序章
序章
解錠の音が聞こえた。腰を丸く屈めた老人が、細長い扉の鍵穴にさびた金色の鍵を差し込んでいるのを、ルルディは見つめていた。
扉は小さい。小柄なルルディに、寸法を合わせたかのようだ。ぎぃぎぃと音を鳴らし、重々しく扉が開く。
老人は鍵を握り締め、ルルディを振り返って目配せをした。ルルディは軽くうなずく。
老人の髭と、肩を覆う長い頭髪は真っ白だ。長い眉毛が垂れた隙間から、青い瞳が優しい光を帯びて、ルルディを見ている。
あたしの名はルルディ、このおじいさんはガラマ。教わったばかりのことを、ルルディは心の中で唱える。
「中は暗いから、気をつけてな」
ガラマお爺さんがランプを掲げて言った。
「はい、ガラマお爺さん」
ルルディは真剣な声で言い、抱きかかえていたランプを片手に持って、扉をくぐる。
小さな入り口から、大きな空間に出て、ルルディは驚いて目を丸くした。視線をめぐらせた場所にあるのは、すべて本だ。天井まである棚に、本が隙間なく並べられている。壁一面、視界をおおう本たちを、青白い光が照らしていた。この光は不思議、とルルディは思う。緊張で強張っていた肩の力が、すっと抜けていく。
本棚と本棚の間を、ガラマお爺さんに誘導されて、歩いていく。
囁く声が、間近で聞こえた。ルルディは耳を澄ます。今度は反対側から、咳払いがした。
ルルディは首を回して、声のした方をぐるりと見る。人の姿はない。呟きは大きくなり、騒がしくなった。落ち込んでいるような悲しい声、怒りっぽい声、冷静な声、明るい声。すべて、本から聞こえてくる。
ルルディの目の高さにあった本が、かすかに動いた。
「ねぇ、ガラマお爺さん、あたしの出番はまだ? ねぇ、まだ?」
本はカタカタと音を鳴らしながら、ガラマお爺さんに話しかけた。
「まぁ、落ち着きなさい。そのうち、おまえの買い手がつくからね」
ガラマお爺さんになだめられ、本は静かになった。
無数の魔術書たち。
力を表紙の内に秘め、息づいている。
急に開けた場所に出た。
真っ白な床に、複雑な魔方陣が描かれていた。その中央の台座に乗せられている水晶玉は、呼吸をしているように青白い光を明滅させている。
「ごきげんよう、エルピダ」
ガラマお爺さんが声をかけると、水晶玉が強く光り輝いた。光は末広がり、青白く人型の姿に浮かびあがる。徐々に光の輪郭は強くなって、女性の姿となった。
白銀の長い髪を銀の髪飾りでまとめ、ゆったりとした法衣をまとっている。目の端から優美さが、薄く形の良い唇からは、慈しみが零れ出る。気品のある物腰の、美しい巫女だ。
ルルディは、ふぅ、と息を吐いて見蕩れた。
「ようこそ、導師様。魔術書をお探しですか?」
エルピダが澄んだ声で、ガラマお爺さんに問いかける。
「うむ。お城から注文があってな。ヒモナスの魔術書を……」
「あんな強力な冷気の魔術書を?」
「この夏は暑いから、城全体を冷やそうとすれば、普通のものではだめなのだろう」
「かしこまりました。彼は強力ですが、性格の方にかなり問題があるので扱いにはお気をつけ頂くようご説明くださいませね。ところで、今日は珍しいお連れ様とご一緒ですのね」
エルピダの視線が、ルルディに向けられる。にっこりと微笑みかけられ、ルルディは照れ笑いを返す。
「ルルディといってな。これから、店を手伝ってもらうことになった。私も歳だから、この書庫の手入れもこの子に任せようと思っている」
「なるほど、可愛いお手伝いさんですわね。魔術書にもいろんなのがいるから、最初は大変だと思うけれど、私も手伝うから頑張りましょうね。ルルディ」
「はい、よろしくお願いします!」
ルルディは元気よく答え、二つの三つ編みを揺らしてぺこりとお辞儀をした。
偉大な魔術師によって書かれた本は、人の姿と意志を持った魔術書となる。
エルピダの美しい姿と、力の威厳にルルディは圧倒された。書庫にひしめく無数の本たちの力を、皮膚に感じる。びりびりと痛いほど。
すごいわ、とルルディは胸の前で手を組んで、呟いた。
ガラマお爺さんとエルピダが、顔を見合わせて微笑みあう。
*
朝から日差しが強く、汗ばむ日だった。
少女は書店の住居空間で、目覚めた。小さい部屋、小さな寝台。小さなドアを開けると、お爺さんがいた。
はてな、と少女は首をかしげた。
あたしは一体、誰かしら。
そして、このお爺さんは誰かしらね。
部屋の隅に、小さな鏡が置いてあった。そこには、栗色の三つ編みを肩に垂らし、青色のワンピースを着た、女の子がいる。青色のまあるい二つの目を、ぱちぱちと動かす。
これは、あたしの顔だわ。
あたしは誰かしら?
どうしてここに、いるのかしら。
少女が突っ立っていると、ガラマお爺さんが席に着くように言った。
「おはよう。君の名前は、ルルディだよ」
おじいさんは言った。ルルディ、と少女は名前を口の中で転がし、飲み込んだ。
うん、これはあたしの名前だわ、と少女はうなずく。とてもしっくり、きた。
「わしの名は、ガラマだ。魔道書師のガラマ、そしてここは、魔術書店のエンスティクトだよ」
ガラマお爺さんは、ルルディに話して聞かせた。
魔術書とは何か、この書店の役割、そしてルルディがこれからすべきことについて。
魔術書とはガラスペンで呪文が書かれた魔力をこめた本で、魔力がない人間でも手軽に魔術の力を利用することができる本もあれば、魔術師しか使えない本など様々で、使うときは一回きりで消えてしまう本もあれば、強力な魔力がこめられた本は人よりも長く生きることもある。
本の使い方は魔術書の名を呼ぶと人の姿、あるいは精霊や動物の姿となって力を発揮する。
「おまえさんには、私の仕事を手伝って欲しいのだよ。ルルディ、おまえさんは魔術書師見習いだ」
ルルディはガラマお爺さんから聞かされたことを、一つ一つ時間をかけて飲み込んでいった。
魔術書店エンスティクトは、魔術書師ガラマが経営する老舗書店である。人気作家の魔術書はもちろん、貴重な魔術書及び素人が書いたような珍品まで取り揃えている。
ガラマは魔術書師界では重鎮とされ、多くの魔術書師たちの信頼を得ている。
魔術書師は魔力を持った本の管理をし、お客さんが求める本を提供するのが役目だ。
「さて、さっそく、書庫を見てもらうかの。ついてきなさい」
ガラマお爺さんに連れられて、多くの魔術書にルルディは迎えられた。
こうして、ルルディの魔術書師見習いの日々が、始まった。
*
魔術書師の一日は忙しい。ひっきりなしの来客に対応し、仕入れた本を整理して、店と書庫を行ったりきたりだ。
ガラマお爺さんの指導の下、ルルディは魔術書師の仕事を覚えていった。
お客さんから希望する本の内容、用途、予算を聞いて書庫へ行く。エルピダに注文内容を伝え、蔵書の中から該当する本を選出してもらう。
そして、お客さんに吟味してもらう。
実際に本の力を見てもらうため、ルルディは魔術書を開き、名を呼んだ。しかし、姿を現わさない。頁がかすかにめくれる気配すらしないのに、ガラマお爺さんが名を呼ぶと、白い霧と共に魔術書からほっそりとした女性が飛び出てきた。
気位の高そうな女性は、ルルディに一瞥もくれない。
「仕方あるまい。まだ、おまえさんは習いたてだ。焦るでないよ」
肩を落としたルルディを、ガラマお爺さんは笑いながら慰めてくれた。
まだまだ出来ることが少ない見習いゆえ、ガラマお爺さんの周りを、ちょこまかと動きまわることしかできない。本を取りにいったり、しまいにいったり。
「おまえさんが、一人前のことが、一つあるよ」
ルルディが魔術書師見習いとなって三日経ったある日、ガラマお爺さんがにこにこと
微笑んで言った。
「本当! ねぇ、それはなあに?」
ルルディが胸をときめかせて尋ねると、ガラマお爺さんは、ふと真剣な顔になった。
「それはね、おまえさんの元気の良い挨拶と、笑顔だよ。お客さんから、とっても評判がいいんだ。私も、おまえさんの笑顔には適わないさ。その笑顔を忘れてはいけないよ」
ガラマお爺さんは、そういってルルディの頭を撫でた。
笑顔。自然と、溢れてくる。お客さんが来てくれると、嬉しくて。人と会えること、話せることが、嬉しくて。
「えぇ、わかったわ、ガラマお爺さん。まずは、できることから、しっかりやっていかないと」
ルルディは笑顔で、元気良く答えた。
魔術書店の扉が開く。
「いらっしゃいませ!」
今日も、はつらつと、ルルディの笑顔は輝いた。




