Episode263-0 『親友』への本音
項垂れた正座中の生徒をそのままにする懇々先生ではなかった。
生徒の悪いところを言って、ちゃんとフォローを入れてくれるのが懇々先生の懇々たる所以。フェミニストな白馬の王子様兼、恋愛の神様である。
「さっきも言ったけど、今回のことは初めに陽翔へのアポを受けた僕にも足りない面があったんだ。猫宮さんから僕に掛かってくる電話はいつも毎回面……断る間もなく、いつの間にか巻き込まれているから。あの日は用事もあったし、猫宮さんが陽翔に言う気になったのかと、僕がそう勝手に思っていて。毎回用件の本質を言わずに切られていたとは言え、こんなことになっているのなら何のためにアポを取るのかを、僕が初めからちゃんと問い質しておけば良かった話なんだ」
「すみません、何か異常に私にだけグサグサと突き刺さるものがあるんですが。あとさっき面倒とか言い掛けてませんでした?」
私の発言にレモネードを飲んでスルーする姿勢の春日井。おい白馬の王子様。
そしてやはりスルーした春日井は緋凰に顔を向けて、とある質問をした。
「ねえ陽翔。どうして今回の件は僕に一言もなかったの? 猫宮さん関連のことだし、初等部の頃は二人で色々と水泳の技術面でも話し合ったじゃないか」
「え、そうだったんですか?」
「うん。それをことごとく謎の動きで撥ね退けるのが猫宮さんだったけど」
「今日異様に私への棘が強くないですか貴方」
ぼやく私を横に置いて緋凰からの返答を待つ春日井へ、少ししてからその問いに答えが返った。
「……一人で何とかやってみようと思ったんだよ。お前、前に言っただろ。『何でもできるんだから、頑張ったらできる』って。親衛隊の奴らは俺のことを慕ってくれてはいるが、それだけだ。夕紀みたいに俺を諫めたりすることも、同じ目線で相談に乗ることもねぇ。けどお前にそう言われて、初めて突き放されて気がついた。……甘えて、それに乗っかって、成長しようとしてねぇ俺がいるってことに」
吐露される内容に目を見開いたのは私だけでなく、春日井もだった。
いや、春日井の方がより驚いただろう。
「夕紀は俺ン家の家庭事情も知っていて、俺のぶっきらぼうな性格を知っても受け入れてくれた。身内は俺から離れてったけど、お前は離れていかなかったから。離れるどころか傍にいて、俺じゃ気がつかねぇことにも気づいて、色々助言してくれただろ。コイツは俺とずっと一緒にいてくれるって、それをいつの間にか当たり前のように思ってたんだ。傲慢にもな。きっとそういうところが親父にプレッシャー与えた原因の一つだってのに」
家庭の事情を口にするのを聞いて春日井が私に視線を向けてきたが、頷いて返す。私が事情を聞いていることを察して、彼は再び緋凰に視線を戻した。
緋凰は視線を伏せていて、そんな私達のちょっとした無言のやり取りには気がついていないようだった。
「お前に初めて突き放されて。そうして自分を見つめ直したら、何てことはねぇ。そこに蹲って動こうとしてねぇ、ガキの俺がいただけだった。歩く能力がねぇ訳でもないのにずっと夕紀に手を引いて、引き摺ってもらっていただけだったんだ。ンなダセェ自分に気づいて、そんなんじゃアイツの目をこっちに向かせられる訳もねぇって思って、だから変わろうと思った」
俯かせていた顔を上げ、緋凰が真っ直ぐに春日井を見つめる。
「夕紀。お前の言う通り、俺は誰かと自分からコミュニケーションを取るところから始めた。そうしたらやっぱり夕紀はすげぇ奴だって、俺は再認識したぜ」
「え?」
「色々と失敗も結構しているが、それでも一歩を踏み出せていると実感する。前の俺じゃしなかったことをやって、そこから学ぶものがあって糧になっている。それは、お前が俺のためを思って言ってくれたことがきっかけだったからだ。今回の亀子の件を夕紀に言わなかったのは、お前への甘えの払拭っていうのもある。それにお前を間に挟まずに女子と、……亀子と向き合ってみたかった」
緋凰はそこで苦笑を溢した。
「だがやっぱ俺じゃ見えてねぇ視点があることに、こうやって気づかされる。夕紀。もうお前に引き摺ってもらったりはしねぇけどよ。けど、たまにはそうやって言ってくれねぇか? おんぶに抱っこじゃなくて、お前とは対等な関係でいたい。ずっと親友って付き合いでやってきたが……いや、今までのはそうじゃねぇっていうことでもないけど、けどこれからは互いに切磋琢磨し合えるような、そんな親友関係でいきたい。今までは、俺がお前に負担を掛けてきたと思うから」
胸の内を吐き出せて、スッキリとしたような様子の緋凰。
そんな彼から見た春日井はどう映っているのか知らないが、少なくとも私から見た春日井は呆然としているように見えた。
そう見えてしまうのは恐らく、以前緋凰に対する彼の抱えている思いを聞いているからで。だからすぐに返答ができないでいるのだと思う。
表情が動いていないので分からないが、今の緋凰の言葉に心の内で、どう折り合いをつけようとしているのだろうか?
そわそわしながら見守っていると、ようやく春日井の口が開かれる。
「……僕は陽翔のこと、負担になんて思ったことないよ。それは少し、心外だね」
「悪…」
「僕は」
心外と言われて、咄嗟に発された謝りの言葉が遮られる。そして遮った春日井の声に、緋凰も私も驚いた。
その遮りの声音があまりにも――――感情のない、平淡なものだったから。
「僕は陽翔のことを可哀想だとか、そんなことを思って傍にいたり、助言していた訳じゃない。負担なんて言葉が出てくるのは、僕が陽翔に対してそう抱いているって、そう思ったからだろ?」
「夕紀」
「陽翔は自分じゃ見えていない視点があるって言ってたけど、そんなの僕だって同じさ。僕に見えていないことが陽翔には見えていたのを、よく知っている。気づいてそうやってすぐ行動できるところとか、素直に受け止められるところとか。僕はずっと……今も、羨ましいって思ってる」
羨みと妬み。
それは似ているようで違う、紙一重の感情。
「僕は陽翔が困っていたから助けた。楽しかったから一緒にいた。他人の目なんて関係ない。助けることも一緒にいることも僕にとっては普通で、当たり前のことだった。だってそれが“親友”だから」
『お互いといて楽しいから僕達は一緒にいる。だから競っている訳じゃないのに、どうして周りは勝ち負けや優劣をつけたがるのかって』
『水泳自体もそうだけど、何より三人でいる時のやり取りが。周囲に惑わされずに自分がやりたいこと、好きでしていることを続けていこうと思えた』
身近にいる人間しか気にすることがなかった緋凰。
関係ないと己に言い聞かせながらも、自分たち以外の人間の視線が気になっていた春日井。
きっとギリギリのバランスで保たれていた。それでも上手く嚙み合っていたから、ずっとお互いに心地の良い、ぬるま湯のような“親友”の関係でいられたのだろう。
けれどそれが、何故か今それが崩されようとしている。同じ場にいることを忘れられた存在と化している、空気を読んでお口チャック中の私の目の前で。
「……切磋琢磨し合えるような、そんな親友関係。陽翔は僕と、そういう風に付き合っていきたいと考えているんだよね?」
「あ、ああ」
「うん、分かった」
キパッと。春日井はキラキラスマイルを浮かべながら、そう言った。……ん?
「距離感とかは別に今まで通りでいいよね? 陽翔が問題視してたのは陽翔自身のことで、僕にどうこうしてほしいってことじゃないし。心構えの宣言って感じなんだろ?」
「え。お、そ、そうだ?」
「うん。けど今回みたいな場合もあるし、相談するところはちゃんと相談してくれたら嬉しい。陽翔からの相談事なんて猫宮さんの突拍子のない思いつきに比べたら、よほど理路整然としているし、全然負担なんかじゃないから」
「だから何で私ばっかり棘々」
「あと陽翔」
「な、何だ」
「対等と言うからには、僕も。……君に、ちゃんと言わなきゃいけないことがある」
何かしらの圧が乗ったキラキラスマイルから一転、苦笑とも諦めともつかないような表情で、彼は。
「『陽翔は何でもできるんだから、頑張ったらできる』。あの言葉は、陽翔のためを思って言った言葉じゃない。――――あれは、僕のエゴから出てきた言葉なんだ」




