悪役令嬢は善役令嬢にハッピーエンドを送りたい
「アライア、人生とは決められているのです」
何時も活発なお母様らしくない、無気力に近い言葉に、アライアはただ、弱々しいお母様の手を握ることしか出来なかった。
「何を言ってますの? 大丈夫です。お母様はきっと……」
「私が死ぬのもきっと運命だったの」
良くなります、という言葉は遮られ、お母様は無感情に続ける。
「この世界はね、乙女ゲームの世界なのよ」
「おとめ、げえむ?」
「そう、それで私は悪役令嬢だったの」
この山奥に二人きりで暮らす自分とお母様の秘密が今明かされようとしていて、アライアは必死に耳を傾ける。
薬を調合して、村の人に良くしてもらいながら日々を細々と生きているアライアとお母様。しかしアライアは、お母様の所作が美しい事に常に疑問を抱いていたのだ。
「私は、リティラミー伯爵令嬢として生きていました。王族であるスティーブン様と婚約もしていて、順風満帆だったわ」
お母様の顔は、今はもう届かない過去に懐かしんでいる様だった。
「だけどいつからだったかしら、殿下の側に、平民の女が侍るようになったの。もう気づいたときには遅くて、殿下はその女に溺れていたわ。そこで私は、乙女ゲームを思い出したの」
ギリ、とお母様の眉間にシワが寄る。
「乙女ゲームの中では、私は悪役令嬢だったのよ? そしてあの女がヒロインだった。許せなかった、どうして正しい私が悪役にならなければならないのか」
「お母様……」
「だから私、その子をいじめたりもしないで、頑張って生きて、殿下と、結婚出来て、あぁ、私はもう乙女ゲームに縛られなくて済むんだって安心したの」
言葉は少ないが、それがどれだけ大変だったか、お母様の苦痛に滲んだ声が何よりも雄弁に語っていた。
アライアはキュッと唇を噛む。お母様の話しはここで終わりじゃない。ここで終わりなら、今アライア達はこんな風に生活していない。
「貴方を身籠っている間、殿下からの扱いは酷くて、貴方の為にもと、実家に帰らせて欲しいと懇願しに行ったの。そうしたらね、あの女と殿下が一緒にいて、私、もう我慢できなくてあの女を突き飛ばしてしまったの」
アハ、と全てを諦めた顔でお母様は笑った。
「それからは早かったわ。あの女にも、赤ちゃんが居たの。それで、危うく流産する所だったって、詰められて、いつの間にか国外追放されて、ここで、貴方を生んだの」
言葉が、出てこなくて、アライアは静かにお母様の言葉を聞くことしか出来ない。
「でも私、ここでの生活も幸せだったの。愛する貴方もいるし、もし殿下に毒が盛られたときの為に勉強していた薬草学のお陰で、二人だけでも生きてこれたから」
ほとり、はたり、とお母様の目から涙が溢れる。それは自分への悲しみというよりは、慈しみと悔しさを感じる涙だった。
「けどね、乙女ゲームは終わりではなかったの。最近になって思い出したの。あのゲームに続編があったことを。続編ではね、ミリティアーナというあの女と殿下から生まれた女がヒロインで、アライアという、昔追放された母を持つ、今はその母の父に見つけ出されて伯爵令嬢として暮らす令嬢―――貴方が悪役令嬢の話が始まるのよ」
お母様のアライアを握る手の力が弱まっていく。
「お母様っ!」
「きっともうすぐ、私のお父様、貴方にとってのお祖父様が迎えに来るわ」
お母様の声が、呼吸音が小さくなっていく。
「あぁ、本当にどうして、私達はこんなに苦しまないといけないのでしょう。
――ただ生きていただけなのに」
ふっと、力が抜ける。息をしていないまだ暖かいお母様を抱きしめ、アライアはただ泣くことしか出来なかった。
お祖父様が迎えに来る1ヶ月前、アライアが10歳の頃の記憶だ。
❖❖❖
お祖父様に表面上は養子として引き取られたアライアは、16歳になっていた。
「おはよう、ミリティアーナ」
「おはようございます、アライアちゃん」
そう、何を隠そうアライアとミリティアーナは傍から見たら親友とも呼べるような関係を築いている。
亡くなったお母様の日記には、こう書かれていた。
『殿下は、他の令嬢とは違う、馴れ馴れしさのようなものが気に入ったのかもしれない』
だから、王女であるミリティアーナには本来、不敬とも取られる様な行動を、アライアは取っている。アライアの予想どうり、ミリティアーナは他の人とは違うアライアによく懐いた。
「私、アライアちゃんの事、大好きですよ」
虚をつかれて、一瞬言葉に詰まる。だけど直ぐにミリティアーナを抱きしめ、笑った。
「そんな可愛いこと言うミリティアーナは、抱きしめちゃう!」
「ふふ、苦しいですよアライアちゃん」
……ミリティアーナの事を少しだけ愛おしいと、アライアは思っている。だけどお母様の為にも、その気持ちには蓋をした。
「あ、そういえば、アライアちゃんが家に来るのって今週ですよね?」
「そうそう。ミリティアーナの部屋行くの楽しみだな」
「私も、とっても楽しみです」
ふふふ、と笑い合う。
―――眩しいその笑顔に、少し心臓が傷んだ。きっとミリティアーナは知らないだろう。親友だと思っている女が、自分の父と母を殺そうと考えてるとは。
お母様の話を聞いた限り、どうあがいてもアライアは断罪されるのだろう。それならばいっそ、お母様の敵を取りたいと思うのが親孝行じゃないのだろうか。
「楽しみだなぁ」
本当はそんな日なんて永遠に来なければいい。
❖❖❖
「お招きありがとうございます。アライア·リティラミーと申します」
リティラミー、という名を聞いた瞬間、僅かに国王の顔がキョドったのを、アライアは見逃さなかった。
アライアの鞄には、包丁を一本忍ばせている。お母様の日記には、王城に住んでいた頃のも書いてあって、国王と王妃の就寝部屋までの隠し通路も記されていた。それを使って向かうつもりだ。
夜、アライアとミリティアーナは同じベッドの上で寝る準備をしていた。
「ご飯も凄く美味しかったし、お庭も凄く綺麗だった」
「良かったです」
もぞもぞとミリティアーナがベッドに潜り込んで、アライアを見上げた。
「―――私、アライアちゃんと友達になれて、本当に良かったですよ」
「……あっ、わ、私も」
その言葉だけは、アライアの本音だった。
ミリティアーナが寝たのを確認してから、ひっそりとベッドから出る。クローゼットの奥に隠された扉を開いて、真っ暗な闇をかけていった。
「はぁっ、はぁ」
音が聞こえないように気をつけながら息を整える。そして、二人が眠るベッドへそろそろと近づいた。
……二人が死んで、それを殺したのがアライアだと知った時、ミリティアーナはどう思うだろうか。ツキン、ツキンと心臓が痛い。
だけどもう、後戻りは出来ない。
「はぁはぁ」
心臓の脈打ちが大きくて、狙いが定まらない。
「ふぅ、はぁ」
頭がズキズキと傷んで、視界がブレる。
呼吸が荒くなって吐きそうだ。
包丁を振り下ろそうとした、その時。
「アライアちゃん」
息が、止まる。
「嘘、なんで……」
「――様子が可怪しかったので」
あぁ、大好きな人に見られてしまった。殺しそこねた事よりも、そっちの事の方がアライアの胸中を埋め尽くした。
「こんな事、止めましょう。アライアちゃん」
涙がバタバタとこぼれ落ちる。なんて甘美な誘いだろう。ここで止めれたら、どれだけいいだろう。
だけど、もう止められない。
「ごめんなさい」
「……そうですか。では、しょうがありません」
「え?」
アライアは、ミリティアーナに抱きしめられていた。温もりに、安堵する気持ちと共に、冷や汗が背中を伝う。
アライアは包丁をミリティアーナに向けていた。
じゃあ、そうやって構えているアライアを抱きしめたらどうなるのか?
ズルリと、ミリティアーナの体が地にひれ伏す。
――答えは簡単。ミリティアーナの腹部に、包丁が刺さったのだ。
「いやあぁぁぁ」
アライアの叫び声に間抜けにも寝ていた国王達が起きる。そして、倒れているミリティアーナと血の付いた包丁を持ったアライアを見て、すぐさま近衛達を呼んだ。
「早く誰か来てくれ! リティラミーの娘が、ミリティアーナを刺した!」
バンっと扉が開くと、近衛達がなだれ込んでくる。もう抵抗する気も無かったアライアはあっという間に取り押さえられた。
視界の向こう側で、ミリティアーナが治療を受けている。アライアは身勝手にも、助かりますように、と一つ祈った。
満月の夜、こうしてアライアの企みは終わった。
❖❖❖
最初から、アライアが何かを企んでいることには気づいていた。
だけど、行動を起こすのはいつなのかと待っている内に、ミリティアーナは随分とアライアの事が大好きになってしまった。
アライアの事はずっと見てきたから、全部分かる。
好きな食べ物は紅茶のクッキーで、お茶会とかでは皆にバレないくらいに紅茶クッキーを多く取っている事。
嫌いなのは茄子で、丸呑みするように食べている事。
養子の筈なのにリティラミーの現当主と顔が似ていること。
笑ったときの顔がお父様に少しだけ似ていること。
ミリティアーナの事を利用しようとしているのに、心が傷んでいる事。
ミリティアーナの事が、嫌いじゃない事。
過去16年の記録をミリティアーナは読み漁る。そしてその中に、国外追放されたアライアのお母様の存在を見つけた。
「なにこれ、こんな事で国外追放されたの?」
医師の見立てだと、流産なんて、しない程度の怪我だったらしいのだ。それにそもそも、王妃が既にいるのに、王妃の許可無く側室を持っていたという事が、そしてそれが自分のお母様だという事が、凄く気持ち悪い。
アライアのお母様は自立していた人だったのだろう。さもなければ、きっと、一人でアライアを育てる事は出来なかっただろうから。
「アライアちゃん、大好きですよ」
そういった時、アライアは変な顔をする。まるでキラキラ光るものを貰ったみたいな、だけど、触れてはいけないと律しているような、不思議な顔。
その顔が好きでミリティアーナは、アライアが望む『無邪気な王女様』を演じている。
本当のミリティアーナは、アライアが思い描いているような柔和な人柄ではない。
何事にも興味が持てなくて、実の親にも愛着が持てない、冷たい女なのだ。
周りの人も、そんなミリティアーナの人柄を知っていたから、魔法学校に入っても、語らい合う友人は出来ないと思ってた。
だけどその予定は、他でもないアライアによっていとも簡単に崩れた。
入学式の日、廊下を歩いていると真後ろからフワリと髪を触られた。
「わぁ、すっごく綺麗な髪の毛!」
わざと子供らしく振る舞っている様な声が鬱陶しくて、振り返った先には、ミリティアーナよりも少しだけ背の高い、『髪の色が綺麗』とは到底思って無さそうな、不格好な笑顔を浮かべた少女がいた。
お母様に似た、陽の光を詰め込んだような髪をいじる。この髪の毛よりも、何故か彼女の陰鬱にも似た深い青の髪のほうが気になった。
「貴方の髪も、とても綺麗ですよ」
「……っ、あり、がとう。私の名前は、アライアって言うの。貴方の名前を、聞いてもいい?」
一瞬、泣きそうな顔をした少女は、すぐ『無邪気な少女』を演じ直したらしい。
アライア、という名前を聞いて、あぁ、とミリティアーナは一つ思い出した。
リティラミー家に、滅多に顔を出さない養子の少女がいると言うことを。
いくら養子だとはいえ、王女であるミリティアーナの名前を知らないなど不敬にもあたる。だけどミリティアーナは、素直に名前を答えてしまった。
「私の名前は、ミリティアーナ。この国の王女です」
にぱっと、アライアは笑顔を浮かべた振りをした。
「素敵なお名前! それに王女様なんて、とっても素敵。良かったら、私とお友達になってください」
つい反射の様に手を握り返してしまって、どうしようかとミリティアーナは思ったが、心底安堵した様なアライアの顔をみて、これが正解なのだと、何故か安心した。
アライアと友達のようなものになってからというもの、アライアはミリティアーナにベッタリだった。毎日のように一緒にいて、入学式から一ヶ月たった今も、ミリティアーナとご飯を食べようとする。
「ミリティアーナ、一緒にご飯食べよう」
「あ、ごめんなさいアライアちゃん。私今日は仕事があって忙しいんです」
「そうなんだ。じゃあまた今度一緒に食べよう」
「是非」
本当は全然忙しくなんてなかったが、毎日一緒にご飯を食べるのが怠くて、断ってしまった。
忙しい、と言った手前何かしない訳にはいかず、図書室でお昼を過ごす。
お昼の終わりを告げる鐘が鳴って、教室の前に来ると、友達と語らいながらご飯を食べるアライアの姿があった。
「私とご飯食べたがってた癖に」
まるで飼い主にも餌をあげる時しかすり寄らない飼い猫が、他の人に懐いた時の様なモヤッとした気持ちを抱えながら教室に入ると、それに気づいたアライアがこっちに来る。
ジッとこちらを見たかと思いと、随分自然になってきた笑顔を浮かべた。
「お仕事お疲れ様、ミリティアーナ」
心臓がキュッとした。全然忙しくなんて無かった。アライアに、ミリティアーナは嘘をついた。
嘘をついたミリティアーナ。最初から全部嘘なアライア。ようやく二人は同じ土俵に立った様な気がした。
「……嘘、なんです」
「へ?」
「忙しいって言ったの嘘なんです」
ポロッと一つ涙が頬を伝った。それを見てアライアと、ミリティアーナが冷たい性格だという事を知っている周りがザワザワしだす。
「ごめんなさい、私、アライアちゃんに、嘘を付きました」
「――謝らないでミリティアーナ。それを言うなら私だって……」
そこでアライアの言葉が止まる。罪悪感に駆られた顔は、死人のようだった。
そんな顔を見たくなくて、アライアの頬をフワリと包み込む。暫くそうしているとアライアは、落ち着いたように一つ息を吐いた。
そんなアライアを見て、ミリティアーナは実感した。きっと彼女はミリティアーナという悪役の様な心を持つ自分を救いに来た『善』なのだと。
顔を上げてアライアと目を合わせてから、花が綻ぶようにミリティアーナは笑った。
「私と、もう一度友達になってくださいアライアちゃん」
ミリティアーナの笑顔に釣られてアライアの顔にも笑顔が宿る。
「ミリティアーナが、それを望んでくれるなら喜んで」
このミリティアーナにとっての『善』が、泣くことのない様に、心からの笑顔しか浮かべられなくなる様に、その為ならば命もかけようと、ミリティアーナはこの日誓った。
❖❖❖
アライアを家にまねいて、何も起きるわけ無いと言ったら嘘になる。だけど、アライアの企みを早く暴かないと、もっと酷いことが起こる気がした。
夜、ミリティアーナが寝たと思って行動を起こしたアライアの後をひっそりとついて行く。
国王達の寝室にたどり着いたアライアの手には、満月に照らされ鈍く光った包丁がある。
止めるべきか、それともアライアに国王達を刺させようかと悩む。
アライアが国王達を刺しても、絶対ミリティアーナが幸せにしてみせるから問題は無い。
だからひっそりと見守っていると、酷く包丁を持つ手が震えている事に気づいた。息も荒く、今にも倒れてしまいそうな位、顔色も悪い。
アライアの根本は、きっと優しさで出来ている。だからいくら憎くても、なんの罪悪感無く刺すことなんて、出来ないのだろう。
「優しすぎるよ」
そう独りごちると、アライアに声をかける。動揺した様だが、国王達を殺すという意思に変化は無い様だった。
ある方法が脳裏に浮かぶ。この方法は、きっと凄くアライアを傷つけるものだろう。だけど、もう止まれないと言うアライアを止めるには、ミリティアーナが行動を移すことが最善だと思った。
それに、この罪はミリティアーナも受け止めなければいけないものだったから。
「では、しょうがありません」
アライアを抱きしめる。
包丁が、ミリティアーナに刺さった。内蔵を裂かない様に位置に気をつけたつもりだが、痛いものは痛い。
熱くて熱くて、体を内側から火を押し付けられたかのような痛みがミリティアーナを襲う。
だけど、ミリティアーナはそれと同じくらい多幸感に包まれていた。勿論、アライアを残して死ぬつもりなど更々ないが、アライアを抱きしめられて、心の底からアライアに心配されて、ミリティアーナは幸せだった。
段々スパークしていく視界の中で、囚われたアライアだけが、鮮明に映る。
絶対にアライアをハッピーエンドに導いてみせると、今一度心に誓って、ミリティアーナはゆっくり目を閉じた。
ふわふわとしたものに包まれながら寝ているような感覚だった。
最初はただの無機物のようだったそれが、だんだん意思を持ち始めた。
『アライアは悪いコだから見捨てなよ』
『イラナイ、いらないコ』
『あんなコいらない』
残酷な言葉が木霊する。否定したいのに、張り倒してやりたいのにまつげの一本さえ動かない。
静かな怒りを募らせながらその戯言を聞いていると、ある一匹がフフフ、と笑った。
『あのコ、あと少しでショケイされるよ。そしたらココにクルンダヨネ?』
『そうだよ。ココには生と死の狭間のコがクルンダヨ。アライアがキタラどうしてあげようか』
『まずはクビをひねって取ってアゲヨウ。それでボールアソビをするの』
フフフ、フフフと皆が笑ってる。
『それで目の前でアライアのオカアサンそっくりな人形を壊してあげよう』
『イイネ、イイネ。ソックリに作ろう』
『それでアライアが絶望しきったら、体を先の方から細かくキッテアゲヨウ』
『うんと細かくキッテヤロウ。ココは生と死の狭間。どんな事をしても、アライアは絶対死ねないヨ』
本当に、反吐が出る。なぶり殺してやりたいとミリティアーナは思った。
そんなミリティアーナに笑いかけるようにして一匹が言った。
『ジャアこれで決まり。アライアに、とっておきのバッドエンドをプレゼントしてアゲヨウ』
「――なんですって?」
声が、出る。瞬きもできる。けどそんな事は関係ない。こいつ等は、今何といったのか? それがミリティアーナにとって一番重要だった。
「アライアちゃんに、バッドエンド? いいえ、彼女にもたらされるのはハッピーエンドです。その五月蝿い口を閉じろ。屑共」
ミリティアーナに拒絶されて、ワアワアと騒ぎ始める。
『ミリティアーナ、なんでヒドイ事言うの』
『アライアは本来アクヤクレイジョウなんだよ』
『幸せになっちゃイケナインダヨ』
ミリティアーナは彼等をしっかりと見据えた。
「『あくやくれいじょう』なんてものが何かはほとほと見当もつかないが、彼女は『悪』などでは無く、私の最愛、私の命、私の良心。私の中にある唯一の――――――『善』です。アライアちゃんを愚弄しないでください」
泣き喚く彼等の隙間から、赤い糸が垂れてくる。それに手を伸ばして触れた瞬間、辺りが真っ白に輝いて、優しく、ミリティアーナを包みこんだ。
「お嬢様が目覚めました!」
そう叫ぶ侍女の声に現実に引き戻される。今日は何日かと考える。あの夢の中にいた奴等の言うことが確かだとすると、もうアライアの処刑日まで一刻の猶予もないのだろう。
「今日は、何月何日?」
「えっと、水流月の27日目です」
あの日から、2週間も経っていた。
「ねえ、アライアちゃんの処刑日はいつなの?」
ミリティアーナの言葉に侍女はグッと詰まる。言いにくそうにしていたが、ミリティアーナが静かに見据えると、小声で話し始めた。
「今日の、夕方です……」
「――――っ!」
直ぐに布団から這い出た。2週間も寝ていたから力が入りづらかったが、魔法で足に力を込める。
服も簡素なワンピースから王女の威厳を感じる、艶やかなドレスに魔法で着替えをする。そしてその上に、ドレスとは不釣り合いなストールを羽織った。
「お嬢様、どこに行くおつもりで!?」
「勿論、アライアちゃんのところに決まっているでしょ」
「確かに、魔法学校では親しくしていた様ですが、あの女は国王様達を殺そうと企てをし、お嬢様を刺したのですよ! 慈悲をかける必要はありません」
それを言うなら、最初に殺そうとしたのはミリティアーナの方だ。16年前、言われもない罪で母子を外に放りだした。アライアのお母様に生きる術があったから生きてこれただけに過ぎなく、国王達のやった事は只の人殺しだ。
そう言葉を吐いてやりたかったが、もう時間が無い手前黙る。今は処刑場に行くことが先決だ。考えを巡らせていると、扉の向こうから誰かが走ってくる音がする。それに合わせるように騎士たちの制止の声と音も耳に届いた。
ダンッと乱雑に開いた扉の先には、リティラミー伯爵家現当主であり、アライアのお祖父様が立っていた。その後ろではリティラミー伯爵家の家紋をつけた鎧を着ている騎士と、うちの騎士が戦っている。
もう60歳位なのに、それを感じさせない程声にはハリがあり、体格も衰えていなかった。
「ミリティアーナ王女よ、我が孫娘を助ける為に、どうかお力添えをしていただきたい」
「願ってもいない申し出です。一人でもアライアちゃんを救いに行こうと思っていましたが、協力者が多い事に越したことはありませんから」
「なんとも肝の座った王女様だことで」
協力してくれるのはありがたい。しかし、廊下では騎士たちが争い合ってる中、何処から行くのかと悩んでいると、あっという間に距離を詰めたリティラミー伯爵家現当主に「失礼致します」と言われ、ヒョイッと持ち上げられた。
そしてそのまま、彼は二階の窓から外へと飛び出した。危なげなく着地すると、すぐ近くに待機していた一頭の馬に二人で乗り込む。
窓から身を乗り出して侍女が叫んでいるが、もう時間が無い。ミリティアーナはしっかりと馬に跨った。
そして、馬は疾風の如く走り出した。風の抵抗を無くす為に魔法を唱えると、風が当たらなくなり、会話をする余裕も生まれる。
「王女はご存知かもしれませんが、アライアは私の娘が残した本当の孫なのです」
「予想はしていましたが、やはりそうなのですね」
「はい」
この会話以降、暫く無言で走っていたが、不意に彼がポツリと言葉を漏らす。
「……アライアの母が国外追放になったと私が知った時、もう彼女達はこの国に居ませんでした。私が娘達を見つけ出し罪が露見する事を恐れた国王達によって私は国外に出ることも許されず、隣国の山奥に居ることを見つけ出すまでに10年もかかってしまった」
手綱を握る力が強くなる。
「私は2度も大事な家族を失う思いなどしたくない」
「それは私にとっても同じです。みすみすアライアちゃんを処刑などさせるものですか」
ミリティアーナの言葉に一つ頷くと、馬の速度を早め、夕方の少し前に、処刑場近くまでこれた。ここからは処刑が行われると知った民衆で溢れかえっているため、徒歩で行くしか無い。
間に合って、と祈りながら、ミリティアーナ達は走った。
❖❖❖
「ほら、早く出ろ」
日が差さない牢獄に日が入ったかと思ったら、アライアを呼ぶ声が聞こえた。
今日が処刑の日だと、アライアはこの瞬間理解した。
艶が失われ、ケバケバになった髪。2週間の間ずっと、固くてぼそっとしたパンと、冷え切った申し訳程度にほぼ生の人参が入ったスープを食べていなかった為か、骨が浮き始めた体。そんな体を包むのは何人に使い古されたか分からない垢や土にまみれ、異臭を放つワンピース。
夏と冬の間とはいえ、こんな薄着だと寒く、いつも鳥肌が止まらなかった。
暴れないようにと手枷がつけられ、牢から出される。暫く無理やり歩かされると、大きな広間にたどり着いた。そこでは民衆がごった返していて、口々に何かを叫んでいる。皆、凄く怖い顔をしていた。
「死ね!」
「消えろ!」
そんな言葉と共にいろんなものが投げつけられる。石がこめかみにぶつかり血が頬を伝い、残飯が髪に降りかかる。
辛くないわけでは無かったが、アライアにとっては、ミリティアーナを刺したことのほうが辛く苦しく、この苦しみを、アライアは甘んじて受け入れた。
そうしているといつの間には目の前には処刑場があって、そこに続く階段を登っていた。
自分は死ぬのかと、アライアは考える。ここまで来て、今更何かを思う事はないが、ミリティアーナの姿が、脳裏をよぎった。
アライアの隣に控えている処刑人に、話しかける。
「ミリティアーナは、生きていますか?」
アライアの言葉を取り零さまいと耳をそばだてていた民衆は激怒する。
「刺したお前が言うな、この人殺しが」
処刑人に、一発頬を殴られる。
口の中に広がる血の味に顔をしかめながら、アライアは思った。
アライアを殺す彼は、人殺しではないのだろうか。それとも、彼には罪深き女を裁いたという大義があるからいいのだろうか?
でもそれを言うなら、アライアにも大義はあった。
あぁ、けどもうどうでもいい。
顔を上げると、陽の光に照らされる。怒り狂う民衆にも、処刑人にも、そしてアライアにも平等に光は降り注ぐ。
そしてあの子にも。
未来であの子がすべる国に、どうか太陽がありますように、祈りの言葉は、アライアの口の中で溶ける。
アライアは、お母様が言っていたとおり、きっと悪役令嬢なのだろう。だけど、アライアにとっての『善』であるミリティアーナの幸せを、祈ることぐらい許してほしい。
「願わくば、どうかあの子にハッピーエンドを」
小さなつぶやきは、喧騒にかき消された。
処刑人に導かれ、ギロチンにクビを置こうとした、その時。
「待ちなさい! アライアちゃんの処刑は、私が許しません」
顔を上げると、国王達が座っている玉座の建物の下に、ミリティアーナはいた。
国王が、処刑を止めようとしたミリティアーナに呼びかける。
「何をしようとしているのだ、ミリティアーナ。今からその小娘の罪を捌くというのに」
「いいえ、罪が暴かれるのは貴方です」
決して大声を出している訳では無いのに、ミリティアーナの言葉は大広間によく響いた。魔法でも使っているのだろうか。
戸惑う民衆に目配せをし、朗々とミリティアーナは語りだした。
16年前に起こった、惨劇を。
「国王である彼には、今とは違う王妃がいました。とても賢く、美しく、この国の華となるに相応しい女性でした。ですが、国王はそんな王妃を、最悪の形で裏切ったのです」
止めろ! と国王が叫び、騎士たちがミリティアーナを捕らえようとするが、リティラミー家の現当主であるお祖父様と、リティラミー家の騎士たちによって近付く事が出来ないようだった。
「国王には、魔法学校の頃から親しい平民の女と、王妃と結婚後もつるんでいたのです。勿論、この国の法律で一夫多妻制は認められておりませんし、そもそも王妃は平民の女など、許容しておりませんでした」
実の娘に平民の女、と言われた現王妃が顔を屈辱に歪める。そんなのには目もくれず、ミリティアーナは尚も話を続ける。
「そして平民の存在を知った王妃は、国王に詰め寄りましたが、支離滅裂な話をされた後に、頬を一発殴り、背中を三度蹴られています。当時王妃の手当をした医者がきちんとカルテに残していたんです」
国にとって、王妃と言うのは華であり、敬い、丁寧に扱うもの。国王にとってもそれは例外ではなく、王妃と国王の立場は同等の筈であり、暴力が許されて言い訳がない。
民衆達は戸惑いながらも皆同じ事を考える。
『自分達が今まで誠心誠意努めてきた国王達は、本当に正しいのか?』と。
さっきまでアライアに投げつける為に持っていた石を落とし、ザワザワと騒ぎ始める。
「そして、ずっと国王に不誠実な態度と暴力を振るわれていた王妃は、自分が流産しかかっている事に気づき、このままでは駄目だと実家に帰らせて欲しいと国王に申し出に行ったんです」
これは、お母様がアライアにしてくれた話と同じだ。だけど流産しかかる程酷いとは思っていなかった。
「けれど言った先で告げられたのは、国王が侍らせている平民の女にも子は宿っているから、お前の子は必要ない。お前の仕事は公務をする事なのだからと。公務が滞るなら堕ろしてしまえ、と」
酷い、という言葉が木霊する。もうアライアの事なんか皆気にも留めていなくて、ミリティアーナの言葉に、皆一心に耳を傾けていた。
「それに我慢できなくて、平民の女を突き飛ばしてから、王妃はあっという間に捕らえられ、言い分を聞かれもせず国外追放となったんです。王妃の実家に報せが入る前に国外に身一つで出され、王妃は、運が悪ければ盗賊等に襲われて死んでいたのかもしれません」
ミリティアーナが、遠くにいるアライアを優しく見た。
「ですが王妃は持ち前の知識で生き残り、隣国の山奥で子供を生んだんです。そしてその王妃の子供が―――アライアちゃんだったのです」
さっきまで罪人だったものに皆が一斉に目を向ける。さっきまでの憤りはなく、可哀想なものを見る目で見られ、処刑人にも不憫そうな顔をされた。
「これが、王家によって隠蔽され、王家しか使うことの出来ない書庫に眠っていた、16年前の真実です」
もう、アライアを憎むものは居ない。今はただ、国王と現王妃に、民衆の怒りは向いていた。
自分たちに向けられる怒りに国王達は震えながらも喚き立てる。
「それが真実だったとして、ミリティアーナをその娘が刺したのは事実ではないか! であれば罪人と同一だ!」
グッとアライアが唇を噛みしめる。そんなアライアを奮い立たせるように、ミリティアーナは気丈とした振る舞いで言葉を返した。
「そもそもは貴方達が刺されそうだったのを、私が自ら刺されに行ったんです。16年前の私の罪を、償うために。であれば、アライアちゃんを処刑するというのであれば私も、母子を殺しかけた者として処刑されなければいけません」
国王が言葉に詰まる。
そんな国王達をリティラミー家の騎士たちが捕らえに行った。
「王妃を違法に裁き、軽んじた。そして16年もの間、民を謀った。罪状はこれだけで十分です。貴方がたを生涯幽閉の刑に処します」
国王達が連れられていく。民衆は今度は国王達に石を投げつけ始めていて、掌返しの早さにアライアは滑稽だと思った。
「アライアちゃん!」
「ミリティ、アーナ」
こちらに一直線に駆けてきて、ミリティアーナはアライアを抱きしめた。一瞬抱きしめ返しそうになったが、自分の今の惨状を思い出して慌てて引き剥がした。
ミリティアーナがムッとしたような顔をする。
「せっかくの感動の再会なのに引き剥がすなんて……」
「いや、だって今私汚いし」
下を俯くアライアの顔を掴み、ミリティアーナは無理やり上を向かせた。
「ミ、ミリティアーナ痛いよ」
「これは失礼。ーーしかし、これだけは言わせてくださいアライアちゃん。貴方が例え泥と垢にまみれていても、魂の在り方は決して変わらない。どんな姿でも、私の大好きな、アライアちゃんなのです。
……だけどこれはいささか寒そうですね」
そういうと、ミリティアーナはストールを自分の肩から外し、アライアをくるんだ。
「ありがとう」
「ふふ、早く帰ってお風呂に入りましょうね」
和やかな二人の空間に、大声が割って入ってきた。
「ミリティアーナ王女! 国王と王妃がいないなら、新しい女王は貴方という事ですか?」
ニコリと、力強くミリティアーナは頷いて見せる。
湧く民衆を横目に、ミリティアーナはアライアに跪いた。アライアの左手を取る。
「アライアちゃん、私は元来、とても冷たい人間でした。しかし貴方のお陰で、私はより良い私になることが出来ました。
私は、貴方の全てが好きです。これからのより良い未来を作る私の側に、どうかいてくれませんか?
アライア·リティラミー、愛しています。私と、結婚してください」
……こんなハッピーエンド、自分には無関係だと思っていた。
ミリティアーナに優しくされる度に、利用している事を再確認させられ、ジクジクと胸が傷んだ。
何より、ミリティアーナの「大好き」という言葉に何も返せないのが、とても悲しかった。
でももう、私達を縛る呪縛乙女ゲームなんて関係無い。
アライアは、ミリティアーナに精一杯の微笑みを返した。
「ミリティアーナが、それを望んでくれるなら喜んで」
周りから拍手の嵐が起きる。
今更になって、ここが皆に見られていたことに気づき、アライアは顔を真っ赤にした。
❖❖❖
今日は女王即位の日。
異例である、女王の即位に、民衆は皆今か今かと二人が王城のバルコニーから出るのを待っていた。
「うわぁ、すっごい緊張する」
青い顔をして何度も紙を読み直すアライアに、ミリティアーナは笑顔で声をかける。
「失敗しても、私がフォローするから大丈夫ですよ」
「……でも私達は二人で女王でしょ? それなら、私が頼り切るんじゃなくて、お互いに支え合わないと」
百面相をしながら、紙を読み込んでいるアライアに、ミリティアーナははにかんだ。
「そういう所、好きですよアライアちゃん」
「私も、ミリティアーナの事、すっごく大好きだよ」
フフフ、と笑い合うとアライアは豪華なドレスに目が入る。
「やっぱこれすごい綺麗だよね。ミリティアーナの青いのもきれいだし、私の黄色のドレスも、凄く可愛い」
「喜んでもらえて良かった。―――結婚式は、お揃いの白いウエディングドレスにしましょうね」
ぼふんっ、とアライアの顔が赤くなる。そんなアライアの左手を引き、ミリティアーナは指先に口づけた。
「私と出会ってくれてありがとう。これからも、どうぞよろしく」
目をまん丸にしたあと、フニャリとアライアの顔に笑みが溢れた。
「私の方こそ、あなたに出会えて良かった」
バルコニーに続く扉が開く。外では、何千、何万の民が二人を祝福するために集まっていた。
二人は、ハッピーエンドへの歩みを始めた。
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