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第六話 ベラドンナの書3

 魔術書には体温がある。ベラドンナの掌は熱い。彼女の中で燃えている火を、トニーは火傷を負ってもいいから抱きしめたくてたまらない。

 たよやかな体、瑞々しい肌。強力な魔力が作り出したその魅力をたたえ、彼女を書き上げた作者に嫉妬する。魔術の才能に、トニーは限界を感じている。


「あたし、もっと歩きたいわ」


 喫茶店に誘うと、ベラドンナはそう言ってトニーの手を強く引いた。女の子は疲れやすく、すぐお茶をしたがるものだと思っていたトニーは予想が外れて、がっかりした。

 チェック模様のカーテンがかかった、かわいらしい喫茶店で、彼女の美しさを眺めながらお茶が飲みたかった。トニーの喉は渇いている。


「あなたたちにとって、歩くってごく当たり前のことでしょう。でも、あたしは違う。ずっと本に閉じ込められていたから、自分の足で歩くって、とても気持ちいいの」


 べラドンナが微笑みかけてくれる。

 女の子にいつも顔を背けられる、友人たちに馬鹿にされてばかりのトニーにとって、彼女の瞳は救いだった。


「ほら、右足を出して、一緒に」


 べラドンナに言われ、ぎこちなくトニーは右足を踏み出した。


「はい、次は左足。いち、に、いち、に。ほら、楽しい」


 べラドンナが笑いながら、歩く。トニーも笑い声を上げた。誰かと歩く楽しさを発見したのは、産まれて初めてだ。


「ねぇ、あたし、お洋服が見たいわ。お店がたくさんある所に、連れて行って」


 ベラドンナが腕にしなだれかかってくる。

 トニーは躊躇した。女の子がこう言ってきた場合、服を買ってくれというおねだりだ。トニーの財布は空だ。


「わ、わかった。行こう」


 断ることはできない。

 ベラドンナの笑い声が、心をくすぐる、弄ぶ。


    *


 階段の板を踏み外しそうで、ひやひやしながらルルディはトニーの部屋を目指していた。

 古い集合住宅で、薄暗く汚い。よく崩れないなあ、と思うほど老朽化している。


「えーっと、ここだわ」


 ルルディはメモの住所を確認し、三階の角部屋の前に立った。とんとん、とノックをする。


「すいませーん、魔術書師エンスティクトの者ですけど」


 呼びかけるが、返答はない。ルルディはもう一度、ノックした。


「すいませーん」


 やや声を大きくして、呼びかける。


「トニーの奴は、出かけたよ。お嬢さん」


 隣室のドアが開き、若い男がにゅうっと顔を出して言った。いきなり現れた青白く細長い顔に、ルルディはわっと小さく声を上げてしまう。


「女と、出かけていったぜ。俺は見た」


 恨めしそうな顔で男は言った。


「ちくしょう、あいつめ。いつの間にあんな美女と……ちくしょうめ」


 美女、とはベラドンナのことだろう。もう姿を現してしまっている。背筋がひやりとした。


「教えてくださって、ありがとうございます! あ、あの、どの方向に二人は向かったか、

ご覧になりましたか?」


「あっち。お手手つないで、あっちに行ったよ」


 男は右の方向を指差し、ドアを閉めた。

 くそっ、という呻き声が後から聞こえてきた。

 よっぽど、トニーが羨ましいらしい。

 ルルディは階段を駆け下りて、男が指差した右の方向へ走った。

 どうしよう、どうしよう、と頭の中で焦りが回る。トニーはベラドンナに一目ぼれで、べラドンナはどうだろう?

 彼女が何を考えているか、わからない。

 

 喫茶店や飲食店が並ぶ街に出て、ルルディは足をとめた。肩で息をしながら、周囲を見渡す。夕刻迫り、レストランで食事しようと、人が続々と集まっている。

 自分の背の低さ、視界の狭さが嫌になる。

 やみくもに探しても、時間がかかるだけだ。

 ルルディは暗くなっていく空の下、心細くて泣きそうになる。しっかりして、とルルディは自分の頬を軽く叩く。


「いたいた! ルルディ!」


 聞き覚えのある声がして、振り返るとレジスが駆け寄ってきた。知った顔を見て、力が抜ける。アグノスが後から、深刻な面持ちで歩いてきた。


「大丈夫か? 事情は聞いている。共にべラドンナを探そう」


 アグノスが言ってくれた。

 安心して、その場に崩れそうになる。


「は、はい! ありがとうございます……あたし、トニーさんがベラドンナと街に出たと聞いて、どうしようかと困っていたんです。本当に、助かります!」


 ルルディはアグノスとレジスに、深々と頭を下げた。


「そんなに謝らないで。……まあ、元凶は作者の僕にもあるし……」


 気まずそうにレジスが、頬をかく。


「そうだ。べラドンナは気性が激しすぎると忠告したのに。ルルディ、俺はおそらく、ベラドンナはトニーから逃げると推測している」


 アグノスがレジスを一睨みし、言った。


「うん。彼女は自分よりレベルの低い魔術師を見下して、一緒にいるタイプではないだろう。学生の子にはとても、手に負えないよ」


 レジスは申し訳なさそうに言った。


「そしたら……トニーさんを探すより、ベラドンナを探すほうを優先したほうが、よさそうですね。どこに行くでしょうか……彼女」


「おい作者、彼女はどこに行く?」


「アグノス、そんなに怖い顔しないでくれよぅ。君の忠告を無視したことは、反省してるよ。……うーん、そうだな、僕が気になるのは、彼女を見たけれど断った仕立て屋の客だな。プライドの高い彼女のことだ、自分が選ばれなくてきっと怒っている……」


「そうです、ベラドンナは選ばれなくて悔しそうでした」


 ルルディはベラドンナの顔を思い出す。歪められた赤い唇と、ルミスを見る燃えた瞳。

 そうだ、彼女の目はルミスに張り付いていた。


「バイドンさんの店! 仕立て屋さんです、そこに行かないと!」


 ルルディは叫び、駆け出した。アグノスがこっちだ、とルルディを導く。待ってくれよ~と情けない声を出し、レジスが二人の後ろを走った。


   *


 黒髪を冷風になびかせるベラドンナは、赤く燃えていた。握った掌は熱くなり、トニーに汗をかかした。


「どうしたんだ、ベラドンナ……」


 問いかけても、彼女は振り向かない。

 礼服を仕立てる服屋の前で、ベラドンナは動きを止めた。去年開店したばかり、紺色の壁に磨き上げられたガラス窓がある、気品のある店構えだ。店名はバイドン。若い店主の男が、客が引けた店の中で、店員に何やら熱心に語っている。

 スマートな男だ。トニーの劣等感をかき立てるタイプで、あまり見ていたくはない。

 ベラドンナの視線の先をたどり、トニーは不安になった。


「日も暮れてきたし、そろそろ食事でもどうかな? あの、それとも見ているだけじゃなく、店の中に入っては……」


 高級店でベラドンナに服を仕立ててやる金はない。けれどトニーは何か言わなくては、という焦燥で胸が痛かった。


「食事でも? 食事? そんなもの、あたしに必要ないわ」


 ベラドンナの手が、離れた。


「あんたなんか、いらないのよ! 愚か者よ、あんたは。上っ面ばかり見て、何も知らない、ろくに考えもしないで! あんたじゃない、あたしの持ち主は、あんたじゃないの!」


 突き飛ばされた。トニーは尻餅をつく。

 揺れる黒髪を見つめる。彼女は踊り出すように、一歩を踏み出す。

 あんたじゃない、という叫びが頭の中で反響する。何度も言われ続けた言葉、もっとも嫌う言葉を、魔術書ごときに言われた。

 上っ面、確かにその通りだ。けれど、彼女こそ上っ面しか持ち得ない存在ではないか。

 ただ美しい、生身の体を持たぬ、たかだか本のくせに。


「本に戻れ! ベラドンナ! 本に戻れ!」


 トニーは叫んだ。膝小僧を土で汚し、立ち上がれぬまま声を張り上げた。

 ベラドンナはあざけるように笑い、バイドンの仕立て屋のドアを、開けた。




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