第四話 サンフレイムの書3
書店に戻ってからも、アグノスの張りつめた空気は変わらなかった。クッキーを焼いて持って来てくれたり、人ごみから守ってくれたり。一見無愛想だけれど、本当は優しい人。そう信じていたアグノスの印象が、消えてしまいそうになる。
黙り込んでカウンターにもたれかかっている横顔は、人を寄せ付けない。
息が詰まる。優しい顔に戻って欲しいと思う。
「あの……アグノスさんは、自分のことをあまり話されませんよね。消防魔術師の隊長さんと知り合いだったり、とてもすごい人なんだとは思っています」
ルルディは、明るい調子で言った。
「だからあの、あたしに色々と教えて欲しいんです。アグノスさんのしてきたお仕事のこととか、いろいろ」
ルルディは精一杯の笑顔で言った。
「俺に……話すことはない。すまないが、急用を思い出したので、帰らせてもらう。渡した地下書庫の鍵の取り扱いには、気をつけるように」
アグノスはカウンターを離れていった。一度もルルディを振り返らずに行ってしまった。
あたし、何か怒らせることをしてしまったかしら。
胸の奥が痛くなる。彼の黒衣の端をつかんで引きとめ、問いただしたくなる。浮かぶ想いで頭が重く、指一本動かせない。もどかしい。
ルルディは一人、奥歯を噛み締めて誰もいない書店を見つめていた。
*
鍋の底から鶏肉をすくい上げ、ボウルに盛る。
「あなた、野菜もちゃんと入れなきゃダメだめでしょ」
身重の妻が、笑いながら言う。
「そーよ、パパ。緑色のお豆もちゃんと食べないと」
五歳になる娘が、妻の口真似をして言う。ラグゼンはうっと唸って、慎重にグリーンピースをすくい上げ、少しだけボウルに入れた。
ラグゼンは緑色の豆と相性が悪いのだ。
家族で食卓を囲んでいると、自分が昼間に危険な仕事をしていることが、嘘のようだ。そして帰って来れたことのありがたみが、腹に染みる。
「ねぇ、パパ、見て」
食事が終わると、娘が膝に乗ってきた。
片付けられた食卓に画用紙を広げ、得意げな笑顔をラグゼンに見せる。白い画用紙に、クレヨンで妻らしい髪の長い人物と、眉の吊りあがった人物、その二人の上には赤色で丸が描いてある。
「よく描けてるな。……パパの顔、ちょっと怖いが……この、丸いのはなんだ?」
ラグゼンは丸を指差して尋ねた。
「これは太陽よ。お日様の光はね、みんなを守ってくれるんですって。教会の先生が教えてくださったのよ」
ふむ、とラグゼンはうなずく。太陽の光はすべてを守る。自分も昔、教会で教えられたが、いつの間にか忘れていた。
日の光は植物も人も動物も、すべてに恵みを与えて守っている、という太陽神への信仰だ。
太陽の光、とラグゼンは呟く。
あの背中に、合うような気がした
詰め所で一人、ラグゼンは火災救助の本を手にした。若い隊員たちは訓練で出払っている。開けっ放しの窓から、野太い声が入ってくる。男ばかりの散らかった詰め所は、窓を開けておかないと、臭くてかなわない。
ラグゼンはすっと息を吸い込んだ。窓から入ってきたばかりの、新鮮な秋風を。
「サンフレイム」
本の表紙に掌をつけて、呼んだ。
熱風に吹かれて、ラグゼンは下がる。本が赤く燃え上がり、火が静まると若い女の姿があった。
「さあ、どこに行けばいいの!」
出てくるなり、女は叫んで周囲を見渡した。火の手がないとわかると、ぽかんとした顔になる。
「あれ、火事じゃないの? それにあたしのこと、サンフレイムって、そう呼んだね。助けて、じゃなくて。なぜ、どうして? さっぱり意味わかんないんだけど」
女は眉を寄せる。ラグゼンとほぼ身長が変わらない。長身で肩幅も広いが、女らしくカーキ色のズボンを履いた腰はくびれている。赤毛の短髪で、小麦色の肌をしている。
まさか女の姿で出てくるとは思わなかった。
「サンフレイム……おまえの名だ。俺がつけた。センスがないのは勘弁してくれ」
ラグゼンが言うと、サンフレイムは一歩近付いてきて、じろじろと遠慮なしに顔を見てくる。緊張を気取られまいと、ラグゼンは腕を組んで表情を固くする。
「ふーん。サンフレイム、それがあたしの名前ねぇ。変なの、あたし名前のいらない魔術書なのに。助けてくれ。その一言でいいのよ、あたしを呼び出すのには。なのに、そんな長ったらしい名前」
「不満か?」
ラグゼンの問いに、サンフレイムはにやりと笑った。
「いんや、気に入ったよ。ありがと」
ぽん、とサンフレイムがラグゼンの肩を叩く。
「まさかさ、名前なんてつけてもらえると思ってなかったから、驚いたけど。嬉しいよ。あたし、がんばるから、いつでも呼んでちょうだい。三人ぐらいは抱えて助けてみせるよ」
力強く言い、サンフレイムはにっこり笑った。太陽の光、その名に相応しい眩しい笑顔だ。
「それじゃ、魔力温存のため、あたしは本に戻るよ。ありがとう、隊長さん」
サンフレイムは本の姿に戻った。
名前をつけてください、と言ったルルディの真意がわかった。彼女はきっと、魔術書の笑顔を見せたかったのだ。
鈴が鳴る、蹄が土を蹴り上げる。真紅の一段は叫び声の方に向かって、急いでいた。
集合住宅が密集した裏路地で、火が上がった。消防魔術師隊の出動より早く、延焼しているという情報が入っている。
首筋がぴりぴりする。大火事になる胸騒ぎがした。狭い路地を通り抜け、現場に到着し、予感が当たったことを知る。四階建ての木造住宅が、燃えている。消防隊が必死の消火をしているが、隣の住宅へと火が移り始めている。
ラグゼンは号令をかけた。炎に体が触れない際まで近付き、手をかざす。到着した隊員は十人、応援を呼んでいるが狭い路地では遅れるだろう。
滝のように汗を流しながら、男たちは詠唱した。
「どうか助けてくださいっ! 子どもが、子どもが中にいるんです!」
女の叫び声にラグゼンは詠唱をしながら振り返った。隊員に女がすがりついて、泣いている。
時がきた。
ラグゼンはベルトに差し込んでいた本を出し、サンフレイム! と名を呼んだ。
一筋の光となって現れたサンフレイムは、着地すると、まっすぐに炎の中に飛び込んでいった。
あの、背中だ。
代々使ってきた火災救助の魔術書と同じ。
一切の迷いも恐れもない、救うためだけ動く。ずっとその背に憧れていた。出来ることなら追いかけたかった。恐れも迷いもない存在となり、人を救ってみたい。うらやましく、もどかしく、切ない。
詠唱の声を高める。腹からでは足りぬ、全身から声を出す。踵から上げてきた力を、口から発する。
次第に炎は弱まってきた。延焼は軽く焦げ付いたぐらいで済んだ。
サンフレイムが火の中から、飛び出てきた。
背中に一人、両脇に一人ずつ抱えている。ぐったりしているが、子どもたちは無傷だ。
母親が泣きながら駆け寄る。サンフレイムの背から降ろされた長男らしき男の子は、母親に頭をなでられた。頬がすすで汚れているが、まっすぐ立っている。一番小さい女の子は母親に抱きつき、泣き出した。つられたように、真ん中の子も母にすがりついて泣く。
サンフレイムはその様子を見て、微笑んだ。
そして、細やかな灰となった、
応援が到着し、鎮火が済んだ。消防隊が水をまく。焼け落ちた黒い煤の塊から、人が燃えた臭いがする。死亡者、怪我人は多く出たが、幼い三人の子は、魔術書によって救われた。
灰が目に入り、涙が落ちる。
サンフレイム。
もう一度、ラグゼンは名を呼んだ。
迷いがある、恐れがある。家族を持ってから、死にたくないという想いは強くなった。
それでもこの仕事を続ける。
追いかけなくていいのだ。俺には俺の仕事がある。サンフレイムの背中ではなく、笑顔を思い浮かべ、これからは詠唱しよう。
炎を、我が手に。守りの光を我が手に。
後日、ラグゼンは苦手な魔術書店に足を向けた。新しい火災救助の本を買いに。
「俺はこれから、この本をサンフレイムと呼び続けることにするよ。……俺が、名づけたんだ。忘れないためにな」
そう言うと、ルルディは微笑んだ。
「素敵な名前です。ありがとう、ラグゼンさん」
ああ、とラグゼンは答えて店を去る。
秋の柔らかな日差しに照らされ、前進する。
第四話 サンフレイムの書・完




