愛はどこにある
私は親の顔を知らない。
物心ついたときには孤児院で生活していたし、14歳の春には魔法の才能を買われて男爵家に引き取られた。
その男爵家では禁断の黒魔術である魅了魔法を覚えさせられて、その力で第一王子を魅了するようにと躾られた。
抵抗なんて出来なかった。
男爵は私を引き取ってすぐに黒魔術で私に隷属の契約を刻んだため、その魔法によって私は男爵の命令には逆らえない。
死にたくても死ぬ自由すらないのだ。
だから私は心を殺して男爵の命令通りに生きなければいけなかった。
そして一年の躾を経て私は貴族が通う学校へと入れられた。
第一王子アセウスには婚約者がいる。
公爵令嬢であるイルティナだ。
2人は学園内でよく一緒にいるところを見かけたし、側近と護衛も側にいるためアセウスに近づくのは少し難しかった。
だが、黒魔術はその不可能を可能にする。
まずはアセウスの側近の友人に近づき、そこから少しずつアセウスへと近づいた。
完全に魅了魔法で人格を支配してしまうと怪しまれるため、本人すら違和感を抱かない程度に調整する。
最初は自分の周囲の人間と親しい女がいるなと思わせ、そこからよく目につく女だなと印象付ける。
そしてだんだんと婚約者であるイルティナとは違う部分に魅力を感じるよう誘導する。
そうして学園に編入して3ヶ月経った頃、ようやくアセウスは私に声をかけてきた。
「最近、よく会うね」
「あ、アセウス様……。申し訳ありません、ご不快でしたか?」
「僕の側近たちと仲良くしているようだったから少し気になってね。良ければ少し話さないかい?」
このとき私たちは二人きりというわけではなかったし、周囲に人目もあった。
だからアセウスには隙がありすぎた。
(イルティナはまだ私のことを警戒していない。だけど、この出来事を境にほんの少しの警戒心を持つでしょう)
私はようやくスタートラインに立つことが出来た。
好きでやっていることではないが、命が懸かっている。
成功の糸口を掴めたことで、気を抜くことは出来ないが、ようやく生きた心地がした。
アセウスはその日を境に私への警戒心を緩め、イルティナは反対に警戒心を強めた。
2人の反する意識は、お互いへの不満にも繋がる。私はその不満を徐々に広げてやることに専念した。
「すまない、僕の婚約者が君に酷い態度を……」
「そんな、アセウス様が謝ることではありません。私は平民の生まれですから、こんな風にアセウス様と話してはいけないのです。
…………それなのにこうしてお話し出来ることを喜んでいるのですから、イルティナ様に嫌われて当然です」
「この学園は身分関係なく学べる場所だ。身分だけを見て君に厳しい態度をとるイルティナが間違っているんだ」
「そんな……イルティナ様はきっとアセウス様を愛してらっしゃるだけですよ。だから私に少し嫉妬されているのかもしれません」
ほんの少し潤んだ目をアセウスに見せてから悲しげに顔を俯かせる。
アセウスとイルティナが相思相愛の関係でないことは有名だ。2人は政略結婚の意味を理解し、お互いを尊重しあっている。だからこそ2人の関係は貴族たちに尊敬されているのだ。
だが、アセウスは愛に飢えている。
王も王妃も彼に息子としての愛情を注いであげなかったから。そしてイルティナが与えてくれる愛もまたアセウスの望む愛ではない。
(魅了魔法は人の弱みに強く効く。私ならあなたの望む愛をくれると思うでしょう?)
第一王子であるアセウスが平民育ちの男爵令嬢とただならぬ関係なのではないかと学園中で噂になったのはそれから2ヶ月後のことだった。
※※※
そうして、運命の日はやってきた。
アセウスは年に一回行われるダンスパーティーでイルティナに婚約を白紙にするよう求めた。
ダンスパーティーではなくても良かったが、アセウスは他国の貴族もいる中で君と結婚したいと言えば父も母も無視は出来ないだろうと言う。
(そんな風に結婚を認めてもらったとして、未来はあるのかしら?)
じくじくと、身体に刻まれた隷属魔法が私に早く目的を達成しろと囃し立てる。
1年と設定されたその契約は、期限が迫るほどに痛みを伴うのだ。
イルティナがアセウスを嘲笑うかのように彼の行いを責め立てる。
婚約者がいる身でありながら他の女に現を抜かしたのはお前だと。そしてこんな場所で婚約を白紙にしようと言うだなんて自分を馬鹿にしていると。
王も王妃もイルティナに謝り、アセウスは王位継承権を剥奪された。彼には2人の弟がいるため、彼が王にならなくても良いのだ。
「イルティナ、俺はずっと君が好きだった」
そして第2王子がイルティナに求婚し、イルティナもまた彼がずっと好きだったと涙を流して受け入れた。
周囲の人間は拍手し2人を祝福する。
※※※
(なんて陳腐な結末なのかしら)
ガタガタと揺れる馬車の中で私とアセウスは二人で身を寄せ合う。
アセウスは王族という身分まで失い、私と結婚しなくてはいけなくなった。
辺境にある小さな領地で死んだように生きろと、そういう処遇になったわけだ。
アセウスはこんな状況でも私のことを愛している。それは魅了魔法を解いていないせいなのだが、私には彼を正気に戻すことは出来なかった。
(正気に戻って、全てを失ったことを嘆くより、魅了魔法によって私というすがるものがある方が幸せなのかもしれない)
そうやって心の中で言い訳をして、私は彼の心を弄ぶ。
馬車の中でアセウスは幸せそうに2人の未来を思い描いて、それを私に楽しげに語るのだ。
それがとても、とても平凡で、けれど…………とても幸せで、私は、アセウスを…………。
私は愚かだった。
愚かで、馬鹿で、惨めで。
だからアセウスは死んだ。
平民となってしまったが、それでも君を愛している。
生活は苦しいかもしれないが、君と生きていけるなら頑張れる。
そう言ってくれた彼の口から血が流れる。
その言葉がたとえ魅了魔法によって言わされた言葉だったとしても、私は本当に嬉しかったのに。
「お役目ご苦労。お前ももう用済みだ」
男爵がアセウスの心臓に突き刺した剣を抜き、私へと向ける。
ああ、赦せない。
隷属の契約印が身体を引き裂くような痛みを私に与える。
だが、そんなものどうでもいい。
この男は殺さねば。
そして、奴らにも復讐をしなくてはいけない。
「死ぬのはお前だ」
黒魔術とは便利な反面、危険な対価を伴う。だから禁忌の力なのだ。
私は男爵を殺す対価に自分の右目を捧げた。
男爵は次の瞬間には首が捻れて死んだ。
あっさり殺しすぎてしまったなと後悔しつつ、私はアセウスの身体を抱き寄せた。
「……愛していました。私にそんな資格がないとしても」
アセウスと私はキスもしたことがなかった。
学園のやつらはおもしろおかしく噂していたようだが、私たちは清い関係だったのだ。
アセウスがイルティナと婚約関係であるうちはダメだと、何より君をそんな軽い女にしたくないと言ってくれたからだ。
好きだとちゃんと言われたのもここへ向かう馬車の中が初めてだった。
それまでは魅了魔法を使っていたというのに、アセウスは一度も私に愛の言葉をくれなかった。
「私たち、これがファーストキスね」
血の気のないアセウスの唇にそっと口づける。
そうして暫く彼の顔を眺めてから、私は彼の遺体を燃やした。他の誰にも、彼を奪われないように。
男爵は死んだが、契約印は残っている。男爵を殺しても死ななかったのは嬉しい誤算だが、私に残された時間は短いことには変わらない。
「イルティナと第2王子ヴィンセント……あなたたちを殺してからじゃないと死ねないわ」
そもそも、男爵ごときがなぜ第一王子を誘惑する必要があったのか。
それは男爵が第2王子に唆され、彼の思惑によってアセウスの失脚を狙ったためだ。
第一王子であるアセウスには敵が多い。
アセウスが前王妃の子どもというのが大きな要因である。
現王妃は自分の子どもを王にしたいと考えていたが、王としての素質も正当性もアセウスの方が優位にありすぎた。だから第2王子は自分の母である王妃に心酔している男爵を利用し、アセウスを排除しようとした。
そしてそれはイルティナも承知のうえだった。
「愚かな恋をしたのは貴方ではなかったのに」
王家としては公爵家の力が欲しかったため、イルティナは王妃にならなければならなかった。
だがイルティナは第2王子ヴィンセントと恋に落ちる。ヴィンセントがアセウスの失脚を望んだのはイルティナとの恋を成就させるために他ならない。
(男爵も迂闊なものね。操り人形に余計な情報を教えてしまうなんて)
2人はかなり前から親密な関係だった。
王妃もそれを知っていて、だからイルティナは王妃に可愛がられていた。
「脚本家の頭が悪いからあんな陳腐な結末になったんだわ」
(だから私が脚本を変えてあげる)
陳腐な恋物語じゃなくて、極上の復讐劇へと。
※※※
「これで俺たちを邪魔する奴はいないな」
「……でも、殺さなくても良かったのではないかしら」
「イルティナ、君は甘いよ。万が一という可能性は無い方がいいんだ」
「ヴィンセント様……ええ、そうよね」
ベッドの上で2人の男女が身体を寄せ合う。
自分の兄が、元婚約者が死んだというのにこいつらは欲に溺れているのだ。
私は込み上げる吐き気を我慢して、そのタイミングをじっと待った。
「んっ?」
「どうかされましたか?」
「いや、なんだか身体が熱くて……」
「まぁ、ヴィンセント様たっら」
「……はは、イルティナとの夜に興奮してしまったようだ」
黒魔術は人間の欲を簡単に増幅させることが出来る。
ヴィンセントには色欲を増幅させるように黒魔術をかけた。
翌日、朝日が登ってもヴィンセントは腰を振っていた。イルティナはすっかり気を失っているというのに、衰えぬ欲はヴィンセントを獣のように変える。
ヴィンセントの色欲はその日を境にイルティナ以外にも向くようになった。
まずは部屋の掃除にやってきたメイド。それからパーティーで出会った下級貴族の娘。
最初は理性を働かせ目立たぬように手を出していたようだが、数ヶ月もするとヴィンセントの悪い噂は民達にまで知られるようになった。
そしてイルティナはヴィンセントが手を出した女たちを人知れず排除した。
イルティナには嫉妬という感情を増幅させたのだ。彼女は面白いほど醜い女になっていった。嫉妬で歪んだ顔は、とてもじゃないが美しいとは言えない。
「ヴィンセント様!!! 他の女をまた抱いたのですか!?」
「うるさい女だな! 君じゃ満足出来ないのだから仕方ないだろう」
こんな喧嘩を人前でも平気でするようになった2人の支持率はあっという間に底辺になった。
そして第3王子はまだ幼いため、辺境の地へと追いやられた第一王子に戻ってきてもらうべきだという世論が出来つつあった。
機は熟した、ハズだった。
黒魔術でアセウスの人形を作り、そして王家主催のパーティーで復讐をする。
それが私の考えた復讐劇。
でも、アセウスの人形は彼であって彼ではなかった。
なりよりこんな風に彼を利用することがどうしても出来なかった。
私は残された僅かな時間でアセウスのお墓を作ることにした。
彼の遺品を一つ二つと墓に入れる。
「ヴィンセントは王になれず、イルティナも王妃にはなれない。
でも……復讐劇にしては見ごたえの無いものになってしまったわ」
そもそも、私は被害者面をした加害者なのだ。
復讐をする権利すらなかったのかもしれない。
私はきっと地獄に行く。
でも貴方はきっと天国で幸せに暮らしているのでしょう。
「黒魔術を使いすぎてしまったのね。……ひとりぼっち、お似合いの最期だわ」
黒魔術の対価に寿命を削り、もともと契約印のせいで短かった命はもう尽きかけている。
不格好なお墓に凭れるように座り、そっと瞼を閉じる。
(アセウス、貴方は愛されていないと思っていたけれど、王城には貴方を心配している人が沢山いたわ)
(本当に誰にも愛されていないのは、私よ)
「ごめんなさい、愛してしまって」
穏やかな日差しの中、私は不思議と痛みを感じずに深い、とても深い眠りについた。
本当はもっとざまぁ増し増しの復讐系の話にするつもりだったんですが、主人公が虚無感によって復讐を中途半端なところで止めるというお話になってしまいました。
個人的にはアリかなと思うのですが、物足りなく感じたら申し訳ないです。
読んでくれてありがとうございました。