Episode254-2 緋凰家の内情
“話す”ということは“聞いてほしい”ということだと思って、続きを促した。
「お父様、どうして帰ってこないんですか?」
「知らねぇ。聞いたことねーし。まあ察しはついてっけど」
テーブル上にページを開いたまま置いていたアルバムの表紙を指先でつまんで、パタンと閉じられた。
「ウチは母さんが緋凰の血筋だ。父親は婿入り。息子の目から見ても母さんは奔放で自信家で自由人だ。自分がやりたいことの道を譲らず、堂々と突き進んでいくタイプの人間。たまにフラッと帰ってきて、俺にちょっと構ったと思ったらすぐ飛行機乗ってどっか行って……父親と話してるのなんか、見たことねぇ」
ハッとした。緋凰の話に出てくる家族像が、以前の百合宮家と似ている。仕事に掛かりきりになって家に帰ってこないお父様と、家にいて私ばかり構うお母様。
あの頃のお父様の存在は希薄で、お母様も私とずっと一緒だったから。だから会話するどころか、二人が共に過ごす姿さえ見ることがなかった。
「まだ小せぇ頃。俺の記憶の中にある父親は、いつも腑抜けた面して笑ってた。母さんがあんなんだから、緋凰は婿入りの父親が引っ張っていくしかねぇ。当時は俺もあんまそういうの分かってなくて、会社から帰ってきた父親に構ってもらいに行ってたんだ。出迎えた時に俺に見せる面は腑抜けてっけど、優しい、そんな顔をする父親が好きだったから。けどそれも……段々崩れていった」
――転機は自分の教育が始まってからだと、緋凰は言った。
曰く、息子が大した努力を感じることなく優秀な成績ばかりを残すことが、父親へのプレッシャーになっていったのだと。
共に家で過ごす中で息子は自分の父親が、気の弱い性格だと理解していた。気が弱いなりに気を張って会社で仕事をこなし、帰ってくれば息子が自分に甘えてくる。
まだその時の父親にとって息子のそれは、彼の癒しとなっていた。そしてある程度の年齢に達すれば、事前教育が施されるようになる。
自分が優秀な成績を修めれば、自慢の息子だと父親も喜ぶだろう。
幼い息子はそう単純に考え、父親を喜ばそうと教育を進んで受けた。けれど進んで受けた教育内容は息子にとっては至極簡単なもので、大して頭を悩ますものではなかった。
『こんなの簡単』
『面白くない』
『もっと難しいと思ってた』
全部嘘偽りのない本当のことだった。
父親は息子のことを本人からも、彼を指導する教育係からも報告で聞いていた。
素晴らしいと。息子の才能は、神童と名高い彼の百合宮家の御曹司と引けを取らないのではないかと。
そうして父親は少しずつ、少しずつ。
顔色が悪くなり。
息子に笑い掛けることができなくなり。
玄関を開けることに躊躇いを感じるようになり。
会社にいる時の方が、楽に呼吸ができるようになり。
――――別に住まいを持つようになり、息子の待つ家に帰らなくなった。
「自分とは正反対の母さんに劣等感抱いてんだ。母さんは自分のやることに口出ししてこない人間を俺が継ぐまでの中継ぎに据え置いただけで、父親への愛なんてねぇんだよ。……あの人は俺が自分のようであって欲しかったんだろうなって、今なら何となく解る。母さんの要素しかない俺といるの、嫌だったんだろ。もう滅多に顔合わせねぇから、本当のところはどうなのか知らねぇけどな。婚約の件で去年揃って帰ってきてた時だって、母さんが話進めるばっかで、一言も口挟んでこなかったし」
「……何か、お父様とお話はしなかったんですか?」
「さっぱりな。あんな感じで終わったんだからちったぁ声掛けてくるかと思ったのに、全然。雇いの人間に伝言残して、母さんが帰ったらさっさと出て行った」
肩を竦めて返される。
……そんな父親の行動が彼にとっては最早普通のことだと認識化していても、それでも何も思わなくなる訳じゃない。
何も思わなければこうして堰切るように話し出すことも、独りだったことを強く意識させるアルバムを手元に残していることもない筈だ。
「今も写真、送っているんですか?」
「頻度は減ったけどな」
何となく、解った。どうして心の柔いところを明かしてきたのか。
本音で語り合った時間があったからだ。今まで彼には春日井以外に、本音で語れる人がいなかったから。
何てことはない。私が先にそうしたから、向こうも返してきただけの話だ。自分に助けを求めてきた私に彼もまた、私に助けてほしいのだと。
そうか。そう言うことか。今まで誰かとのコミュニケーションは自発的に『取らなかった』んじゃなくて、『取れなかった』のか。
取ろうと……喜んでもらおうとして、大きく失敗しているから。そのせいで大好きな人が自分から離れていってしまったから。
どうすれば良いのか。会いに行くことができないから自分の成長写真を送り付けることくらいしか、きっと幼い子どもには思いつかなくて。
――顔を逸らされ、向けられた背中に手を伸ばそうとして躊躇う……そんな幼い子供の姿が浮かぶ
「……写真、この一ヵ月でいっぱい撮りましょうよ」
ほんの少し思考してそう提案すると、相手は訝しそうな顔を向けてきた。
「は? 何でだよ」
「だっていっつもあんな不機嫌な顔で送り付けてこられても、見せられるお父様だって詰まらないでしょうに。わざとそうしているのでしょうけど、たまには違う顔して写ったらどうですか。というか訴えが遠回し過ぎて、逆に相手に伝わっていないと思います」
「…………」
「春日井さまと一緒だと穏やかな顔してるんですから、もっとそういうので行きましょう! 『一人だと詰まらないからこんな顔になる』は、昨日で営業終了です。――これからは笑って、『今もこんな顔を送って貴方に見せるくらい、貴方のことが好き』ってことをアピールするんです!」
面倒くさがりで、やる気が出ないと動かないヤツ。
そんな緋凰が頻度は減っても、ずっとやり続けていることなのだ。失敗しても立ち止まらず、諦めることなく前向きに。
……根はずっと素直な人間だから。
笑って告げれば緋凰が目を見開いて――――プイッとそっぽを向く。
「いつまで経っても帰ってこないヤツのことなんか、別に好きじゃねぇし! 写真のことだって習慣づいちまっただけで、別に……。けど、まあ、そこまで言うなら、お前の特訓記録も兼ねて撮ってやってもいい」
「素直にものを言えるお口が欲しいですね、緋凰さま」
「うるせぇ鳥頭」
憎まれ口を叩いてくる緋凰にいつもならカチンときてクソミソの応酬が始まるところだが、耳を真っ赤にしている彼を見ていたらそんな気も起こることなく、ほんわかとした気持ちになるしかなかった。




