第六話 べラドンナの書1
年の瀬で、日々仕事が増えていく。帳簿はすぐに売り上げで埋り、お金が出ては入ってを繰り返す。年越しのお金を得るため、魔術書を作家が売る。多忙を手伝ってもらう魔術書を買いに客が来る。
いつも静かだった魔術書エンスティクトに、人が押し寄せ、その熱気で暖気の魔術書ヌマルは逃げるありさま。
にぎやかなのは嬉しいが、ルルディは夜になるとぐったりとした。朝がつらく、つい開店したばかり、人がいない時はガラマお爺さんの目を盗んであくびをしてしまった。
この日、初めてのお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ! ……あら、アンヌさん。お久しぶりです」
「久しぶり、ルルディ」
アンヌは腰のラインが優雅なロングコートを着ている。ドレスのように裾が広がり、色は光沢のある黒だ。薄い金の髪とよく合い、さぞかし街ゆく人を振り向かせただろう。
「作家が風邪をひいてね、代わりに納品にきたのよ。借金があるから早く売ってきてくれって、ほんと身勝手な奴よ」
アンヌが文句を言いながら、魔術書の包みをカウンターに置く。
「風邪が流行ってからね。おいおい、この魔術書に菌が入ってないだろうかね?」
ガラマお爺さんが魔術書を点検しながら、笑って言った。
「やだ、そしたらあたしも風邪を引いちゃう」
アンヌが肩をすくめて、苦笑いした。ポケットに手を突っ込み、ふとルルディをじっと見つめてくる。
「お客さんがいないから、ちょっと立ち話いい?」
「ええ、大丈夫ですよ、先にしておくべき仕事は済ましましたから」
ルルディは胸を張って、答える。
「ふふ、見習いと呼ばれなくなる日も近そうじゃないか。マヤが片思いしてるユーリって、どんな男?」
「ああ、ユーリさんですね。彼は伯爵家の息子さんですから、紳士ですよ。心配いりません。会えばマヤちゃんが好きになった理由、わかりますよ。王子様みたいな人です」
「やれやれ、あの子は本当に面食いなんだから。うん、それならいいよ。けど、いくら紳士でも男は男だろ。変な気配があったら、報告してね。マヤが好きになる男って、自分に振り向きそうにない奴ばかりだけど、もしものことがあるから。変な虫に食い散らかせたら、たまんない」
アンヌが眉を寄せて言う。さすがお姉さんだ。妹のことがとても心配なのだろう。そんな風に気にかけてもらえるマヤを、ルルディはうらやましく、微笑ましく思う。
「それじゃあ、ルルディもガラマさんも風邪にはくれぐれも気をつけて。ああ、それから年末になると客商売ってのは変なことが起きやすいから、気をつけてね」
アンヌはルルディの頭を軽くなでて、店を去っていった。変なことかぁ、気をつけないと、とルルディは気を引き締めた。
「ガラマお爺さん、風邪の菌を撃退してくれる魔術書はないの?」
「ないよ。風邪の菌というのは、目に見えなくて厄介だからね。今度、レジスに提案してみたらどうかね? 失敗すれば、新しい病原菌が増えるかもしれんが……」
それはとても怖ろしい話だ。提案しないほうがいいかも、とルルディは考え直す。
アンヌが帰ってから、エンスティクトのドアは閉まっている時間の方が短かった。
ふと客足が途絶え、昼休憩の看板に変えようとした頃、ピーコートを着た男が小走りで店に来た。
「休憩前にすいません。どうしても時間が取れなくて……悪いですか、魔術書を売ってくれますか」
男は困った顔で頼み込む。生地の毛並みが整えられたコートに、紺に縞模様のネクタイ、磨き上げられた革靴と彼の身なりは完璧だった。七三に分けた髪も乱れなく光沢があり、目鼻立ちもすっきりしている。何より、とても足が長い。初めて来た客だ。
「いいですよ、どうぞ。お求めの本は?」
ガラマお爺さんが客を受け入れた。ルルディはぐうと鳴りそうな空きっ腹で、客に微笑む。
「ありがとうございます、痛み入ります。私は服屋を経営しているのですが、晴れ着を買いに来る客が去年の二倍でして……従業員不足なのです。接客の本をお願いします。私の名はルミス・バイドンです」
ルミスは一枚のカードを見せた。
魔術を習得した階級を証明する、銀色のカードである。十段階でルミスは七だ。
「少々お待ちください、魔術書を何冊か用意してきます」
ルルディはぺこりと頭を下げ、書庫に入った。新客には何冊かの本を持っていき、好みを探る。ルルディはエルピタにお願いして、若く美しい男女の容姿をした魔術書を、四冊割り出してもらった。
女性本は妖艶さで客を引くべラドンナ、清楚で品の良いシンシア。男性本は色男風で口の達者なアラン、商品の知識をすぐに覚えてしまうスマートなセディ。ルミスは自分と似たタイプのセディを選ぶだろう、とルルディは予想した。
名前を呼んで人の姿となった四冊の魔術書を、ルミスは顎に手を添えて、じっくりと眺め、一回だけ魔術書に質問をした。魔術書たちは微笑し、愛想よく丁寧に質問に答えた。
「彼女にします」
ルミスがシンシアの肩に、手を置いた。
「女性従業員が一人、産休でして。シンシアは彼女によく似ています。まさに求めていたタイプです」
「私をお選びいただき、ありがとうございます。その方の代わりとなりますよう、精一杯努めさせていただきます」
シンシアが微笑み、マナーの教本に載るようなお辞儀をした。アランとセディはおめでとう、よかったな、とシンシアに声をかけて本に戻った。べラドンナが、腕を組んシンシアを睨みつけている。
自分が選んでもらえなくて、機嫌を損ねてしまったようだ。
「ありがとう、良いお年を」
ルミスはシンシアを連れ、満足して帰った。
ルミスは真面目なタイプが好き、とルルディは自分用の顧客帳にメモをする。
花柄が表紙の小さいけれど厚いノートで、いつもポケットに入れている。ノートはもう半分までページが文字でうまり、表紙の端が傷んでいる。
ルミスが帰り、ようやく遅いランチを食べて、午後の仕事に戻った。閉店間近の夕方、客足がようやく途絶えたので、ガラマお爺さんは用事に出た。
ルルディは一息つき、ガラマお爺さんが淹れてくれたココアを飲みながら、花柄の顧客帳を見返す。
満足してくれなかったお客さんには、バツ印、まあまあだったら三角、笑顔にできたら丸印。最近は丸印が増えてきて、嬉しい。
ドアが開いて、ルルディは顧客帳を閉じて立ち上がった。
「いらっしゃいませ! どのような本をお求めですか?」
客は魔術学校の生徒の少年だ。名をトニーという。体が大きいが気は小さそうで、灰色のローブの上に同色の毛羽立ったマントを羽織っている。いつも怯えたような目でルルディを見るので、なかなか打ち解けられない常連の一人だ。
困ったな、とつい思ってしまう。ガラマお爺さんがいないときに。
「えっと……その、昼頃、休憩で店の前を通って……それで、中をつい覗いてしまったんだけど、その時みた……えっと」
トニーはしどろもどろ、冬だというのに額にうっすら汗をかきながら話す。
「女の姿をした本が、目について……その、とても目立っていて。欲しくなったんだけど。客は違う本を連れていったから、売れてないはずで……忘れられずに来たんだ」
売れなかった女の姿をした本、昼頃に店に姿を現して、目立つ。それですぐにわかった。
「たぶんその本は、べラドンナです。接客の本ですね。とても色っぽくて、ちょっと小悪魔な態度でお客さんを引き寄せる本です」
ルルディは微笑んでいった。
「そ、そうなんだ。たぶん、その子だ。売って欲しい……べラドンナを。いいだろう?」
トニーの目がぎらっと光った。
「え、でもトニー様は学生さんですけど……接客の本はあまりお役に立たないと思うのですが……ご実家がお商売をされているのですか?」
「い、いや。違う。その、とてもキレイだったから、買いたいんだ。お願いだ、少し多くお金を払うから」
トニーが一歩、ルルディに迫ってきた。
キレイだから求められている。けれどべラドンナの能力は求められていない。ルルディは困惑した。彼は切実にべラドンナを欲しがっている。
「あ、あの、お手伝いの女性でべラドンナと似た魔術書がいるので、そちらはどうでしょう? きっとその方がトニー様のお役に立てるかと」
「ダメなんだ! 彼女じゃないと!」
トニーが大声を上げた。ルルディはびくっと震える。どうしよう、と胸の前で強く手を握り締め、考える。
ルミスに選んでもらえず、べラドンナは不機嫌だった。うつくしい、それだけでもべラドンナは買い手が現れて喜ぶかもしれない。彼女は、美貌が自慢の本だ。
「あ、でも……トニー様は」ルルディは重要なことを思い出し、書庫に行きかけた足を止めた。「失礼ですが、魔術階級が四ですからお売りすることができません。べラドンナは六の方にしか使用できません」
「違う! 僕の魔術階級は六に上がったんだ、この前。君がいないとき、ガラマお爺さんに報告したはずだ。君がそれを聞き忘れている。早くべラドンナを連れてきてくれよ、こんなに頼んでるんだ、いいだろう!」
トニーが顔を赤くして、怒鳴る。
ルルディは青ざめた。あたしの確認不足?
今朝もちゃんと顧客リストを確認したのに、見落としていた? 確認しようか。けれど、これ以上、待たせたらトニーがもっと怒る。
確認したら、僕の言うことを信じないのかときっと怒り出す。店で二人きりなのに、怒鳴られるのが怖い。
「も、申し訳ございません!」
ルルディは何度も頭を下げ、書庫に走ってべラドンナの書を持って大急ぎで店に戻った。 その時、エルピタは疲れて休んでいた。
トニーは支払いをすませ、べラドンナの書をマントの下に隠すように抱え、無言で帰っていった。
ほっとルルディは息を吐く。心臓がばくばくと、ケイレンしている。




