第五話 レイサンダーの書5
白い手がにゅっと伸びてきて、切り分けたケーキをひときれ、さらっていった。あ、とルルディは声をあげる。犯人のヒモナスは、ぺろりとチェリーケーキを平らげた。
「若い娘の作るケーキはうまい」
満足そうに舌なめずりをしているヒモナスを、ルルディとリュカは睨む。
「泥棒さんみたいな真似しちゃダメでしょ、欲しいって言うならあげたのに」
「そうだぞ、この変態!」
ヒモナスはやれやれ、と呟いて溜息をついた。その息がひゅっとルルディの前髪を吹き上げて冷たくする。
「へちゃ娘にクソ小僧、一時間と一緒にいたくない二人組みだな。さっきから貴様らぶつぶつ言っていたが、知らせずにいる、ということで守られているのだぞ。お子ちゃまどもは、気楽でよいのぉ」
ひゅっと冷風を吹かせて、ヒモナスは台所を出ていった。この季節には会いたくない魔術書だ。
ポッドを手にしたまま、リュカは険しい顔をしている。
「……知らせずにいることで守られている、か。そうかもしれないな」
ルルディは首を傾げた。ヒモナスの言葉に何か感じ取ったリュカの心情がルルディは読めない。
夜更けに食べるチェリーケーキは美味しかった。紅茶の湯気の向こうに見える面々を、寝ぼけ眼でルルディは見ていた。
リュカは会話には参加せず、しかしテーブル全体を見渡して、気を張っているようだった。
船着場に立っているレイサンダーは、両手におみやげの袋を抱えていた。首には買ったばかりのスカーフを巻いている。ルルディのエプロンとおそろいの、伝統の花柄だ。
晩餐会のメンバーは、見送りのため全員そろっていた。
「みなさん、本当にありがとう。お陰さまで、とても楽しい休暇でした。また、お会いしましょうね」
レイサンダーは朝の寒さを吹き飛ばすような、満面の笑みを見せた。
「はい、こちらこそ楽しかったです。ぜひ、また遊びにきてくださいね」
ルルディはレイサンダーを見上げて言った。
軽く抱擁されて、驚く。体を離したとき、一瞬、彼は切なそうな顔をした。
「えぇ、きっと。みなさん、お体にお気をつけて」
「あなたも、どうかお気をつけて」
ガラマお爺さんが言うと、レイサンダーは深くうなずいた。名残惜しそうに船に乗って、レイサンダーは国へと帰っていった。
マヤとルルディは、いつまでも手を振っていた。
*
よく晴れているが、寒い日だ。雑巾の冷たさが指先にしみて、赤くなる。ユーリは汚れていも良い服装で、レジスの屋敷を掃除している。しばらく宿泊させてもらう代わりに掃除をしたい、と自分から言った。レジスは感謝を示したが、リュカは怪しげな目で見ていた。
「おい、もういいから。休憩するぞ」
リュカに声をかけられ、台所へと向かう。
傷だらけの木のテーブルに、コーヒーと焼き菓子が並んでいた。
「何を考えてるんだ、坊ちゃんは。おまえもレジス大先生の弟子希望かい?」
リュカの質問に、ユーリは首は横に振る。
「違うよ。この屋敷、居心地がいいから。それに君とも、話をしたかったし」
リュカがぶるっと震えた。二の腕をなでながら、ユーリと距離をとる。
「気色悪いこと言うなよ」
「なんだよ、べ、べつに気色悪くなんかない。初対面は最悪だったけどさ……同じ年だし、話してみてお互い理解できることもあるだろう」
「ふん、いかにも坊ちゃんって感じだな。まあ、掃除を手伝ってくれるのは有難いぜ」
「君は、どうしてレジス先生の弟子になったの?」
「そりゃ、売れっ子作家だからな。あの人は相当変わってるよ、オレみたいな問題児を弟子にして」
「君が問題児? そうは見えないけど」
「お世辞はよしてくれ。オレは魔法に失敗して、魔術学校で爆発事故を起こして退学になったんだ。教室一室が破壊されて、怪我人も死者も出なかったけど。親は魔術師になるのは諦めろと説得してきたけど、諦めがつかなくてなぁ。そんで、レジス先生が拾ってくれたんだよ」
ユーリはカップを両手で持ち上げて、なるほど、と呟いた。
「君は事故で怪我はしなかったの?」
「オレは無傷だったよ。……それ、やめた方がいいぜ? 両手でカップ持つの。女みてぇだよ。それともおまえも、レイサンダーと同じタイプ?」
指摘されて、慌ててユーリはカップをテーブルに置いた。
「別にいいだろ。レイサンダーさんを一つのタイプとかひとくくりにするのもどうかと思う。君って男らしくとか女らしくとか、古臭いじいさんみたいこと言うよな」
ユーリがいうとも、なんだとぉとリュカがカッカする。
「リュカー! ユーリ!」
レジスが大声で呼びながら、階段を下りてくる音が聞こえた。レジスは台所までどたどた走ってくると、一冊の魔術書を掲げた。
桃色の表紙に金糸で書名が刺繍されている。
「レイサンダーの、書……」
ユーリは題名を読み上げた。流麗な文字の周りを、金色の龍が囲んでいる。
「レイサンダー氏の許可をもらって、書名にさせてもらったんだ。これね、なかなか自信作だよー、見てて」
レジスが高らかに、レイサンダー、と魔術書を名を呼んだ。リュカは嫌な予知をしたのか、後ろに下がっていた。
桃色の龍が現れた。体長は一メートルほど、胴体もそれほど太くない。水晶のような透明な角に、長いひげに、金糸の束のような尾。
特徴的なのは目で、長いまつげに囲われている。龍はひらりと体をくねらし、レジスに流し目を送った。
「やあ、レイサンダー! 僕を背中に乗せて欲しいんだ」
レジスが要望すると、龍は短い前足でレジスの頭を叩いた。倒れるレジス。
「レジス先生!」
ユーリは気を失っているレジスを抱き起こそうとしたが、リュカに手を引っ張られた。
「逃げるぞ!」
リュカが正しかった。レイサンダーは逃げるリュカたちを追いかけながら、長い尾で窓ガラスを割り、積んである本に火を吹き、そのたびにユーリとリュカは必死の消火活動を行った。
「レイサンダー! 本に戻れ!」
リュカが叫ぶと、龍のレイサンダーは暴れ疲れたのか、頭をもたげて魔術書に戻った。
せっかく拭いたのに割れたガラス、焼け焦げた本に絨毯、なごやかな午後が一冊の魔術書によって破壊された。
「ごめんよ、あんなに凶暴な本になるなんて。いやあ、レイサンダー氏の話を聞いて、龍に乗りたくなってさぁ」
気絶していたレジスが目を覚まし、へらへらと笑って言った。
「龍の背に乗りたいだなんて、あんた子どもか! だいたい、ピンク色の龍なんて趣味が悪いし、レイサンダー氏にも失礼でしょうが! 謝れ、レイサンダー氏に謝れ! まったく、明日納品するはずだった本も燃えたんだですよ、この馬鹿!」
リュカが猛烈に怒鳴り散らした。
「えー、いいと思ったのに。そうだ、もう少し小さくして、踊るピンクの龍ってどうかな? 新年の縁起物に……」
レジスがけらけら笑って言う。
「ダメに決まってるでしょ! レイサンダー氏に斬り殺されてしまえ! さっさと売れる本を書け!」
リュカに叱り飛ばされ、しぶしぶ、レジスは書斎に入っていった。
「これが君の日常なんだね、尊敬するよ」
ユーリは割れたガラスを片付けながら、心から言った。
「ああ、これが賑やかで楽しくてちっとも勉強にならないレジス大先生の弟子生活だよ」
憮然とリュカは言った。
「レイサンダーの書のことは、オレたちの心の中にしまっておこう。本人にもしも知れたら……」
「……レジス先生の命が危ない」
「ああ、そうだ」
リュカとユーリは頷きあって、屋敷の掃除にいそしんだ。
レイサンダーの書・終




