ユージェニー
物心ついた頃にはお祖母ちゃんと二人で暮らしていた。
つつましくも幸せな毎日。
お祖母ちゃんは畑で野菜や花、常備薬になる簡単な薬草を乾燥させて売っていた。
お祖母ちゃんの野菜はいつまでも新鮮で、お花は長持ち、同じ煎じ薬でも薬効が高い、と評判だった。
けれど何故かお祖母ちゃんは
「ユーシスおばあちゃんの薬は良く効く」
そんな噂が立ち始めるとひっそりとその村を去った。
「友達のトマスやミリアと離れるのは嫌!」そう言って泣いて拒んだ事もある。けれど、お祖母ちゃんが悲しそうに「私が加減が出来たら良かったんだけれど」そう繰り返す度に、段々とそういうものなのだと慣れていった。
私の母は、私を産んだ時に亡くなってしまい、父はそれから放浪の旅に出たきり帰らない。
それでも不幸だと思った事はなかった。
お祖母ちゃんは有り余るほどの愛情を私に注いでくれたし、お祖母ちゃんを慕う貧しくも気のいい人々に囲まれて育ち、そうして両親がいないままに私は12歳になっていた。
ただ一つの不満は………………
「ねえ!お祖母ちゃん!どうして私に野菜やお花を収穫させてくれないの!?どうして私に薬草を煎じさせてくれないの!?私、お祖母ちゃんが思ってるより、ずっと役に立つんだよ!?」
日々、そして年々年老いていく祖母は、私に仕事を任せようとはしなかった。
辛うじて、出来上がった品々を売りに行くこと、それだけが私に許されていた。
「ユージェニー」
お祖母ちゃんはゆっくりと私の頬を撫でる。
「あなたの力が私程度であったならば」
そう言って少し困ったように微笑む。
「いつか、そんな日が来るから。
あなたが、あなたの力を思うがままに発揮出来る時が来るから。それまではお願い。おとなしく、このおばあちゃんの言う事を聞いていてね」
訳が分からない。
年を取って、色々と大変そうなお祖母ちゃんの代わりに私が力仕事をして、何がいけないと言うのだろう。
それでも私はまだまだ子供だった。
祖母の言葉に何の疑問も持たなかった。
子供だから、無理しなくていいんだよと、ただの過保護な年寄りの言葉と、まるでぬるま湯に浸かるようにその安穏とした日々に甘えていた。、
そんな日が突然崩れてしまったのは、私が気づいてしまったからだ。
お祖母ちゃんが、病気だ、と。
それに気づいた時の衝撃は今でも覚えている。
何故分かるのか、自分でも理解出来ない。けれど、病んでいる場所が、病巣が、原因が分かるのだ。
これは………………死病だ。
直感的に悟る。
放置すれば死に至る病。
今も、お祖母ちゃんは痛みに苦しみ始めている。
大丈夫、と、何故か思った。
大丈夫、私なら癒せる。
治せる、ではなかった。
先ずは痛みを止めなければならない。
対症療法でも、まずはこの苦しみから解放して、それから癒せばいい。大丈夫、時間はある。この病は致命的ではあるけれど、数秒、数分を争うわけではない。
私は、森へと、痛み止めの薬草を取りに走った。
薬草を摘むのは初めてだったけれど、それも何の迷いもなかった。何故こんなに簡単な事を祖母は私に禁じていたのかと、怒りすら覚えるほどだった。
私が指を伸ばして小さな白い花を咲かせた草を摘むと、触れた指先から花びらの先までへと、一筋の光が走った。
泉の水を汲むと、そこにはないはずの月の光がきらめいて桶の中に溶け込んでいった。
小鍋に移して火を灯すと、ちろちろと鍋底を温める炎が踊るように舞い上がり、それでいて決して沸騰させる事なく薬効を抽出させる。
「………………お祖母ちゃん、お茶を淹れたの。飲まない?」
自分が煎じたというのに、まるで手慣れた魔法のように出来上がってしまったそれに、私は軽い恐怖すら覚えた。これで、とりあえず痛みは消える、と思ったあの確信のような自信がどこから湧いて出たのか想像もつかない。
お祖母ちゃんは、一口そのお茶をすすると、ああ、とため息をついて、両手で顔を覆った。
「ああ、ユージェニー」
しばらくしてお祖母ちゃんは口を開いた。
「お茶を………ありがとう。本当に良く効くお茶だったわ。さっきまでの痛みが嘘のよう」
私は嬉しくて、私が薬草を摘んで煎じた事を褒めて欲しくて、それから、それからお祖母ちゃんの病気は私が癒せるからと、勢い込んで話そうとして、上手く話せなくて息を何度も飲み込んだ。
「………でもね、ユージェニー。ここから先は人の領域ではないの」
何を言われたのか良く分からなかった。
「私たちは本当に簡単に死ぬわ。この世の中はそういう世の中なの。………無事に生まれて来ることすら難しいわ。逆に、あなたのお母さんのように、命を生み出して失われてしまう生命もある。生まれても育たない、育っても食べ物がない。食べ物があっても事故に遭う。大怪我をすれば助からないのが当たり前なの」
お祖母ちゃんの言っていることがまだ分からなかった。
「それは、人として、当たり前の事なのよ。この病は………あなたはもう分かっているわね。この病は私の命を奪うでしょう。それは、あなたが知っていたたくさんの人たちが辿った道なの。そして、私がこの病気で死んでいくのも、ごく自然な事なの」
お祖母ちゃんは、自分の病気の事を知っているんだ、私は息を呑んだ。
「昔はね、そうじゃなかったの。
私のお祖母さんの頃のお話。その頃は、人の命を救える人達がいたの。救える………と言うのかしら、癒せる一族がいたのね」
癒せる、という言葉に私は反応した。
「でも、もういないの。いない事になっているのよ」
どうしていなくなったの?いない事って?という問いにお祖母ちゃんは悲しげに首を振った。
「ごめんなさいね。私は自分のお祖母さんから中途半端な力を受け継いで、何とか紛れて生きて来られたけれど、その孫のあなたに、私のお祖母さんの力を、いいえ、それ以上の力を受け継がせてしまった」
その時が来るまで、人としての力を超えてはいけない。
力を使ってしまって見つかってしまったら、あなたの命が危うい。
お祖母ちゃんは続けた。
「………………その時って………?」
「可哀そうなユージェニー」
お祖母ちゃんはベッドから起き上がって私の髪を撫でた。
「私達は、お互いを感じる事が出来る。今はもう、あなたと私、二人きりになってしまった」
「お祖母ちゃん、横になって!ね、私、もっといい事出来ると思うの!」
勢い込んで言うと、お祖母ちゃんはうっすらとほほ笑んだ。
「今はとても楽なのよ。じゃあ、横になるから、昔話をさせてね。ゆっくり話している間に眠ってしまったら………続きは明日にしましょうね」
それからお祖母ちゃんは、私が今まで聞いた事のない話をたくさんしてくれた。
疲れるだろうからもういいと言っても聞かなかった。
私も、今日の薬湯が効いて一晩休んでくれたら、明日からはいよいよこの自分の中に眠る訳の分からない力を発揮しようと意気込んでしまって………………
ああ、どうしてお祖母ちゃんはあれほど私に薬草を摘むなと、薬を煎じるなと言っていたのか。
ああ、何故私はそんな煎じ薬を飲ませてしまったのか。
そんな事には何一つ思い至らなかった。
「例えばそうね、この世に………………本当の悪が存在するとしたら………」
お祖母ちゃんの話はとりとめなかった。
「一人だけ、私と近い力を持った友達がいたわ。私達はお互いの存在にとても慰められたの」
「もういいから寝ようよ、お祖母ちゃん」
「サクラっていう名前よ。息子がひとりいるの。幹。ミキ・ヤマト」
「………………サクラさんは、今?」
「………………もういないわ」
「ねえ、もしこの世に絶対悪があったとして………………」
「なあに?難しいわ、お祖母ちゃん」
「その力を止められるのなら……………」
「そうしたら、私達にも居場所があるのかしら」
そう言ってお祖母ちゃんは眠りに落ちた。
いつの間にか私も眠ってしまっていたらしい。
はっと顔を起こすと、ベッドはもぬけの殻だった。あわてて掛布団に手を差し入れると、ひんやりとした感触が伝わってくる。
手のひらから腕へと冷たい物が走って、私は思わずぞくりと身震いをした。
いつもいつも、どこにいても感じていたあのお祖母ちゃんの暖かく包むような気配がどこにも感じられなかった。
「私達は、お互いを感じる事が出来る」
そう言っていたじゃない!
お祖母ちゃん!
私は両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
お祖母ちゃんがもうどこにもいない事が恐ろしくて、悲しくて、そしてそれは自分が招いてしまった事だと瞬時に理解したからだった。
………私が持つ何かの力は、お祖母ちゃんを絶望させ、その命を奪う程恐ろしい物だったんだ………
祖母は、絶望したのではない。
自分と共にいる限り、いつかその力を使ってしまうだろう孫娘をただ守りたかった。
…………そんな事に思い至れる年齢では、まだなかった。
泣いて泣いて1日を過ごし、夜になって泣き疲れて眠り、目覚めてまた泣いて。
ふとお祖母ちゃんのベッドの枕元を見上げると、見慣れていたはずの写真が目に飛び込んできた。
「お祖母ちゃん、これ、だあれ?」
「若い頃のお友達。とっても仲良しで、不思議な縁があった人」
この人が、サクラさんだったんだ。
………もしこの世に絶対悪という物があったとして
それを倒し、この世界を救う人々がいるとしたら。
その悪が存在しなければ失う事がなかった命を救うことが出来たならば
それは、あなたの生きる道になるのかもしれない。
お祖母ちゃんの言葉が蘇る。
息子がひとりいるの。幹。ミキ・ヤマト




