第七話 ベーゼの書2
ガラマお爺さんと対面したミーアは、カチコチに固まってしまった。ルルディが肩を叩くと、口をあわわと動かす。
「はじめまして、わたくし魔術書師のミーアと申します。若輩者のわたくしに貴重なお時間をいただき、恐縮でございます、ガラマ賢人」
ミーアがへその下に両手を重ね、お辞儀をした。
「そう畏まらなくても良いですよ。ミーアさん、お悩みがあると? 私でよければ、力になりましょう」
ガラマお爺さんが優しく声をかける。ミーアは少し涙ぐんでいた。はい、実は……とミーアが話し出す。
「それは困りましたな。番人の書がないと、魔術書店は開店できませんよ」
「はい、そうなのです……書き方はおじい様に教わったのですが、どうしてもうまくいかなくて……」
ふむ、とガラマお爺さんが腕を組んで考える。
「というか、あんたみたいな気弱では商売はやっていけないぜ。諦めたほうがいいんじゃない?」
リュカが意地悪なことを言う。
「それはダメなんです! 私、ずっとおじい様に憧れていて、どうしても魔術書店を開店させたいのです!」
ミーアが言い返す。
「その意気があるなら、しっかりしないと。おみくじの結果が悪いぐらいで、ぶっ倒れてたらダメだろう」
ミーアは消沈してしまった。
言いすぎよ、とルルディはリュカを叱る。確かにお店を持つことは大変なことだ。どんなお客さんにもしっかりと対応しなくてはいけない。
「私の番人の書に、会ってみますか?」
ガラマお爺さんが言った。ミーアは頷いた。
「お会いしたいです」
「ルルディ、べーゼを連れてきておくれ。たまには彼を書庫から出してやらんといかん。ルルディ、ベーゼを連れてきてくれ」
「はい、わかりました」
ルルディは地下書庫に入った。
ベーゼは椅子に腰掛け、頬杖をついていた。ルルディを見ると少し笑い、首を傾げる。
「ベーゼ、お客さんよ。応接室へ行きましょう」
ベーゼは目を丸くした。
「……本当に、いいのか? ガラマが許したのか?」
「えぇ。あなたに会わせたい人がいるのよ、番人さん。新しい年の空気、吸いたいでしょう?」
ルルディは手を差し伸べた。ベーゼは立ち上がり、ローブのしわを手で直し、髪を掌でなでつけた。首にかけていた金の鍵を椅子に置く。
ルルディの手をとらず、じっと見ている。
「大丈夫よ、行こう」
ベーゼは意を決したようにうなずき、ルルディの手を握った。書庫の窓から指す夕日に、ベーゼは目を細めた。
*
昔から、自分に苛立つことが多い。
臆病で消極的、不器用、しかも貧血持ち。ミーアはその性分で、損ばかりしている。
魔術学校の試験日に高熱を出し一年遅れて入学し、卒業試験は緊張のあまり貧血で倒れて留年。祖父が残してくれたはずの土地は叔父に気がつけば奪われており、取り返すために揉めて。ようやく開店準備というときに母が病で倒れて看取り、たった一人の家族を失った悲しみに暮れて一年を過ごした。
ようやく気力を取り戻し、開店にこじつけたが、番人の書が書けないという有様。どうして自分はいつもこうなのだろう、と我ながら呆れてしまう。
吊り目の少年リュカの言う通り、向いていないのかしら。
「まだお若い、経験で強くなれますよ」
ガラマ賢人の励ましを、有難く受け取る。しかし自分の二十八歳という年齢は若いのだろうか。微妙な所だ。
魔術書師見習いの少女、ルルディの肌のきらめきがミーアには眩しい。よく笑う可愛い女の子、ルルディ。彼女は不思議な女の子だ。魔力の匂いがとても強い。
「ベーゼを連れてきました」
応接室のドアが開き、ミーアは息を呑んだ。
漆黒の魔力だ。気圧されて、口に手を当てる。魔力を吸い込むとまた気絶してしまいそうだ。
どんな姿かと恐れたが、恥ずかしそうに現れたベーゼは、美しい青年だった。細い首に小さな顔、紫色の瞳は水晶みたいだ。きれいな彼に、思わず見蕩れてしまう。
「おお、ベーゼだ。久しぶりに見た。相変わらず陰気な顔だなぁ」
リュカにからかわれ、うるさい、とベーゼがむくれる。
「ベーゼ、こちらのお嬢さんがおまえに会いたいと言ってくれたのだよ。挨拶しなさい」
ガラマ賢人がベーゼの背をそっと押して、ミーアの前に座らせる。彼は照れているのか、目を合わせてくれない。
「初めまして、ミーアと申します。わざわざ来てくださって、ありがうございます」
ミーアが礼を言うと、ベーゼはますます不機嫌な顔になる。
「べつに。出てこられて、よかったし……それで、おれに用ってなに? それと、あんまりじろじろ見るな」
ベーゼがフードをかぶって、顔を隠してしまった。
「あ、ごめんなさい。失礼しました。私、番人の書が書けなくて困っているのです。それで、ガラマ賢人の番人の書を拝見し、学ばせていただこうと思って」
「おれを見てべんきょう? 変なの。おれはガラマの憎しみで出来た本だから特殊だよ。あんたにはおれは書けないよ」
ガラマ賢人の顔が険しくなった。穏やかな老人にも憎悪があったのか。ベーゼの中には悪がある。深い闇からじっとこちらを見つめる、赤い目。
「……ベーゼ、おまえも退屈しているだろう。ミーアさん、どうだろう? ここに通って、ベーゼの魔力をヒントに番人の書を執筆されてはどうですか? ベーゼの書の取り扱いに注意してくだされば、いつでもどうぞ」
ガラマ賢人の言葉に、ミーアは舞い上がりそうになる。番人の書は魔術書師にとって最も重要な本である。その本を参考にしても良い、とガラマ賢人はおっしゃってくれている。
信用されたということだ。初対面の、頼りなそうな女を。
「ありがとうございます! 私、精一杯がんばりますので、お願い致します!」
ミーアは立ち上がり、声を張って言った。
「その熱心さ、大切に。ベーゼと会うときは、ルルディも同席させましょう。彼女もまたベーゼから学ぶことがある……」
ガラマ賢人は目を細めて言った。ルルディは少し不思議そうな顔をしてから、ミーアに微笑みかけた。
「一緒にがんばりましょうね、ミーアさん」
「ええ、ありがとう、ルルディさん。ベーゼさん、よろしくお願いします」
頭を下げると、ベーゼは目を伏せてうなずいた。
*
湯気の立ったミルクに、とろりと蜂蜜が落とされる。眠る前に温かい牛乳を飲んで一日を終えるのは、ルルディとガラマお爺さんの習慣だ。
「ベーゼのことは前から話そうと思っていたのだよ。わしがなぜベーゼの書を記したのか……彼の抱えるものが何であるか」
ガラマお爺さんが目を伏せて言った。暗い目をしている。このところ、お爺さんは暗い顔をして考えごとをよくしている。その顔を見るとルルディは不安になった。
「はい。ミーアさんと一緒に、よく学びます」
「ベーゼは……孤独な本だ。話をよく聞いてやっておくれ」
「はい、ガラマお爺さん。おやすみなさい」
マグカップを片付けて、ルルディは寝室に向かう。
何かが、起きている。リュカが言っていたレジスたちの集会、妙な気配。華やかな騎士レイサンダーが残していった、微笑。
心がざわついた。ガラマお爺さんは何かをベーゼを通して伝えたがっている。ルルディはそう感じた。




