第四話 サンフレイムの書1
魔術書店の雰囲気は苦手だ。書物の持つ魔力に胸を圧されて、眩暈がする。魔力を帯びたものが、ラグゼンは苦手だ。自ら魔力を有していながら。
己の魔力に自信がないせいだ、と鑑みる。
理由が分かったして、自信は即座に用意できるものではない。気は重いが、職務だから仕方あるまい。
求める魔術書がもっと他の本だったら、と思いがよぎる。身重の妻のため家事を手伝う本だったら、気分は軽かった。
炎の中、特攻する姿は、目に焼きついている。
こじんまりとして、それでいて品揃えが良いエンスティクトを同僚に教えてもらった。
古い煉瓦作りの建物は老舗といった雰囲気、魔術書師の少女も愛想が良く、ラグゼンはエンスティクトを良い魔術書店だと、評価した。この本に名前をつけてください、と魔術書師の少女は真剣なまなざしで言った。まさか少女がそんなことを言うなんて、想像していなかった。
ラグゼンは少女の瞳から哀切をくみとった。 君も俺と同じことを思うのか、と問いかけようとして、やめた。
本を受け取り、名づけを了解する。
俺に良い名がつけられるのか。軽く返事をした自分を疑う。
炎の中に飛び込んでいく背中に、俺はなんと名をつけたらいい。
喚き声がした。振り返ると、少年が土下座していた。
「弟子にしてください!」
戸惑うラグゼンを、さらに悩ませる少年が、現れた。
「君の師匠が俺に言ったことを聞いたら、泣くぞ」
ラグゼンは本を小脇に抱え、早足で歩きながら言った。少年は小走りでついてくる。
「うちの師匠はそんなこと、気にしませんよ。他人に興味ってものが薄いんです。むしろオレはレジス大先生が泣いているところを見たいですよ」
「そんなことを言うもんじゃない」
ラグゼンは少年リュカを見た。
いきなり弟子にしてくれ、と土下座してきた少年は十六歳、魔術書作家の見習いだ。つんと逆立った前髪が似合う、小生意気そうな顔をしている。
「失礼、確かに今のはよくなかったな、うん。いえ、最近ちょっとまたケンカしたので、つい。だからですね、レジス大先生に学べないことをあなたから学びたいんですよ、ラグゼンさん。オレはもっと強い男になりたいんだ」
リュカは走ってラグゼンの前に先回りして、熱弁した。ラグゼンは立ち止まり、溜息をつく。妙な少年に引っかかった。
「なぜ、俺から強い男になる術を学べると思った?」
「それは、あなたの体格を見ればよく分かる。とにかく筋肉がすごいし、目つきは鋭いし、なんていうか……そう、男の中の男だ。しかも消防魔術師隊の隊長さんとくれば、強い男に決まってる」
リュカの目は光って、自分を見ている。居心地が悪い。呆れたふりをして、目をそらす。
「十六にもなって、見たままを信じるのか。世の中はそんな優しくないぞ、坊主」
ラグゼンはリュカを追い越した。
「ちょっと待って! 失礼な態度を取ったのは謝ります、突然で驚かせてしまった。でも、俺には焦る理由があります」
腕を掴まれて、ラグゼンは止まった。リュカの骨ばった指が、手首の上を強く握って離さない。話だけでも聞いてやるか、とラグゼンは早く話せ、と促した。
「戦争が始まったら、オレは兵士に志願します」
だから、とリュカは続けた。悔しそうな顔で、眉を寄せている。
「だから、強くなりたい。今のオレはひょろひょろだし、こんなんじゃ大国の兵士と戦えない。それでも、オレはこの国を守りたいんです。みんな、戦争になったら勝ち目はないという……嫌なんだ。オレは何にもせずに、ただ自分の国が負けるのは見たくない、戦いたい」
戦争が始まるという噂は、城の塀を覆う羊歯の枝葉が伸びるように、広まっていった。軍隊から、国家に仕える者たちの間で、やがて市民へと。人の口から口へと飛び移って、悪い噂は暗躍した。
巨大にふくれた噂は、やがて現実となるだろう。
「戦争に勝つために強くなるな、戦争しないために強くなれ。兵士になりたいなど、二度と言うな」
リュカの手が離れた。ラグゼンは歩き出す。
振り返らずにラグゼンは言った。
リュカはもう、追いかけては来なかった。
少年よ兵士にならず、どうか生きて欲しい。
戦争はしてはならない
ラグゼンは願う。
住宅街で火事の知らせを聞き、ラグゼンは隊員を連れて出動した。真紅のマントをなびかせ、馬を駆る。馬の首についた鈴の音を聞き、通行人が避けてくれる。
先に到着していた消火隊が、井戸から伸びた長いホースを抱え込み、放水している。
中流階級が住む、庭付きの家を赤い獣が襲っている。白い屋根を火は突き破り、壁へと赤い手を伝わせていた。火はやがて、芝生と白い柵と、バラの花壇も灰にしてしまうだろう。
炎に向かって、犬が狂ったように甲高く鳴いている。ラグゼンの耳の奥を、犬は突くように鳴く。
「おい、おまえ! あの犬をどうにかしろ、集中できん」
隊員の下っ端に命令した。若い隊員は走っていき、それから鳴き声は遠ざかった。
「並べ!」
ラグゼンの号令で、十人の隊員たちが家を取り囲んで並列に並ぶ。ラグゼンはその中央に立ち、面を炎に向けた。
俺は炎が怖い、とラグゼンは熱さに思う。
すべて燃やし尽くす炎は怖ろしい。
目を閉じて、両手を炎へとかざし、詠唱をはじめる。
炎を我が力へ、という低い男たちの唱えが、炎を押さえ込んでいく。
消防魔術師は、生まれながらに炎の力を身に宿した者たちだ。暴れる炎を、体の中にある炎の力に吸いこむのだ。
炎を我が力へ、炎を我が力へ。
男たちは汗を滴らせ、あらがう炎を押さえつけ、我が物とする。
火力は弱まり、小さくなった火を消火隊が消した。
家はリビングが焼けただけで済み、幸運にも住人は留守だった。
ラグゼンはマントを取り、汗を拭った。
誰も死ななかった、失われるものも最小で済んだ。それに、まだ名をつけていない魔術書の出番ではなく、良かった。
ラグゼンは焼け落ちた屋根を見つめた。きゃんきゃん鳴く犬の声が近付いてくる。若い隊員が犬を連れて戻ってきた。
やたらめったらと鳴く小さな犬に言ってやりたい。おまえは番犬として役目を果たし、餌をもらってかわいがってもらえるのだろう。
火事現場で利用される魔術書は、仕事を終えたら消えてしまう。炎の中に飛び込み、人を抱きかかえて帰ってきて、そして燃え尽きて灰になる。
ラグゼンは魔術書が灰になったのを見て、いつも隊員たちに気付かれぬように少し泣いた。灰に目が染みて、仕方がない。
助けて、という呼び声一つで現れ、何のためらいもなく身を焦がして人を救い、そして消える。ありがとう、の声も聞かずに。
犬が、鳴きやまない。




