Episode264-1 彼等の間に旗が立つ時
利他ではなく、利己。
そうだと思っていた彼の認識は、告げた本人から違うのだと言われて。
けれどすぐに言葉が出てこない緋凰から顔を外して、春日井が静かに立ち上がる。
「今日はもう帰るよ。また連絡する」
「……ああ」
「えっと、あの。お、お見送りに行ってきますね」
緋凰に向けて言ったら緩慢に頷かれ、春日井からも拒否されなかったので彼の後に続いて緋凰の私室を出た。廊下を歩き階段を降りても無言のままで、私も何て声を掛けたらいいのか分からない。
遂に玄関まで来たところでお手伝いさんのお見送りを辞し、そこでようやく彼は話を始める。
「……まさか今日、こんな話になるなんて思わなかったよ」
「あのぅ。多分緋凰さまも感じてたと思うんですけど、怒ってます?」
「ちょっとね」
やっぱり。春日井がキラキラ笑っている時って、大体何か気に入らないことがある時だもんなぁ。
「負担って。確かにその才能を羨ましく思うし最近妬みもしてるけど、頼ってくれることが嬉しいからなのに。僕のことを親友だと認めてくれているからだって思っていたのに、負担って」
「少しとかちょっとどころじゃなさそうですが。何かもう私、聞いていて冷や冷やしました」
「多分陽翔、猫宮さんいるの忘れてたよね」
「それだけ嬉しかったんじゃないですか? 貴方から注意されたのが」
目を瞬かせてこちらを見てくる春日井に、思ったことを告げる。
「いつも何かしら助言をしてくれていたのにしてくれなかったってこと、ああ言っていても内心ショックだったんじゃないでしょうか? だから悪い方に考えて、貴方に限っては自分に非があると認めて、ああいう言葉選びになったんだと思います。それに好きな人に注意されると喜ぶ癖が、どうも緋凰さまにはありそうです」
「何その癖。嫌なんだけど」
だって好きな女子から注意されたって言って、嬉しそうにしてたし。さっきもまた注意してくれって、苦笑いだったけど笑って言ってはいたし。
すると春日井は軽く息を吐いて姿勢を正した。
「……本当、あんな風に真っ直ぐに言われると、どれだけ自分が小さい人間なのかってことを自覚するよ。きっと陽翔は僕が彼と一緒にいるからこそ、周りから比較されるのを気にしていたことがあるなんて、思いもしないんだろうね」
軽い口調ではあったけど、内容は私的には重く感じる。
まだ春日井の『答え』は出せていないのだろうか?
「あれから何か、心境に変化とかありました? それとも……」
「変化、ね」
春日井は薄く微笑んだ。
「考えはするんだけど、でもハッキリとはしなかったよ。そもそも猫宮さんに話した時点でも、すぐに答えが出せるような気持ちじゃないってことは判っていたからね。近くにいない限り、いくら考えても僕の気持ちは多分動かない。……儘ならないな。見ているものがこうも違うと」
見ているもの。
それはお互いのことなのか、“別の何か”なのか。
私と麗花、瑠璃ちゃんの関係性を思い浮かべる。
幼い頃に知り合ってそれから頻繁に会って遊んだり、お茶会をしたりしていたけれど、ずっと仲良しのままで過ごしてきた。彼女たちとはお互いの意見がぶつかり合ってケンカをすることもなく、かなり穏やかで平和な“親友”関係であると言える。
春日井の参考になるかと思って私の親友関係を思い浮かべたが、どうも参考になりそうになかった。やはりこういうのは男同士女同士と、性別差も関係あったりするのだろうか?
「私は貴方たちがギクシャク中の紅霧学院に通いたくないのですが」
「そう言えば猫宮さんはどうして紅霧学院に行きたいの? もしかして、誰かを追い掛けていたりとか?」
さらりと話題を変えられたことに気づいても、その内容が的確過ぎてうっと詰まる。
た、確かに私の受験動機はそうだけども……!
「太刀川くん?」
「た、太刀川くんだけじゃありません! 私には純然たるオルトルに基づいた受験動機というものが、ちゃんと存在しています!」
「そうなんだ」
麗花の受験のことを聞くまでは、私の紅霧学院への進路希望は消極的だった。
気にはなっても望みが薄すぎたからこそ、進路学習室で他の高校を探していたのだ。
「動機は割愛しますが、スポーツ大会個人戦賞総ナメ天才児である緋凰さま曰く、陸上部門であれば希望はあると。ですからこの夏、あの鬼コーチの下で必死にトレーニングに励んでいるのです! 今日も私はよく頑張りました!」
「ああ、確か『インターバル走千五百メートル四本』って書いてあったよね。お疲れ様」
そう、陸上トラックを何回グルグルしたことか!
設定されたペースからちょっと遅れるだけでも注意が飛んでくるので、ほとんど何も考えずに無心で走り続けたのだ。
そのせいで「喉が乾いたなぁ」という生理的欲求はトレーニング中では死んでおり。家に戻ってからその反動がきて、キッチンのミネラルウォーターを求めて彷徨うゾンビと化した私と、遊びに来たらしい春日井がバッタリ廊下で出会った場面が本日のハイライト、という訳である。
「私は基本的にトレーニングから帰還したら夕食のお時間までは部屋で死んだように眠りに就くので、その時間を狙ったのでしょうね。まさか私が部屋から這い出てくるなどとは思いもしなかったのでしょう。それで今日は、普通にお会いするご予定だったのですか?」
「うん、一応。中等部の夏は米河原さんの特訓と並行して会ってはいたんだけど、今年は陽翔から連絡が全然なくて、僕から取ったんだよ。何か隠してるような気配も感じたし。そうして会う約束取りつけたら中途半端な時間で指定してくるし。やることが極端なんだよ、陽翔は」
「やることが極端なのは初日あたりに私も思いました」
「……だから放っておけなかった」
ん?と疑問に思って首を傾げてその先を求めると、彼は緩く頭を振った。
「何だかんだで前より仲良くなってるみたいだし、聞いているかな? 家の後継者である僕と陽翔が、紅霧学院に進学する理由」
「はい。大まかな理由としては内部生の抑止、ということですよね?」
「そう。僕と陽翔と、白鴎くんと秋苑寺くん。学校自体はどちらへ進んでもやることなんて変わらないけど、組み合わせは別だと皆考えていたよ。陽翔と白鴎くんだったら生徒に対して圧が強すぎるし、陽翔と秋苑寺くんは意外と相性良いみたいだけど、結局は仲の良さで決まった。何でも言い合える方がお互い過ごしやすいだろうしってことでね。特に反論が出ることもなくすんなり決まったよ。僕も陽翔から連絡がないだけでこんな風に気になるくらいだから、離れるって考えは初めからなかったな。だから例え猫宮さんが合格して通い始めても、ギクシャクした姿を見せたりはしないから安心して」
あれ? 何か遠くに行ったと思っていた話が、ブーメランの如く戻ってきました。




