第三話 アルパの書2
ルルディはエルピタに、お手伝いの本を探してもらった。
「マリエ・ローザのことならば、よく知っていますよ。彼女の書いた魔術書を、何作も鑑定したことがあります」
エルピタの話を聞いて、心強いとルルディは思う。
「なんだかマリエさん、とても寂しげなんです……お一人で暮らしていらっしゃるようですし、お手伝いの本を欲しいとおっしゃったのは、忙しいという理由と、家に誰かいて欲しいから……そう、感じました」
年上の女性なのに、ふと幼く感じられた横顔のマリエ。もう魔術書は書いていないと言っていた。どうしてだろう?
「成長しましたね、ルルディ。お客さんのことが、よく分かるようになってきましたね」
エルピタが誉めてくれた。まだまだです、とルルディは謙遜する。
「マリエは、魔術学校で十歳ぐらいの子を教えています。子ども好きな女性なのです。アルパ、いらっしゃいな」
エルピタに名を呼ばれ、金色の光を帯びた魔術書が飛んできた。ルルディは魔術書を捕まえた。掌サイズの文庫本だ。黄色の表紙で、書名はホウキと鍋の文様で囲まれている。
掌に、本の持つ温もりが伝わってきた。控えめだが、優しい光を感じる。
「アルパは幼い少年の姿ですが、掃除にお洗濯、なんでもこなしますよ。お料理も上手です。ただ、少し気が弱い子ですが」
エルピタの説明も聞き、ルルディはマリエに薦める本をアルパと決めた。直感で、この子が良いと思ったのだ。
アルパの書を手にとったマリエは、吟味するように表紙をなでた。少し警戒した声で、アルパ、と彼女は呼んだ。
文庫本の魔術書が、少年の姿となった。
年は十歳ぐらい。華奢で、くりくりとした茶色の目をしている。彼は小さな肩をすぼめて、怯えていた。マリエと目を合わせようとしない。生まれたての小鹿みたいで、かわいそうで可愛い、とルルディは思った。
マリエは不安そうな顔で、アルパを見つめた。初めて一人で外に出た子どもみたいな顔た。
彼女はゆっくりと微笑んで、アルパの手を握った。
「アルパ、今日からよろしく。一緒に来てくれるかしら?」
アルパはマリエを見つめた。潤んだ瞳で懸命にマリエを見ている。
「ぼくを選んでくれて、ありがとうございます。精一杯、がんばりますから、よろしくお願いします」
か細い声でアルパは言った。
「うん、じゃあ、行こうか」
マリエがアルパの手を引いた。マリエの声まで小さくなっている。魔術書の代金を払ったマリエが、ルルディに笑顔を向ける。
「ありがとう。うちの家、狭いから小さい子で助かるわ。またね」
小さく手を振って、マリエはアルパの手をしっかりと握り締め、歩いていった。
「ありがとうございました!」
直感で、アルパが良いと思ったけれど。
大丈夫かなぁ、と後から不安になるルルディだった。
*
集合住宅の一室に、マリエは住んでいる。木造住宅の軋みは一日中聞こえてくる。ベランダが朽ちて通りに落ちるという事件があった、古く傷んだ建物だ。
増え続ける蔵書が、もろくなった床板を圧迫をしているのを感じている。捨てられない物たちで溢れた部屋を、片付けなければ下の階に住む住人を殺してしまいそうだ。
それでも、引っ越せない。
小部屋に、作家だった頃の思い出が、あるから。
錆びた鍵穴は、相棒である鍵を忘れかけている。差し込んでから数回まわさないと、開かない。
魔術書のアルパは、ぎゅっとマリエの手を握り締めたままだ。
これじゃあまるで、親子じゃない。
道を歩いている途中、そう思って何度も手を離そうとしたが、できなかった。アルパが寂しがることを恐れて。
やっとドアが開いた。脱ぎっぱなしの靴たちを踏み潰し、マリエは室内に入る。アルパと靴を飛び越えて部屋に入り、周囲をうかがった。
みるみるうちに、アルパは青ざめていく。
やっぱり子どもね、素直だわ、とマリエは笑う。
ソファーを埋め尽くす衣服、飲みかけのマグカップが倒れて、絨毯に黒い染みができているのにそのまま、ゴミ箱から溢れている紙くずたち。
「掃除は、どうも昔から苦手で。ごらんの通り、ひどいでしょ。一応、あたしにも自覚はあるのよ。もう遅いし、掃除は明日からでいいわ。たぶん、一日じゃできないし。今日は、夕飯だけ作って」
はい、とアルパは素直に答えた。
台所を見つけると、ちょこまかと走っていく。
本当に小さいなぁ、とマリエはその後姿を見て思う。生徒は決して部屋に入れない。危ないから。子どもが部屋にいる、というのは新鮮だ。
「……あの、食材がないです」
アルパが台所から戻ってきて、申し訳無さそうに報告する。
「そうだった。買い物に行くの、忘れてたわー」
アリエは、黄ばんだ壁にかけられた時計を見た。夕方前だ。賑わった市場にこの子が買い物に行くと、誰かに踏んづけられてしまうかもしれない。
「じゃあ、買い物行ってくるから、お留守番しててね。ゆっくり休む場所……はないだろうけど、服の上に座ってくれていいから」
マリエは立ち上がり、買い物袋を手にした。
「ぼく、荷物持ちぐらいはできます」
ついてきたアルパの頭を、マリエはぽんぽん、と軽く叩いた。
「いいの。留守番、お願いね」
アルパはいってらっしゃいませ、とお辞儀をした。
誰かに見送られて家を出るのは、久しぶりだ。心持ちか、動く足が生き生きと感じられた。
両手に荷物を抱えて、マリエは帰ってきた。
ただいま、と声をかけるが返事はない。買い物袋を置いてリビングを見ると、ソファーでアルパが寝ていた。
ソファーが茶色だった、ということをマリエは久しぶりに確認した。
服はきれいに、畳まれていた。マグカップは片付けられ、絨毯の黒い染みは薄くなっている。
ソファーの肘かけに頭を乗せ、アルパはよく眠っている。細い足を折りたたんだ寝姿は、小鹿みたいだ。
なんだかこの子を見ていると、切なく、愛しい気持ちになる。
額にかかる前髪を、マリエはそっとすくった。目と口を固く閉じた、安楽の感じられない寝顔だった。この子は、姿だけ子どもだ、とマリエは胸を突かれる。
この子を書いた作者は、知らない。知りたくも、会いたくもない。けれど、どんな思いでこの子を書いたかは、聞きたい。
どうしてこんなにも、気を遣うかわいそうな子なの?
アルパが目を開いた。マリエを見ると驚いた顔をして、慌てて起き上がる。
「ご、ごめんなさい! ぼく、すぐに夕飯を作ります!」
アルパが台所へ走っていく。
そんなに慌てなくてもいいのに、というマリエの声も聞いていない。
アルパが作ってくれた食事は、とても美味しかった。マリエが目につくまま買ってきた食材を、トマト煮込みのキチンに、グリーンサラダ、きれいな形のオムレツという栄養があって美味しい料理に変えてしまった。
マリエの食事中、アルパはソファーの隅っこに座って、うとうとと頭を揺らしていた。
左右に振られる小さな頭を見ながら、マリエは食事をした。




