Episode210-0 球技大会の話と秘されし異名
あれから聖母月行事のミサも中間テストも終わり、六月になった。
三月あたりからずっと忙しかった【香桜華会】もテスト終了後は比較的雑務が落ち着き、私達はのんびりと毎日を過ごすことができ――――
「なあなあ! 今度の球技大会、二人は何をやるんですの!?」
――――なくなった。
今の今まではのんびりできていたのだが。
ちなみに本日は授業のない休日。前日の決められた時刻までに外出申請を出して許可が下りれば、土日の外出は可能だ。
ただし外出範囲は指定されている。門限である十八時までに寮へ戻ればオッケーなのだ。
そしてバアアァンと部屋の扉を大きく開け、相変わらず最後だけお嬢様語尾でそんなことを言い放ったきくっちーは中の様子を見て、それも私を見て呆れた表情となる。
「花蓮またやってんの? それでいつもよく目が回らないよな」
「だって本当にちっさな頃からしていることだもん。ねー麗花?」
私がちっさな頃からしていること。つまりローリングコロコロ。
暇を持て余した私による優雅なお遊び兼、三半規管の修行である。
同意を得るためスケッチブックにお絵描き中の麗花へと振り向いて声を掛けると、彼女はこちらをチラッと見て。
「習性ですので仕方がありませんわ。私はもう諦めておりますの」
「そっか」
「訳知り顔で即納得するのはどうしてなのか」
そんなことを言っている間に、きくっちーが大きく開けた扉をお行儀よく閉めて入ってきた桃ちゃんがテテテッと可愛らしい足音をさせて、麗花の傍に行った。
「麗花ちゃん、なに描いているの?」
「……そうですわね。では撫子、逆にお聞きしますわ。これ、何に見えまして?」
手を止めてスケッチブックを桃ちゃんに手渡し、渡された彼女はじっくりと描いてあるものを見つめる。……あ、逆さまにした。
「え…………えっと。えっとね……」
「何これ? カブトムシ?」
「葵。そこにお直りなさい」
「何で!? え、違うのかっ!?」
「可愛いお犬ではありませんの!!」
「これ犬かぁ!!?」
桃ちゃんがうんうんと悩むのを後ろからきくっちーが覗き込み、パッと見ただけでそう発言し且つ最後にいらん一言を言った彼女には、麗花から鉄槌が下される模様。
ダメだ。香桜で一年ちょっと過ごしても、麗花は想像描写・カブトムシ画伯だった。何も見ずにスケッチブックに集中しているから、きっとそうなるだろうなと思ったけど。
コロコロ転がって私もスケッチブックを覗き込めばそこにはやはりというか、カブトムシ……第何号だっけ?が存在していた。
「麗花。何回も何十回も言ってるけど、犬に角はない」
「何回も何十回もこれはしっぽって言っているじゃありませんの!」
「何回も何十回も頭に角もしっぽも描くなって言ってるの! 角を描いて良いのは、頭に角がある動物だけって言ってるの!!」
「何かコイツらどっちもどっちって気がする」
「桃もそう思う」
私と麗花の角しっぽ争論は取り敢えず『しっぽは頭の上じゃなく胴体の横に描く』ということで一旦終結させ、入室冒頭で発言していたきくっちーの内容に触れる。
「球技大会って、もうそんな時期?」
「そんな時期になったんだよ! バスケ、バレー、サッカー! どれにする!?」
やる気満々のきくっちー。
まあ彼女は運動神経が良いので、それはそれは楽しみな行事であろう。
「私はどれでも構いませんわ。今のところはクラスで希望を取る時に、人員が少ない種目に入ろうと思っておりますの」
「え、そうなの? アタシ、できたら麗花と同じが良いと思ってるんだけど。リベンジしたい!」
「葵ちゃん、去年の雪辱を晴らしたいんだって」
「へぇ」
去年の球技大会だが運動神経の良いこの二人はともにバスケを選択していて、確かウチのクラスは一ポイント差で負けたのだ。
丁度インターバル中だった私も見ていた瞬間で、麗花の放ったスリーポイントシュートが美しい円を描いて華麗に決まった。それと同時に試合終了の笛が鳴り、あれは紛れもないブザービーターであった。
うん、さすが麗花である。
あの時の歓声、めっちゃすごかった。
「雪辱って言うんなら、やっぱりバスケ希望?」
「できたらね。でも他の種目も楽しそうだし、やれるんならアタシも何でもいいってのが正直なところ」
「ふぅん。桃ちゃんは?」
「うーん……どれも嫌。桃、足遅いもん」
「去年は私と一緒のバスケでしたわよね。足が遅いのを気にするのなら、バレーはどうですの?」
「腕にボールが当たったら痣ができちゃうし。それにもしバレーで葵ちゃんと当たったら、桃の腕折れちゃうよ……」
「折れるか!!」
腕を擦りながら顔を青くした桃ちゃんが言ったことに、きくっちーから速攻で突っ込みが入った。
皆の話を聞きながら、私もうーんと悩む。
「私はどうしようかなぁ。去年はバレーに出たけど、早々に退場しちゃったし」
「しちゃったと言うかさせられただろ、アレは。アタシあの瞬間見てたぞ。軽めのサーブだったにも関わらず、花蓮が顔面でレシーブしてたの」
「大騒ぎしてたから桃も知ってる。『百合宮さまが! 百合宮さまが敵の攻撃を受けてお倒れに!!』って大きな声、コートの隅にいても聞こえたよ」
二人から言われ、身を縮こまらせる私。
あれはローテーションで後ろの真ん中にいた私へと綺麗にサーブボールが来たのを、華麗にレシーブで決めようとした時のことをこの二人は言っている。
同じクラスで味方の子達はボールが描く軌道先にギョッとした顔をしていたけど、アレはどう見ても私が受けなければいけないヤツだったのでやる気満々で構えていたのだが…………何でだろう? ボールとの距離感を把握しきれていなかったようで、モロに顔面レシーブを喰らってしまったのだ。
その衝撃で私は後ろに倒れながらも、ボールはちゃんと上に上がったのを確認したからやったぞ!と思ったのだが、誰もそのボールでトスをする子は現実にはいなかった。
そのままコートに落ちたボールだけがテンッ、テンッ、テテテンッ……と軽快に跳ねていく中で周囲にいる子達の空気は敵味方関係なく凍りつき、桃ちゃんが言っていたその発言を切っ掛けに、その場は阿鼻叫喚の渦を巻き起こした。
『妖精の愛し子もかくやという百合宮さまに、何という仕打ちを!』
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!』
『あああっ、お顔が真っ赤になってしまわれているわ! 担架! 担架はいつ来るの!?』
『百合宮さま! 百合宮さまお気を確かに!!』
顔が多少ジンジンする程度のことで、仕打ちとか土下座されるとか担架とか言われても困る私。
そんな周囲の状況に堪らなくなり起き上がろうとするのを、『安静にしなくてはなりません!』と二人がかりで肩を押えつけられてコートに転がされたまま、保健委員がやって来るのを待つ羽目になったのだ。軽く恥ずか死ねる。
そして私がコートから強制退場させられた後、私のいたチームはメンバーを新たに一人加えて怒涛の快進撃を見せ、バレー部門の優勝を勝ち取っていた。
それまでは動きが固かったのに、私がいなくなった途端に皆動けるようになるとかどういうこと?
遠い目をしてそんな去年を思い返していたら、ふぅと息を吐いた麗花が。
「花蓮はもうサッカー部門で、コートのサイドラインを一人マラソンしていたらよろしいのでは? 誰にも精神的被害を受けさせない唯一の策ですわ」
「ヤダよ私だけ違う競技するの! ていうかもうそれ球技じゃなくなってる!」
なに一人サイドラインマラソン!? 皆コート内を行き来するのに、私だけグルグルとコートを走ってるって、その図シュール過ぎる!
「あー。花蓮のクラス、辛いなぁ……」
「多分皆、競技の勝ち負けよりもどうやって花蓮ちゃんを最後まで守り抜くかって考えてそうだよね」
「五体満足のままな」
「そこ同室二人! 私を何だと思っているの!」
この私は運動音痴という不名誉を受けながらも、体育を乗り切りこうして今も元気に怒る、たくましい人間だぞ!
しかし二人は顔を見合わせて。
「「百合の掌中の珠」」
「何でそれ知ってるの!?」
「千鶴お姉様が」
「ポッポお姉様が」
「仲良し姉妹で何より!!」
上級生からの呼び名が同級生にも知られてしまっている羞恥で顔が赤くなる。
だがしかし麗花は知らなかったようで、目をパチクリとさせていた。
「あら。花蓮ったら、そのように呼ばれておりますの? 貴女が付けるネーミングセンスよりかなり優れておりますわね」
他人事のように言う麗花。彼女だって本来だと紅霧学院に通う未来であれば、『赤薔薇の君』などというこっ恥ずかしいあだ名が付けられる。
ムーとしていると唐突に桃ちゃんが麗花の手を取って、「の、喉乾いちゃった。桃と一緒に売店まで来て!」と誘い、了承した彼女と共に慌ただしく部屋を出ていった。
「桃ちゃんそんなに喉乾いてたんだ」
「いや違うって。……もしかして花蓮、知らなかった?」
「え? 何を?」
疑問に疑問で返すと、はぁ~と安堵したように頭を前に倒すきくっちー。
そんな彼女の様子に首を傾げていると、頭を上げたきくっちーはそのことについて教えてくれた。
「いや、てっきり知ってるのかと思って、撫子は花蓮が暴露する前に麗花を連れ出したんだよ。だって言いそうな顔してたし。花蓮は百合の掌中の珠って呼ばれてるけど、……実は麗花も赤薔薇の聖乙女って呼ばれてるんだよ」
「え?」
「ほら。聖母マリアの純潔は白薔薇、赤薔薇はキリストが十字架上で流した、殉教者の血って象徴されてるじゃん? 堂々とした気高い振舞いが白よりも赤って感じで、それがわざわざカトリック系の学校に自ら来たってんで、真っ赤で大きな赤い薔薇で例えてそうあだ名付けられたんだと。ちな、千鶴お姉様情報」
「…………」
私と麗花は聖天学院に通わなくても、結局こっ恥ずかしいあだ名からは逃れられないようである。




