第六話 ベラドンナの書4
あたしを見て。べラドンナは願う。本の中に閉じ込められるのは、うんざりだ。あたしを見て、あたしを買って欲しかった。あたしの情熱を見てよ。
バイドンは、ベラドンナを一度しか見なかった。ベラドンナは何度もバイドンを見た。
「あたしを見なさい!」
べラドンナは叫んだ。
若い店員たちと、バイドンの視線が集まる。
お上品ぶった若者たちの顔を、睨みつける。
紺色のスーツもストライプのネクタイも、すべてが忌々しい対象だ。すべて切り刻んでやりたくなる。
「……君は……確か」
バイドンが怪訝な顔をする。
「ベラドンナ、何をしに来たの?」
シンシアが、目の前に立った。彼女は燃えている瞳に気が付いたようだ。持ち主を守ろうとする態度が、火に油となる。
「……あんたは買われた、あたしは買われなかった……」
虚しく呟き、べラドンナはシンシアを突き飛ばした。いい子ちゃんぶった顔、大嫌い。教えられたこと
しか繰り返せないくせに、頭はあたしよりも悪いくせに。
べラドンナは、バイドンに体当たりした。
トルソーを巻き添えにして、二人は床に転がる。抵抗しようとするバイドンの上に乗り、ベラドンナは彼の首に手をかけた。
「……どうして、あたしを選んでくれなかったの。あたしはあんたのこと、すごく気に入ったのよ。若くて商売の才能があって……なのに、あんたは」
「何を言っている! 離せ!」
バイドンがもがく。ベラドンナは男の頬に、涙を落とす。
「人は魔術書を選べていいわね! 魔術書は選べないのよ。残酷だと思わない? ねぇ!」
ベラドンナは、バイドンの首に絡めた指に力を込めた。店員たちが引き剥がそうとしてくるのを、振り払う。首を絞められたバイドンの顔は、恐怖と苦痛で歪む。
「本に戻れ! ベラドンナ、本に戻れ!」
「いいえ、戻らない! あたしは本に戻らないわ!」
泣き叫びながら、べラドンナは好きになった男の首を絞める。選んで欲しいと願った。選ばれなかった。そして、外見だけを気に入られ貧乏学生に買われた。
何のために生まれたきた、魔術書だ。
どうして感情を持って、この世に生み出された。
「ベラドンナ! 本に戻りなさい!」
少女の声がした。振り返る間もなく、ベラドンナの意識は遠のいた。いやだ、と抗うも体が小さくなっていく。最後に見たバイドンは、ぐったりと倒れていた。
彼の胸に涙を一粒落として、ベラドンナは本に戻った。
*
本に戻ったベラドンナをルルディは抱き上げた。間に合ってよかった。もう少し遅れていたら。
バイドンは店員の呼びかけに目を覚ました。
「申し訳ございませんでした!」
ルルディはバイドンに頭を下げた。ふらつきながらもバイドンは立ち上がり、説明を求める。
「彼にも証言してもらおう」
アグノスがトニーの腕をつかみ、連れてきた。ルルディと目が合うと、気まずそうに目をそらす。
「わたしの間違いでこの方に、ベラドンナの書を売ってしまったのです。気性の荒い彼女は手に負えず……」
ルルディはトニーの顔色を気にしながら、続ける。
「持ち主の手から逃げ出し、バイドンさんの店に来たのです。はっきりと申し上げることはできませんが、ベラドンナはバイドンさんに好意を寄せていて、持ち主になって欲しかったようです」
抱きしめたベラドンナの書は、まだ熱を持っていた。爆弾を抱えているような気になる。バイドンはネクタイを緩めて、溜息を吐いた。怒りの表情がはっきりと見てとれる。目を逸らしてはいけない。ルルディは自分に命じる。
「逆恨みって訳か。未熟な者にハイクラスの魔術書を売ることが、どれだけ危険なことか、魔術書師ならば分かりきっていることだろう」
荒い口調は、昼間と別人のようだ。申し訳ございません、とルルディはもう一度頭を下げる。
「……すいません。僕が、嘘をつきました。彼女に自分の段階数を偽ったのです」
アグノスに腕をつかまれているトニーが、震えながら言った。
「彼女は僕のレベルを覚えていました。それを否定して、不正をしてベラドンナを手に入れたのです」
バイドンの怒りの目が、トニーに向いた。
「私は危うく、殺されるところだったんだ。君は魔術学校の生徒だろう? 学校に連絡させてもらう、どこの学校だ?」
「本当に、すいません! あの、どうか学校にだけは連絡しないでください……あと、一年なんです」
「問題行動をしたと自覚があるのかい? 君のような生徒が卒業して魔術師として世に出るとは、怖ろしい。警官に突き出されるのと、退学になるの、どっちがいい!」
バイドンが机を叩き、怒鳴った。ルルディはその音に肩を震わせる。トニーは謝罪するが、バイドンは聞き入れない。
「あの、わたしに責任があります! 確認しなかったわたしが悪いんです。どうか、トニーさんを許してください」
「おまえは黙っていろ!」
ルルディはトニーをかばったが、さらにバイドンを苛立たせてしまった。
どうすればいいの。泣きそうになるのを堪えるのに精一杯で、頭が回らない。
「僕が責任を取ります。ベラドンナを書いたのは僕ですから」
ルルディの前に、レジスが立った。いつもは頼りない彼の背中が、大きく見えた。
レジスはバイドンに近寄っていくと、札束を机に叩きつけた。そのぶ厚さに息を飲む。
「このコートとマント、えーっとそれからネクタイと。そうだ、ハンカチーフあります?こ この前、うっかり燃やしてちゃって。あ、そうだ、ベルトも」
レジスが棚から商品を手に取り、ろくに見もせず、近くにいた店員に渡していく。
「あ、そうだ。帽子ある? 帽子をかぶれとリュカに言われているんだよね。その方が貫禄が出るとか何とか。君、ちょっとこっちに来なさい」
レジスはトニーを手招きすると、彼に紺色のマントを着せた。
「うん。君は体が大きいから、こっちの色の方が似合うよ。その汚いグレーのコートは捨てなさい。あ、それから、ルルディぐらいの女の子が着る服ってある? ほら、連れて行って何着か試着させてあげて」
コートを着せられたトニーと、店員に手を引かれたルルディは呆気に取られた顔を見合わせた。
ルルディは女性店員に薦められ、ワンピースを着るように言われた。試着室に入り、ルルディは従う方がいいだろう、と判断してワンピースに着替えた。黒のベロア生地で、胸元に白いバラが刺繍されており、裾は繊細なレースで縁取られている。腰からふんわりと広がったスカートは、ルルディを夢心地にさせた。
「うん、かわいいよ! 似合う似合う! はい、ということで店のほとんどの商品は買わせてもらうよ。お金、足りるでしょう? この店はオーダーメイドがメインだから、店に置いてある商品がなくなっても、困らないでしょう? お金さえ払えば」
レジスがバイドンの顔を覗き込み、にやにやと笑って言った。ぶ厚い眼鏡のレンズが輝いている気がする。
「……お買い上げ、ありがとうございます」
バイドンは悔しそうに言った。
「ありがとうございました!」
店員たちが横一列に並び、頭を下げる。
店を後にしてから、いきなりレジスが大声で笑い出した。
「いやぁ、すっきりした。高級店で服を買ったのなんて、初めてだよ。リュカにプレゼントも買えたし、よかったよかった」
「ありがとうございます、レジスさん。助けていただいて、それにワンピースまで買ってもらって、なんとお礼を言って良いか」
いいんだよ、とレジスは笑うけれど、よくない気がする。
「本当に、すいませんでした。全部、僕のせいなのに」
トニーは目に涙をたたえていた。ごめんね、と彼はルルディを見つめた。ルルディは首を横に振る。
「ふむ、君はよく反省してくれ。そしてたくさん勉強するんだよ」
「はい、深く反省しています。……自分の愚かさを思い知らされました……ベラドンナを、彼女を所有できるなんて……馬鹿なことを考えてしまいました」
トニーは自嘲気味に笑った。
「魔術書は所有できるものではないよ。どんな力のある魔術師でもね。信頼関係がなければダメだ。ベラドンナがバイドンの店に行ったのは、彼の商才を気に入り自分の力を生かしたいと考えていたからさ。外見は関係ない。魔術書の力を信じる力が、バイドンにはあったようだから」
レジスの説教は、ルルディの胸にも刺さる。
ベラドンナの想いを、考えてあげられなかった。信じてあげられなかった。
「でも、偉そうな態度を取るヤツは嫌いだよ。
ふふん、だから僕はヤツをやりこめて、スッキリした! これで、解決だよ」
レジスが高らかに笑う。ルルディも笑った。
トニーも恥ずかしそうに、しかし笑っている。
「いや、殺されかけたんだ。怒るのは当たり前だろう。しかしまあ、おまえのやり方にはすっきりしたよ」
アグノスも注意しつつ、笑う。
トニーはレジスに何度も感謝の気持ちを伝え、帰っていった。彼を見送った後、ルルディは気が抜けて、お腹を鳴らせてしまった。
「さあ、帰ろう」
アグノスの大きな手がそっと肩に触れ、隣を歩いてくれた。はい、とルルディは彼を見上げて答える。
アグノスは駆けつけてきてくれた。いつも落ち着いた顔をしているのに、今日は焦っていた。誰かが傍について、不安な気持ちをなだめて付き添ってくれることの有り難さを、感じた。
なぜだろう、甘酸っぱい味が口の中でする。
アグノスの横顔をじっと見つめていることが恥ずかしくなって、うつむく。
彼は不思議な人。いつもルルディの心をかき乱してくれる。音が鳴っている、体中、今までに聞いたことがない音だ。とくん、と音は繰り返して鳴り止まない。




