第五話 レイサンダーの書3
寒さが起床を邪魔する。本日、お店は休み。
ガラマお爺さんは朝食後、二度寝のため寝室に戻った。あたしはどう過ごそうかしら、とルルディは窓の外を見て、考える。
曇り空で大通りは灰色、そこに黒い影が現れる。あ、とルルディは声を上げた。店の前にアグノスが立ち、手を振っている。
急いでコートを着て、裏戸から外に出て、アグノスに駆け寄る。
「こんにちは。あの、何かご用ですか?」
何か秘密があるのよ、というレイサンダーの言葉を思い出し、かける言葉はつい固くなる。
「もうすぐ雪が降る。魔法樹を見に行こう」
「魔法樹を?」
「ああ。魔法樹の枝は初雪を受けると、美しく輝く。それを見に行こう」
黒いコートの襟を正し、アグノスは珍しく落ち着きがなかった。輝く魔法樹、ルルディは見てみたい思った。それに断ると、アグノスがしょんぼりする気がした。
「はい、見たいです。連れて行ってください」
ルルディは微笑んだ。アグノスはぎこちなく、口角を持ち上げて歩き出した。彼はルルディに歩幅を合わせてくれた。並んで歩くと
心の音が、高鳴った。
魔法樹の広場に近付くにつれ、人通りが増えていった。そわそわとした雰囲気に、ルルディの気分は上がる。
小さな小さな白い玉が、空から降ってくる。
初めて見る雪を、ルルディはてのひらで受けようと、歩きながら手を伸ばした。雪は透明になって、冷たさを肌に染みこませた。
アグノスを見上げる。彼は微笑んでいた。アグノスの笑顔を、ルルディは初めて見た。
魔法樹が見えてきた。冬でも青い葉をつけた魔法の樹が、白い光を帯びている。ルルディは思わず駆け出した。人々が魔法樹を取り囲み、白く輝く枝を見つめている。
「きれい……」
ルルディの呟きに、うん、とアグノスが隣で答える。雪の中、細かい光を発して輝く魔法樹は、ルルディが初めて見た冬の美しさ。
二人で喫茶店に入った。冷えた手をマグカップに当てる。厚手の赤いマグカップの中に、たっぷりとココアが淹れられていた。湯気が頬をあっためる。
アグノスはルルディの前に座っている。そのことを意識すると照れ臭くて、つい視線をテーブルに落としてしまう。
「初雪の降った日は、いつもジューナと魔法樹を見にきた。彼女は寒いのが苦手だったが、冬のこの日は楽しみにしていた」
アグノスが語りだした。ルルディは彼を見た。優しい瞳をしていた。
「ジューナさんって、誰ですか?」
「俺の魔女だ。かつて、愛して、婚約していた女性だ」
かつて、という声が悲しい。
「今はもういない。土の精霊の暴走をとめようとして、死んだ。不幸な事故だった。地主の男が土の精霊
に、感謝の心を忘れ貢物を捧げなかった。怒り狂った土の精霊は、男を大地の裂け目に飲み込み、それでも鎮まらず火を噴いた。ジューナは土の精霊を封印した。しかし、炎によって命は奪われた」
アグノスが髪をかきわけ、火傷の痕を見せた。
「彼女を守ろうとしたが、できなかった」
黒髪がアグノスの指から落ちて、傷跡を隠す。伏せられた目には、落ち着いた悲しみがあった。彼がジューナの死を受け入れ、乗り越える時間は、きっと長かったのだろう。
ルルディはアグノスの沈黙に、その歳月を読み取った。大人の男性が泣く姿をルルディは想像できない。けれどきっと、泣いただろう。
「ジューナさんは……どんな人でしたか?」
ルルディが問いかけると、アグノスの瞳から悲しみが消えた。
「ジューナはいつも笑顔だった。明るい笑い声を、俺にいつも聞かせてくれたよ。彼女の周囲から、喜びが広がっていった。人を幸せな気持ちにする、天才だった」
「素敵な人ですね」
愛しそうに話す声に、ルルディは微笑みかける。アグノスも微笑みを返してくれた。
「腹が減ったな。何か食べよう」
アグノスが店員を呼んで、フレンチトーストを注文した。やさしい甘さのフレンチトーストは、とても美味しかった。ジューナもこうして、アグノスと向かい合ってフレンチトーストを食べたのだろう。彼女の生きた軌跡が、ふと懐かしく感じる。まるで彼女に会ったことがあるみたいに。
不思議だ。けれど奇妙ではない。
「ジューナさんの話を聞けて、よかったです。今日はありがとうございました。とても充実した休日になりました」
アグノスとの距離が近くなり、ルルディは嬉しい。
「ルルディ、聞いてくれて、ありがとう」
目線を下げて、アグノスは照れながら言った。
*
大木が白く光るのを、レイサンダーはこめかみを押さえながら眺めた。舞い落ちる雪が樹の枝を輝かせる。
「きれいだわ」
隣に立つ少女マヤに、レイサンダーは素直に感想を述べた。人垣の向こう側で、背の高い男が、おさげの少女を伴って歩いていくのが見えた。言えば分かる男ね、とレイサンダーはアグノスを見直す。もっと頭が固いと思っていた。
「早起きした甲斐がありますでしょう」
言いながら、マヤは落ち着かず周囲に視線をめぐらしている。
「どうしたの? 誰か探しているの?」
「えぇ。わたし、好きな人がいるんです。その方を探しているのですけど……いらっしゃらないみたい」
「おバカさんねぇ、それなら、あたしじゃなくてその好きな人を誘って見に来ればよかったのに」
レイサンダーが笑うと、マヤは頬をふくらませた。
「だって、つれない方なんですもの。わたし、避けられているみたいで……心を開いてくれないの」
マヤが長いまつげを伏せる。あらあら、とレイサンダーは恋する少女の顔を眺める。
「どんな男なの? あんたの好きな人って」
「それはもう、素敵な方なんですの。黒髪の美少年ですのよ。ユーリさんっておっしゃるの。名前も素敵でしょう?」
「あら、それは興味ある」
「伯爵家の方ですから、お若いですけど立派な紳士です。どうすればわたしに振り向いてくれるのかしら……」
マヤが溜息をつく。
「恋に恋する乙女なのねぇ。そうやって、振り向かそうと追いかけているときのほうが楽しいものよ、実際に」
「あら、そうかしら?」
「お嬢ちゃんに忠告しておくわ。恋はいくらしてもいいけど、惚れてはだめよ。惚れたら女はおしまいよ」
「恋と惚れるは違うの?」
「まったく違うわ。いい男にしか惚れてはだめよ。マヤ、生き急がないことよ」
レイサンダーは腕を組み、力説した。マヤは首を傾げて、思案顔になる。
「あんた、すっごく美人になるから、きっと追いかける恋を楽しめるのは今のうちってこと。さーて、あたし、宿に戻って二度寝するわ。ありがとね、魔法樹のこと、教えてくれて」
マヤにレイサンダーはウインクを投げかけた。マヤがにっこり笑う。
「いいえ、一緒に見れてよかったですわ。では、また魔術書店エンスティクトで。ごきげんよう」
ぺこりと頭を下げて、マヤが広場から去っていく。レイサンダーは彼女の背を見送ってから、宿へと足を向けた。
「ユリアにユーリ……偶然かしら、ね」
独り言をつぶやいて、レイサンダーは肩をすくめた。まったく、この国の冬は寒い。




