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第四話 サンフレイムの書2

 鈴の音が街を走る、真紅の一団がやってきた。ルルディは道の端に退いた。先頭を切って走る、ラグゼンの横顔に目を奪われる。

 足が勝手に、追う。最後尾を走っていた馬にぶつかりそうになって、ルルディの体は後ろに倒れそうになった。

 小さく悲鳴を上げ、ルルディは目を閉じる。


 固い腕に、支えられた。どこも痛くないわ、と体が斜めになったままルルディは目を開ける。


「大丈夫か?」


 低い声が頭の上でした。見上げると、アグノスの顔がすぐ間近にある。長い前髪が風で煽られた。

 いつも隠している顔の左側が、見えた。

 左目の周りから耳にかけて、皮膚が赤黒い。

 まぶたは閉じられたままで、開くことはないのだろう。熱が皮膚を溶かし、痛々しい火傷の跡を残したのだ。

 頭の奥が、カッと熱を持ったように痛くなった。ルルディは目を細める。


 あなたはあたし、あたしはあなた、と誰かが囁く。低い女性の声、かなしいような、たのしいような。


「大丈夫か?」


 アグノスが傷跡をさっと隠し、もう一度聞いた。


「ご、ごめんなさい。大丈夫です」


 ルルディはアグノスから離れ、スカートの裾を手で払うようにして直す。

 まだ鼓動が激しい。アグノスの素顔を見てしまった。そのことに触れない方がいいだろうか。気の毒な人、という目でアグノスを見て傷つけはしなかっただろうか。火傷の跡に驚いたのではなく、ふと気が遠くなり不思議な声がしたからだ、と伝えたほうがいいだろうか。弁解には聞こえないだろうか、とルルディは気を揉む。


「見に行くのか?」


 アグノスが言った。ルルディは顔を上げる。彼の表情に変化はない。いつもの、物憂げに整った顔だ。


「消防隊が気になるのだろう? 火事場を娘一人で行くのは危ない。ついて行こう」


 アグノスの大きな手が、ルルディの小さな肩を包んで守った。

 消防魔術師隊を追う少年たちの群れが、走ってくる。


「あ、あの、あたし、その、野次馬ではないんです」


 ルルディは顔を真っ赤にして、首を横に振った。魔術書が使われるか、気になってしまうだけ。


「何をそんなに恥じる? 消防魔術を見たいのだろう。先頭の……ラグゼンと言ったか。隊長を目で追っていた」


 アグノスは話しながら、ルルディの手を引いて人ごみの中を歩かせてくれた。人にぶつかりそうになったり、埋もれかけるとアグノスが引っ張って助けてくれた。

 ぷは、と息を吐く。ルルディはアグノスの導きで人ごみから抜け出し、燃える炎を見た。

 焦げ臭さと、煙が目に染みる。

 庭付きのかわいい家が、燃えている。

 隣の家の犬が怯えて、鳴いていた。若い隊員が、犬を繋いでいるロープを持ち、走っていく。犬の鳴き声が遠ざかる。

 炎よりも、隊員たちのマントの方が赤かった。ラグゼンが号令をかけると、隊員たちが燃える家を囲う。隊員たちは炎に手をかざし、詠唱する。ぴたりと重なった低い声が、炎を鎮圧していく。


 ルルディは呼吸するのも忘れて、見入った。

 屋根を突き抜けて燃えていた炎は、庭先に落下し、消防隊員に水を浴びせられ、消えた。

 家屋が一部焼け落ちたのみで、死者も怪我人も出なかった。見物に集まっていた人々が、安堵してそれぞれの場所へ戻っていく。

 鎮火の仕事を終えた魔術師たちは、真紅のマントを取り、水を飲んだり汗を拭ったりしている。

 ラグゼンと目が合った。人が散っていき、気がつけばアグノスとルルディだけが立ち尽くしている。

 険しい顔をしたラグゼンが、歩み寄ってくる。怒られるかも、とルルディは萎縮した。


「アグノス……久しぶりだな」


 ラグゼンが親しげに、アグノスに声をかけた。遠目からだと怖かったラグゼンの顔は、微笑していた。


「いつの間にか、隊長さんだな」


 アグノスが答える。背の高い男二人に挟まれて、ルルディは肩をすぼませる。


「おまえに隊長さんと言われると、なぜか気色が悪いな。彼女とは、知り合いなのか?」


 ラグゼンの視線が下に降りてきて、ルルディを見つめた。変な取り合わせだな、と彼は呟く。

 アグノスは返答しない。


「ガラマ爺さんとこの子だから……その繋がりで、おまえと関わりがあるんだろうな」


 ラグゼンはアグノスの沈黙から読み取ったように、言った。


「本は使わずに済んだ。……まだ名前をつけていない。良かった、と言うべきか……」


 名づけの約束を、ラグゼンは真摯に受け止めてくれたようだ。


「役目を果たしたら、消えちゃう本ですけど、名前で呼ばれたらきっと嬉しいと思います」


 そう言ったルルディの顔を、ラグゼンは見つめた。魔術書に感情なんてない、という扱いをする人もいる。人の姿形を作るだけ、魔力の集合体であり人ではないと。口ぶりの重さから、ラグゼンはそうは考えてはいないようだ。

 面倒臭いと流されるかもしれないと思っていたが、ラグゼンならいい名を与えてくれるだろう。


「隊長ッ! 火が復活しました!」


 若い隊員が叫んだ。ラグゼンが走る。ルルディとアグノスも駆け寄った。

 黒く焦げた柱から、赤い火の玉がにゅうと出ていた。二つの目らしい穴があり、大きく口を開けて、小さな手を伸ばしている。炎の赤ちゃんみたい、とそのつたない動きを見てルルディは思った。


「火の精のイタズラだったのか」


 ラグゼンが舌打ちをして、アグノスを振り返る。


「丁度良かった。アグノス魔術師、消防魔術師隊に協力を願う。火の精を封印してくれ」


 ラグゼンの要請にアグノスは頷き、上着の胸ポケットから文庫本を出した。皮の装丁に荒々しく炎の印が刺繍された、真新しい本だ。

 本の一ページ目にペンを走らせ、文字が詰まったページを見開いて火の精に見せる。火の精は抵抗するように短い手足を柱に巻きつけるが、アグノスに頭をつつかれるとバランスを崩した。

 本に火の精が吸収される。まん丸だった口は縦長に歪み、最後に残った足も飲み込まれていった。

 アグノスが本を閉じて、何事もなかったかのように胸ポケットに本を入れる。


「封印魔術師がいてよかった。小さい火の精が俺は苦手でな。取り逃がす」


「それはおまえが、鈍いからだろう。これぐらい、造作はないこと」


 アグノスが涼しい顔で言うと、ラグゼンがむっとする。


「その態度じゃあ、俺たちの仲間にはなってくれそうにないな。炎の封印に強いおまえなら、俺より高い地位に行けるだろうに」


「何度も言ったが、俺は組織に入るつもりはない。やらねばならない仕事もある」


 アグノスはそっけなく返し、背を向けて歩きだした。別れの挨拶もしないアグノスを、ラグゼンは呆れたような、悲しいような顔で見ている。

 ルルディはラグゼンに一礼して、アグノスを追った。


 

 教えなければならないことがある、とアグノスは重く言った。書庫に連れてこられ、ルルディは彼の背から伝わってくる責任感に、緊張していた。

 書庫の北東にアグノスが立つ。前は壁、後ろは書棚で隠された場所だ。アグノスが金色の鍵を床に落とす。床がゴッと音をたてて盛り上がり、横にずれた。アグノスが鍵を拾って床石を動かし、カンテラで照らす。細いらせん階段が見えた。

 アグノスが階段を下りる。ルルディは一段降りて、上の書庫とは違う空気を感じた。魔力の匂いが濃密だ。


 階段を降りた先にも、書庫があった。壁も書棚も床も、すべて黒い。書棚に詰め込まれた皮表紙の本は雑然と詰め込まれている。

 アグノスが黒曜石の円盤に近付いた。

 薄紫色の煙が立ち上がり、円を巻くようにうねりながら、人の輪郭を浮かび上がらせる。

 若い男が、ほくそ笑んで円盤の上に立つ。

 裾が床についた漆黒のローブをまとい、紫色の大きな目で、興味深そうにアグノスとルルディを交互に見る。目鼻立ちの美しさはエルピタに似ていた。


「獲物をよこしな」


 男は手を差し出すと、アグノスから皮表紙の文庫本を受け取った。


「なんだ、小物じゃないか。おれが食っちまおう」


 男は上を見上げて口を大きく開け、本を開いてゆすった。火の精が男の口の中に、落ちる。ごっくん、と男は火の精を飲み込み舌なめずりをした。

 熱くないのかしら、とルルディは怯えて目をそらす。


「お嬢ちゃん、こっち見な」


 男に声をかけられて、びくっとルルディは肩を震わす。


「取って食うことはしないさ。おれはベーゼ。封印書の目付け役さ。一時も外に出ることはできない。それはなぜか、姉のエルピタに聞くがいいさ」


 ベーゼは喉を鳴らして陰気に笑った。


「精霊に魔物に瘴気に、人間にお痛をした子は、みんな本の中に閉じ込められちゃうんだよ。中にはその力を利用して、魔術書に改変される奴もいる。ほんとに人間ってのは、それも魔術師というのは怖いものだなぁ。アグノス、おれはおまえが怖いぜ。なーんでも封印しちまうんだから。火の精に洪水にでっかい魔物に、それからそうだ! 大地の精霊ってのもあった。ありゃもう暴れん坊で、人を飲み込みやがってなぁ、それでおまえの女が……」


「やめろ!」


 アグノスが怒鳴った。はっきりと怒りの表情が現れた顔を、ルルディは見た。前髪が怒気で跳ね上がり、赤黒い火傷の跡が少し見えている。


「ああ、すまなかった。この話はしない方が良かったな」


 ベーゼはフードを深く被り、口元を隠して笑った。


「この番人に気をつけろ、ルルディ。この書庫には決して外に出てはならない危険な本がある。管理に気をつけるんだ」


 アグノスが落ち着いた声に戻り、髪を整えた。


「はい、わかりました」


「行こう。ここは長く居る場所ではない」


 アグノスが階段を登る。上の書庫に戻るまで、ずっとベーゼの低い笑い声がついてきた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 決して出してはならない本…もしかしたら戦争とか、そういったものでしょうか…。なにかパンドラの箱のような物があるのだろうな、とドキドキします…。
2024/05/24 22:53 退会済み
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