第三話 アルパの書5
マヤが本を買いに来た。彼女のお目当ては、新刊の恋愛小説である。麗しい恋愛の良さを熱心にマヤが語ってくれたが、ルルディにはさっぱり分からない。
「わたしが好きになる人は、いつも年上の人なの。同い年の男の子はダメね、幼稚だもの」
買ったばかりの本を胸に抱き、マヤは溜息をつく。あたしはお子ちゃまだわ、とそれを聞いてルルディは少し落ち込んだ。
「こんにちは」
快活な挨拶と共に、ユーリが来店した。
ルルディは姿勢を正して、いらっしゃいませ、と出迎える。ユーリの持つ気品は、自然と人の居ずまいを正す力がある。
「ガラマお爺さん、いないの?」
ユーリがカウンターの前に立ち、尋ねた。
「はい。さっき、レジスさんのお家へ出かけられました」
「……そうか。行き違いになったみたいだね。レジスの家って、南町の方だったよね?」
「そうですよ。地図を書きましょうか?」
ユーリは引っ越してきたばかりだ。レジスの家は南町の路地裏にあり、迷いやすい場所にある。
「わたしが、ご案内しますわ」
マヤが言った。彼女のユーリを見る目が、きらきらと輝いている。
「えっと、お嬢さんは、どちらさま? 僕はユーリです」
「わたしは刺繍師のマヤと申します。ユーリ様、よろしくお願いします」
スカートの端をつまんで、マヤがしとやかにお辞儀をした。声は早朝の小鳥のよう、さきほどまで溜息をついていたマヤと雰囲気が違う。
「これはどうも、ご丁寧に。では、マヤさん。お言葉に甘えて、案内してくれますか?」
ユーリが微笑むと、マヤの頬が桃色に染まる。うっとりと瞬きをして、マヤは頷いた。
「はい、もちろんです! さぁ、参りましょう。ルルディ、またね」
マヤがユーリを導くように、歩き出す。
ユーリはルルディに会釈をして、マヤに続いた。いってらっしゃい、とルルディは見送る。
お子ちゃまにも分かる。マヤはユーリに一目惚れした、と。
「絵本の中の王子様みたいだもんね、ユーリさんって。それに、年上だし……」
マヤが好きになるのも、納得だ。彼女の新しい恋を応援しよう、とルルディは思う。
また、ドアが開いた。いらっしゃいませ、と笑顔で出迎えた客は、マリエだ。彼女の後ろには、アルパがいた。歩いてくる姿は、売りに出したときより、生き生きとして見えた。
肌の血色がよく、前を向いて歩いている。
「こんにちは、ルルディ。今日はね、あなたにお礼を言いにきたの」
マリエが微笑んで言った。
「お礼、ですか?」
「えぇ。この子、アルパを選んでくれて、ありがとう」
マリエの隣で、アルパは笑っていた。彼は緑色のエプロンを着せてもらっている。
「そうおっしゃって頂けて、こちらも嬉しいです。アルパはマリエさんと出会えて、とても良かったみたいね」
ルルディが言うと、アルパは深く頷いた。
魔術書が持ち主の孤独に寄り添った。持ち主の想いは、魔術書の力となった。
ルルディは誇らしい。二人を出会わせて、良かった。
「それで、あたしね。もう一度、魔術書を書こうと思うの。この子が、あたしに書いて欲しいって、そう言ってくれたのよ」
マリエがアルパの肩を抱いて、引き寄せた。マリエを見上げて、アルパはにこにこしている。
「マリエさんは、魔術書のことを、とても想ってくれます。だから、書いて欲しいんです」
アルパが言うと、マリエの笑顔に照れが混じる。
「だから、またお世話になりますって。そう、ガラマお爺さんに伝えてね」
「はい、伝えておきます!」
ルルディは、はつらつと答えた。
*
野良猫の鳴き声に、ユーリは怯えた。震えを悟られぬよう、テーブルの下に手を隠す。
窓の半分を、積まれた本が隠している。狭い室内は薄暗い。正面に座っているアグノスは、影に隠れて手元しか見えない。節の目立つ大きな手だ。
自分の手は小さい、とユーリを卑屈にさせる。
「私の冷気など、あの城に必要なかったのだよ。私よりも冷ややかで、怖ろしい気で城は満ちている」
ヒモナスが言った。足を組み、尊大に彼は座っている。
「そのことに誰も気づかない、ということが私は怖ろしいね。人間は自分の信じたいことしか、信じない。戦争が始まるかもしれない、と深刻な顔で噂しながらも、楽観している。そんなことが起きる訳ない、と」
ヒモナスが笑う。彼の唇の歪みから、ユーリは目をそらす。街に来てから、重々感じていることだ。言葉にされて、のしかかってくる。
「……何としてでも、止めねばなりませんな」
ガラマの深い声で、ユーリははっとした。
悲観している場合ではない、気付いた者が動かなければ。
「はい。必ず、阻止します」
ユーリは顔を上げて、言い切った。
「僕らなら大丈夫さ。な、アグノス」
レジスが陽気に言った。姿勢を変えたアグノスの顔が、半分見えた。彼は頷く。
賢人ガラマと、封印魔力に長けたアグノス、
人気魔術作家のレジス。三人を選択したユーリの目に狂いはない。心強い協力者がいる。「ところでユーリ。あなた、目立った行動はよくないですよ。リュカの小僧とケンカなどしては、いけません。小童の相手などして、あなたらしくない」
ヒモナスに忠告されて、ユーリは顔がひきつるのを感じる。
「……すいません。つい」
ユーリは縮こまる。
「いいんですよ、少し羽目を外されても。リュカは良いケンカ相手です、お好きになさい」
ガラマが笑って、とりなす。
「いや、しかし。あなたの品位に関わる」
ヒモナスは納得しない。
「若いときは、やんちゃなぐらいがいいのさ。な、アグノス」
レジスがアグノスに問いかける。
「怪我は、しないように」
アグノスに注意され、ユーリは素直に頷く。
「はい、気をつけます」
初対面で言い合いになったが、ユーリはリュカのことが、嫌いではない。同じ年者同士、話してみたいこともある。
「僕はこの街の人たちを、もっと知りたいと思っています。守るべき人たちを、知りたい……」
ユーリは言って、窓を見た。橙色の夕陽が差し込んでいる。
光を、街から奪ってはいけない。
第三話 アルパの書・完




