!」
ルルディは握りこぶしを振り回し、怒った。
「温度を、上げなさーーい!」
ヒモナスの耳元で、ルルディは思いっきり叫ぶ。ヒモナスは顔をしかめて、耳に指をつつこんだ。
「ええい、うるさい鼻ぺちゃ小娘だ」
ヒモナスが犬を追い払うように、しっしと手を払う。
雪まじりの突風が吹いてきた。ルルディは顔を覆い隠し、身を刺すような寒風から身を守る。体が風で押される。負けるか、と踏ん張るがルルディの小さな体はドアに押し付けられた。
「今日はさっさと帰りな!」
ヒモナスの声と同時に、一際強い寒風が吹いて、ルルディは室外に押し出された。廊下に尻餅をついて、いてて、と腰を撫でている間にドアがしまる。
「ほんっとに頭にきちゃうわ」
ルルディは言い捨てて、首をぶるぶると振って雪を落とす。
「……あの、大丈夫ですか?」
ウイバルが歩み寄ってきた。少女を労わりたいが、どうして良いかわからぬようで、おろおろしている。
「ええ、大丈夫です。すいません、ウイバルさん。あたしでは、まだ力不足みたいで、ヒモナスはちっとも言う事を聞いてくれませんでした……」
ルルディはしょげている体を、なんとか立ち上がらせて言った。
「あの、でも、もう少しあたしに任せて頂きたいのです。お時間はかかってしまうかもしれませんが、絶対に、説き伏せてみせます」
胸の前で手を組み、懸命にルルディは言う。
「まあ、こちらも一日では無理だろうと思っておりました。こうなってしまったのも、王様が避暑地に向かわれなかったせいですから……どうかお心晴れて、王様が北の田舎町へ羽根休めに行かれるのが、一番なのですが」
ウイバルは溜息をついた。
「避暑地、ですか?」
ルルディが不思議そうな顔をしていると、ウイバルは怪訝な顔をした。
「知らないのですか? 一年前の悲劇を」
「ええと……あの」
「まあ、いいでしょう」
ルルディが困惑していると、ウイバルは教えてくれた。
真夏になると、王家は涼しさを求めて北の田舎町へ行くのが慣わしだ。王も后も、王子も王女も避暑地を楽しみにしていた。
一年前、出発の際に例年とは違う準備がなされた。毎年行く毎に懇意になり、また世話にもなっている田舎町の地主に、彼が好む陶器が贈られることになった。壷に大皿、花瓶と華美な陶器を王は作らせた。
荷物が多くなり、避暑地へ向かう馬車は二台となった。
后と王子、王と王女、それぞれ二組に分かれた。息子と母、父と娘、それぞれがたまには水いらす、二人きりで語り合おうと、と。
先を行く馬車に、后と王子が乗っていた。
北の町へ行くには、峠を越えなければならない。峠の道は細く険しい、蹄が危うい。
后と王子が乗った馬車には、大皿が積まれていた。
やや、右へ。馬車は崖側へと傾いた。
荷の重さに、馬は疲れていた。
御者は昨晩、妻と大喧嘩をして寝不足だった。
真夏の日が傾き、馬の頭を照りつけた。
あらゆる不幸が重なって。
馬が足を滑らせた。
馬車は、真っ逆さま、崖の下に落ちた。
その日以降、王女の励ましにも王は心を開かない。塞ぎこんでいる。
王女は母と兄を同時に亡くし、利発な顔に影ができた。
妻と息子、母と兄。同時に二人の家族が、不幸な事故で、逝ってしまった。
姫と王子の死を、国民は嘆き悲しんだ。
美しく優しい后と、聡明で母譲りの優しい心と美貌を持った王子。
二つの偉大な綺羅星が、落ちた。
「ルルディ……」
語り終えたウイバルは、心配そうな声を出す。
「ここで泣いては、涙が凍ってしまいますよ」
言われて、ルルディは自分が泣いていることに、気付いた。




