Episode213-1 『姉』から『妹』に確認すること
夏期休暇が目前に迫るこの日の休日、私は珍しくも一人で図書室に来ていた。
ローリングコロコロを趣味としている私であるが、もう一つの趣味に読書がある。
残念ながら香桜の図書室に『決死! ドクドクローの冒険』シリーズは置いていなかったが、結構気になる本が置いてあるので度々借りたり、その場で読んだりしているのだ。
前回借りた本を読み終わったので、返却ついでに真新しい本は入荷していないかなと本棚の間をウロウロする。すると気になる題名の本を見つけたので手を伸ばすも、少し届かない。
うーっと唸って頑張って背伸びをして取ろうとしていると、スッと後ろから伸びてきた手が私の取ろうとしていたその本を棚から抜き取ってしまう。
追うように視線を本が取られた先へと向けると、そこには麗花の『姉』である雉子沼 椿お姉様がいらっしゃって、思わず目を見開いてしまった。彼女は笑って私に本を差し出してくる。
「これを取りたかったんだろう?」
「あ、はい。ありがとうございます、椿お姉様」
「うむ」
お礼を言ってペコリと頭を下げると、いつも厳しく前を見据えている目元を柔らかく細めて頷かれる。
休日の図書室だが今日は利用者も少なく、けれど小声で言葉を交わした。
「椿お姉様も本を借りに来られたんですか?」
「ああ、授業で調べ物の課題が出ているのでな。それの参考資料を探そうと来た」
そう言われて見ると先程伸ばされた腕とは逆の手に、小難しそうな表紙の本を数冊抱えていらっしゃる。
「何だか内容がとても難しそうな本ですね……」
「そうでもないぞ。まぁ、確かに難しく見える生徒もいるだろうな。私はこういう系統を好んでいるからそう言える。花蓮くんは?」
「私は課題関係なく読みたい本を探しに来ました」
私のことを花蓮くんと呼ぶ椿お姉様は、ただ「そうか」と口にして、視線を私から逸らしてどこかを見た。釣られて見ると、室内の壁掛け時計に行きつく。
「これから課題をされるのですよね? お忙しい中助けて頂き、ありがとうございました」
「ああ、いや。……花蓮くんさえ時間があって良ければ、私に少し付き合ってくれるか?」
「え?」
突然の椿お姉様からのお誘いに目を瞬かせるも、特にこれからしなければいけない予定もないので、了承することに。
「はい、大丈夫です」
「そうか。では少し場所を変えよう」
人が少ないとは言え長々と図書室で会話を続ける訳にもいかなかったので、彼女の後に付いてカウンターへと貸出の手続きを終えた後向かった先は――――何と生活寮にある、彼女のお部屋だった。
「お、お邪魔します」
「どこにでも……ああ、百合宮の令嬢を地べたには座らせられないな。ベッドで良ければそこに腰掛けてくれ」
「あ、いえ。ここではただの後輩ですので、お構いなく」
二棟ある生活寮は学年で階分けされており、三年生は個室となっている。生徒同士、部屋の行き来をするのはその部屋主がいて入室の許可があれば、下級生でも入室は可能だ。
先輩のお部屋に入るのは初めてなので幾分ドキドキしながら入室したら、そんな気を遣われる言葉を掛けられたので首を振って否定した。
椿お姉様が首肯し、彼女がカーペットの敷いてある地べたへと座ったのを見計らって、私も同じように座る。
途中自動販売機で購入した飲料にそれぞれ口を付けながら、こっそりとお姉様のご様子を観察した。
私がいるとはいえ自室なので多少は寛いだ姿になるかと思ったのに、その背筋は真っ直ぐと伸びて一分の乱れもない。恐らくこの状態が彼女にとっての普通。
自分を厳しく律し、僅かな乱れも許さないとされるような空気を自然と身に纏う椿お姉様。それはきっと、彼女の生家で代々受け継がれてきたことによるものだろう。
雉子沼家は国内でも高名な、『書家』の家。
世間一般では書道家と呼ばれるそれだが、書道の歴史においては書家が正式な名称だ。
古来の文化が廃れぬようにと、親から子へ継がせるスタイルの雉子沼家。
幼い頃からそんな教育を受けてきたお姉様は、とても美しい字をお書きになる。実直でありながらも流麗な文字。私も人から綺麗な字と言われるが、椿お姉様とは比べるべくもない。
しかしそんな厳しそうなお家の娘である椿お姉様がどうして全寮制の香桜に入学したのか、そこまでのことはさすがに知らない。
そして何故私が彼女からお誘いを受けたのかも。彼女の直の『妹』である麗花ならば、まだ分かるのだが。
「……意外と分かりやすく視線を向けるのだな」
「!? す、すみません」
いつの間にかこっそりからガッツリになっていたらしい。
失礼をやってしまって慌てて謝罪を述べると、フッとその口許に笑みが浮かぶ。
「いや。君たちを見ていると、つくづく噂とは当てにならぬと思い知らされる。花蓮くんは病弱で大きな手術を得て快調し、山で空気の良い香桜に療養がてらの入学と私達の学年では噂されていた。まぁ普段の生活態度を見ていて早々に違うとは分かったが。雲雀からは聞いていないか?」
「そんなお話はまったく聞いておりません」
何という壮大なガセ。盛大なデタラメ。
誰だ。そんな嘘八百を吹聴し、百合の掌中の珠と言い出した輩は……ん?
「君たち?」
「麗花くんのことだ。彼女は君とは違い、あまり良くない内容ではあったが」
良くない内容と聞いてつい眉根が寄る。きっとそれは麗花に忍くんや新田 萌とお友達になるまでにあった、周囲からの負の部分。
私の表情を見たお姉様から訂正が入る。
「今ではもう、麗花くんのそんな噂を鵜呑みにしている生徒は香桜にはいない。安心してくれて良い」
「……椿お姉様は麗花のこと、やっぱり最初はそう見ていらしたのですか?」
「いや。私は彼女のことに関しての噂は、初めから信じていなかった。むしろ入学式の時の新入生代表挨拶で凛と立つ姿を目にして、やはりあの噂は出鱈目だなと頷いたくらいだ」
「あ、それはお聞きしています。椿お姉様が麗花に一目惚れしてたって、雲雀お姉様が」
そう言うと、お姉様は目を眇めた。
「雲雀……。それは言うのか」




