Episode181-2 海棠鳳⑩―忍の発露―
ふと意識を戻して新田さんを見れば、目を丸くしている。
何も言わずに待っていれば、赤い目元を更に赤く染めて俯いた。
「私、ずっと尼海堂さまのこと、勘違いしていました」
……うん、だろうな。知ってる。
「ずっと、私みたいなのが薔之院さまのお傍に寄ることをよしとせずに、バリアを張っていらっしゃるのだと思っていて。私に秋苑寺さまを当てたのも、排除したいからだって」
あの時言っていたバリアの意味がようやく分かった。
あと新田さん個人に当ててない。彼に頼んだ内訳には、赤薔薇親衛隊暴走阻止で中條も含まれている。
「私、睨まれていると思って、怖くてずっと飛び退いていました。失礼な態度だったって、いま思います。すみませんでした。……あと、追い掛けてきて下さって、ありがとうございます。お話も、聞いて下さって」
放っておけなかったんだから仕方がない。
授業も一つサボってしまったが、まぁ……授業内容は問題ないだろう。あるとすればサボり理由だな。どうするか。
と、クスクス笑う声が聞こえてきた。
どうしたのか、新田さんが笑っている。
「……なに」
「いえっ、あの。本当に私、何も見えてなかったんだなって思いまして」
「?」
「尼海堂さまって、考えていることが顔に出ているって、よく言われませんか?」
「!?」
何!? また出ているのか!?
くそっ、顔面も修行して鍛えなければ……!
「ふふふっ。私、ここで尼海堂さまとお話できて、良かったです。少し元気が出ました」
「……麗花のことは、」
「あの、そのことなんですけれど」
自分も彼女に話を聞く、と言おうとして遮られた。
そして眉を下げながらも新田さんは顔をちゃんと上げて、しっかりとその瞳に覇気を宿す。
「嫌われてしまいましたけれど。もう遅いのだとしても、それでも私、ちゃんと薔之院さまに私の言葉で、私の気持ちをもう一度お伝えします。実は言葉が喉に貼り付いて、ちゃんと言えなかったんです。本気でぶつかれていませんでした。また、一方的に返されてしまって……。……あそこで退いたらいけなかったんだって、気づきました」
また、と口にしたことで、以前にも自分の知らないところで麗花と何かあったことが窺える。
恐らく自分と同じく、麗花に対して後悔している過去があるのだろう。
「だから決めました。一回はもう当たって砕けているんです。もう何度砕けたってそう変わりません! 見ていて下さい、尼海堂さま。薔之院さまに……城山さまにも、私の気持ちをしっかり伝えます」
「城山さんにも?」
力強く言われたそれに眉間に皺が寄る。
一体何を伝える気なのか。
城山の周囲の人間は新田さんを除き、彼女に対して従順な人間で固められている。それは到底友人と呼べるものではない。
今回の大沼のことを鑑みても恐らく自身が動くことなく、自らの思うように動かせる駒程度にしか思っていないだろう。そうすると、その駒が己に反意を翻すとなればアイツはどう出るか。
自分の面に出ていただろうものを感じ取ったのか、けれど首を横に振られた。
そして――――笑った。
「尼海堂さまのおかげです。尼海堂さまが追い掛けてきて下さらなかったら、一人でメソメソして諦めていました。去年忠告して頂いて、先日も転びそうだったのを助けて下さって、今日は立ち上がる勇気も頂きました。守って下さって、ありがとうございます!」
いつも存在を認識されては飛び退かれていた。泣いていた。
自分と視線が合う時は、いつもビクビクとしていて。泣かせてしまった。守れなかったのに。
――――守れなかったのに、何故、笑顔でお礼なんて言うんだ
「尼海堂さま?」
……違う。うるさい。何だ。何だこれ。
待て。ちょっと待ってくれ。こっち見るな!
顔を隠すように腕をやり、相手から見えないようにするしかなかった。どうにも自分は顔によく出るらしいから。
……くそっ、何か熱い! 身に覚えがあるぞこれ。麗花と友達になる過程で経験したやつ!
けど……。似ているようで、違う。
――――それは一体、どういう感情からくるものなのか
初めて飛び退かれなかった。
初めて自分に、笑ってくれた。
たったそれだけのことなのに。
どうして、こんなに――……。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「……麗花」
「忍?」
放課後、サロンへと向かうまでの中廊下。向かうかは五分五分だったが、恐らく今日は来るだろうと思ったから待ち伏せていた。
自分の呼び掛けにこちらを見た麗花は目を丸くしながら、真っ直ぐに自分の元へと向かってくる。
「どうしましたの、こんな半端な場所で。話があるのでしたらサロンで伺いますわよ?」
「……いや。確認したいことが」
「確認?」
小首を傾げて不思議そうな顔をしている。
自分とだと態度も変わらず、普通に会話をしている。……麗花の態度は、変わるだろうか?
二人の間に入った、外野からの悪意による亀裂。
どちらかに付く訳じゃない。自分は、自分にできることをするだけだ。
「新田さんのこと」
ただ一言、その言葉に意味を込めた。聡い彼女なら意味はすぐに通じる筈。
すぐに反応はなかった。ただ真っ直ぐに自分を見つめていた麗花は――スッと、目を細めた。
「……忍。また私に隠れて、コソコソと動いていましたわね?」
……。
…………想像していた反応と違う。
持ち手を掴んでいた鞄を腕に下げて組み、拗ねたように睨みつけられている。
圧が掛かっていないから、普通に怖くない。むしろ可愛い部類。……ん?
「気づかなかった私も私ですけれど、言わない忍も忍ですわ! この私は薔之院家の人間でしてよ!? 自分にかかる火の粉くらい幾らでも対処しましてよ!」
「……」
「何ですのその顔」
「……どんな顔」
「そんなこと言われると思わなかったって顔ですわ!」
当たっている!! 絶対に表情筋を鍛えなければいけない!!
というか、え? 本当にどういう反応だこれは。まさか意味通じてない??
そう思ったのも束の間、ふぅと息を吐いた麗花は一度ぐるりと周囲を見、再度その顔が戻ってきた時には真剣な顔をして声を潜めた。
「丁度良かったですわ。そのことについては私も、貴方にお話がありましたの。――忍は新田さまのことを、どうお思いですの?」
約一時間前にあった五時限サボりのことが頭に浮かぶが、違うとかぶりを振る。
聞かれているのはこの場合だと、人間性のことだろう。彼女は新田さんと話して、『拒絶する』という選択をしている。もう既に麗花の中で彼女に対する答えが出ていなければ、そんな選択はしない。
……新田さんのことを、どう思っているか。
「正義感のある人間。迷って、誰かの影響を受けていたとしても、けれど自分で考えて納得して行動する。そんな人間」
そう告げれば目を少し見開き、けれどその一瞬後に彼女は――――笑った。
「そうですの。忍も、そう思いますのね」
も? ……と、いうことは?
「……麗花は、彼女のこと」
「昔の話ですけれど。彼女、私に物申してきたことがありますの。当時の私は友達もできなくて、躍起になって色々な催会に参加していましたわ。その中である日、彼女と仲の良い子とトラブルになりまして。別の催会に参加した時に、偶然同じ場におりましたの」
過去のことを口にするその表情は、内容とは裏腹に穏やかなもので。
「思い返せば自分でも、私は近寄り難い子どもだったと思いますわ。周囲の子に嫌われていると疑心暗鬼になって、不機嫌で。それでも彼女はトラブルとなった子のために、そんな私に向かってこう言ってきたのですわ。『謝って頂けませんか』と」
敢えて明言していないが新田さんが絡んでいるとなれば、現状から見てトラブルとなった人間は一人しかいない。
「あの時は気に入らなくて、キツい言葉で撥ね退けてしまいましたけれど。……私にそんなことを面と向かって言ってきた子は、新田さまだけでしたの。それだけで、彼女がどういう人間性かは判りますわ」
「……」
――――察した。
どういう意図を以って、麗花が新田さんに対し拒絶の選択を取ったのか。極端過ぎないか?とは思うが。……けれど。
「麗花が思っているより、新田さんは弱くない」
パチクリと瞳を瞬かせる彼女を見つめていれば、自然と口許に笑みが浮かぶのが自分でも分かる。
『一回はもう当たって砕けているんです。もう何度砕けたってそう変わりません! 見ていて下さい、尼海堂さま』
うん、見ている。新田さんを信じる。
彼女は麗花が築いた彼女のための防御壁を、必ずきっと粉々に打ち砕くと――……。




