Episode284-2 劇中・イエスとユダの関係
「……っ!?」
息を呑むユダ。周囲にいる弟子も呆然としている。
私を裏切る者を強い視線で見据える。
身を震わせたユダは様々な奇跡を起こしてきた私――イエスに言い逃れはできないと悟り、観念したかのように恐る恐るとそのパンを受け取った。
「……貴方がしようとしていることを、今すぐしなさい」
言うや否やユダはすぐさま席を立ち、舞台袖へと立ち去った。
その様子を見ていた弟子たちは自分が裏切り者ではなかったとホッと安堵するのではなく、未だ信じられないと口々にしている。
それはそうだろう。ユダは、イエスから会計係を任されるほどに信頼されていた弟子なのだ。
ユダが裏切った明確な理由はどの福音書にも明かされていない。
イエスがユダの求める姿と違って失望したからか、その身に悪魔が入ったからだとか、語られる理由は諸説ある。そしてイエスを想うが故に、彼の行動を止めたかったからだとも。
イエスは神の使命を果たすために過越祭を都イェルサレムで過ごす必要があったから上京したが、当時の宗教主導者である大司祭カイアファがイエスの思想に危機感を抱いて一行を捕えようとしており、彼等から逃げていたという状況にあった。
しかしイェルサレムにはローマの圧政に苦しむ人々がいて、その圧政から救ってくれる救世主を求めていた。求めていても救世主の姿など知らない人々にとっては、イエスがその救世主とは分からない。
だからこそイエスは己こそが人々を救う救世主であるのだと、当時の宗教主導者やローマの権力者などから「コイツは危険だ」と見做される派手な登場をしたのだ。
その後もイエスはイエスの信念で以って行動したが、それを見ていたユダは疑念を抱く。そしてそんなイエスを止めるべく、敢えて敵対関係にある大司祭カイアファの元へ向かった。「どうか先生と止めて下さい」と。
そう。イスカリオテのユダだけはイエスのことを他と同じように“主”ではなく、“先生”と呼ぶ。
このことから元々ユダは、イエスのことを救世主としては認めていなかったのだとも取れる。けれど他の弟子たちはイエスのことを神の子だと信じ、皆“主”と呼んだ。
神の子とは、最早同じ人間であるとは見做されていない。人智を超えた奇跡をイエスが起こしていることも弟子たちから、イエスは神の子だと崇められる拍車が掛かっている。
ここで先程私が深く考えたことに回帰する。
ユダだけが敢えてイエスを“先生”と呼び続けていたのは、彼だけがイエスを同じ地に足を着けている人間だと見ていたからじゃないかと。たくさんの奇跡を起こしていても、彼は人間なのだと。
だからこそユダは、イエスを“人間”として敬っていたのではないかと。
「……何故、私を裏切るのですか。私はただ人々を苦しみから救いたかった、それだけなのに……」
思い浮かんだすべては推測に過ぎない。真実は途方もないほど遠い昔に亡くなった、イスカリオテのユダにしか分からないのだから。
ユダが消え去った場所を静かに見つめ、この場に残る弟子らに晩餐を終えることを告げた。
「今からゲツセマネに行き、我が神へと祈りを捧げます。皆私に付いてきなさい」
そうして『ゲツセマネの祈り』のシーンへと移り、これから受ける苦悩を思って必死に祈りを捧げていたのに呑気に三回も眠りこける弟子たちを同じ回数叱った後、そこでイエスを捕まえるまえに大祭司カイアファの兵を伴ってきたユダと再会する。
「先生!」
裏切りが発覚したにも関わらず、まだ私のことを親し気に先生と呼ぶユダ。
眠気の誘惑に耐え切れず三回も寝ていた弟子たちはすぐに状況が把握できないのか、咄嗟に動くことができなかった。
――逃げようとは思わなかった。
人間の身である私は既に父へとこの身に受ける苦しみと悲しみを吐露したし、これから父と同じ存在になるのだと思えば、そもそも逃げることは私にとって愚かな選択だったから。
「先生」
向かってくるユダを避けはしない。彼が私の元へ来るのを待つばかり。
笑って私の元に近づいてくるユダを見つめ続け、頬に口付けをする――――振りの演技を受ける。
それを合図にイエス一行を捕えようと動き始める兵士と逃げようと動く弟子の喧騒が始まるも、そんな周囲の騒ぎなど耳に入っていないかのように私はただ、ユダの顔を見つめ続けた。
口付けを。親愛と愛情を伝えるその行為を、お前は私を捕らえるための道具にしたのか。
「――愛を裏切る人間など、生まれてこなければよかったのに」
お前が裏切ったせいで私は、もうお前と同じ“人”としては生きられないのだから――……。
ユダは大きく目を見開いた。一瞬傷ついたように顔を歪めたのは、彼女の演技力のたまものだろうか。
そう、ユダ役はクラスの演劇部員が担っている。この口付け場面があるがために、私に近づいても耐えられる(?)人間でなければならなかったらしいのだ。
ユダと私の空間に兵士が割って入る。
縄をかけられ捕縛された私は逃げて散り散りになった弟子たちのことを思い、連れられて行った。
 




