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読んでも読まなくてもどっちでもいい

とっぴょうしのない生活

作者: 阿部千代

 ラヴ・ユー・ベイビー。いかれた女。脚を絡ませ、離してくれない。まるでタコだ。このタコ! おまえはいけないタコだな! 無様で不躾で不埒なタコだ、オウ、こいつは……すげえ吸い付きだ。わお。わおわおわお。ちくしょう、離せタコ! ダメだ、これ以上は……よくない、こんなのってよくないよ。貴様、タコめが。茹でて、ぶつ切りにして、酢ときゅうりとワカメと和えてやろうか。それともたっぷりのオリーヴオイルとニンニクと鷹の爪でアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノギリシャ風ってのも美味そうだ。


 三日時間をください。明石のタコなんかより、もっと美味いものを食わせてやりますよ。


 そ、それにしたって、このウネウネとうごめくアレはどうだい……どうなんだい……まるで、オイ、オイ、オイ、イソギンチャクだぜ。イソギンチャクに指を突っ込んで、ぬっぷぬっぷとしてやると、ぴゅーって潮を吹くんだ。磯遊びって本当に楽しいよな。岩場をひょいひょい歩いてさ。大量のフナムシどもが、さーっと一斉に大移動する様は、まるで、まるで……うーん、イイ感じの例えが思いつかない。いや。いちいち例える必要なんてないんじゃないか。大量のフナムシどもが、さーっと一斉に大移動していった。これでいいじゃん。通じるよ。めっちゃ通じるって。変な例えなんかよりこっちの方がいいって。変な修飾を施す必要なんてないって。もういいって。いって、早くイッちゃってよ!


 三日時間をください。イソギンチャクをなんとか食えないか、研究してやりますよ。


 ふう。突然冷静になってしまった。まるで身体から余計な悪いものを吐き出したみたいな、そんな気分だ。美代子のやつ、急に、今日は阿佐ヶ谷気分なの、なんて言って、どこかに出掛けちまった。やることないから、あのちゃんのMVをずっとみている。あのちゃんは最高だよ。あのちゃんをもっと見せろ! 曲? 曲も可愛いよね。でも舌を出したり、寄り目になったり、顔を歪ませているあのちゃんが素敵なんだ。ゲロが好きなのもいいんだよ。そうだよ。心の闇とか、病んでるとか、益体もないことを言ってないで、さっさとあのちゃんみたいに昇華させちまえって話なんだよ。で、さっさと病院行って薬もらってこい。おまえ、治す気あるのか? まともな自分で外に出るのを怖がっていたら、あっという間にジジイババアになっちまうぞ。


 どこの馬の骨か知らんが三日も必要とはな。私なら一日でじゅうぶんだ。うわーはっはっは!


 美代子は嘘をついていた。阿佐ヶ谷気分ではなく、雑司ヶ谷気分だったのだ。鬼子母神堂から並木ハウスへ。小春日和の陽光の中、美代子は「まぶしっ」小さく呟いた。うっかりしていた。日焼け止めを塗り忘れてしまったのだ。自分のうっかり加減に今更ながら嫌になる。もちろん日傘も忘れていた。またシミができちゃう。もう嫌だ。すべてが嫌だ。こんな暮らし。ワンルームマンションでのせせこましい暮らし。カルディで買ったわけのわからない調味料がキッチンに並んでいく暮らし。ニトリの安家具に囲まれた暮らし。もっとわたしはキラキラしたい。ロックバンドのグルーピーにでもなって、ドラッグとセックスで人生を彩りながら、キャンピングカーで全国をまわりたい。でも、もうロックンロールすら夢を見させてくれなくなった……。流行りの曲じゃ踊れない。テンポが速すぎて……。ちゃかちゃかしてて……。まるで小動物の交尾みたい。みんなせかせか腰を振って、あんなんで気持ちよくなれるのかな。

 一方そのころ、慎一はワンルームマンションの中でせせこましく、せかせかとせんずっていた。

 このタコ! おまえはとてもいけないタコだ! さかりのついたタコだ! この! これでもか! うん! うん! 参ったか! この! 参ったなら参ったと言わんか! タコめ! なまめかしいタコ! イカす! イカしてる! タコ? イカ? どっちでもいい、うおおおおお!

 と、そこで玄関のチャイムが鳴った。美代子? クソ、いいところで。今ここ、って時だったのに。ムードが台無しだ。もうお終いだ。美代子、美代子! いけない子だ! めちゃくちゃにしてやる! 美代子!

 ジッパーを上げて、玄関のドアを開けた。見知らぬ男が立っていた。「あんただれ?」

「えーと、明石のタコより美味いもののお届けです。サインください」


 夜。

「これ美味しいね」

 美代子が満足げに言って、発泡酒をあおった。

「なんか明石のタコより美味しいって話だけど、どう?」

 そんな美代子を満足げに眺めながら、慎一が言った。

「わからない。明石のタコ食べたことないもん」

「そうなんだ。おれも」

 ふたりはそう言って笑い合った。美代子はすっかり熊谷気分になっていた。

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