Episode176-2 海棠鳳⑤―萌の油断―
普段の学院生活だって、別に城山さまを中心にしている訳じゃない。城山派じゃない子と行動することだって多いのに。
城山さまに対する気持ちが離れかけているせいか、薔之院さまにまでそう思われていることが、何だかとても嫌だった。
「私、あの。城山さまとはお友達ですけれど、派閥というグループ分けでは違います!」
「え? ……そうでしたの?」
「はい!」
私は隠れ薔之院派です! 中條さまに引き込まれた赤薔薇親衛隊員です! ご本人の前でそんなことはとても言えないけれど!
と、秋苑寺さまから守って頂いたことのお礼がまだ途中だったことに気づく。
「薔之院さま、ありがとうございました! 秋苑寺さまから守って頂いて」
「お礼なんてよろしいですわ。女子トイレの前で待ち伏せだなんて、明らかなセクハラですもの! 言い訳も見苦しくて、二の句が継げませんでしたわ。事情がどうとか言っておりましたけど、あんなセクハラ行為に正当性なんてなくてよ!」
プリプリされる薔之院さまのお言葉を聞いて目が遠くなる。
私は尼海堂さまじゃないからチクらない。尼海堂さまがスパイ活動を妨害するのに秋苑寺さまをけしかけたなんて、絶対にチクらない。
……あの時は何かドキドキと心臓がうるさくて、顔も熱くなっちゃったし恥ずかしくなって逃げちゃったけど、後からあれは一種のつり橋効果なんじゃないかと考え直した。
うん、絶対違う。だって私は男子で言うと春日井さま派だし、尼海堂さまなんて春日井さまと全然違う。
そりゃ椅子と一緒に後ろに倒れかけたらドキドキするし、男の子とあんなに近づいたのも初めてだし。尼海堂さまも顔は……お綺麗だし。
それに怖いもの。いなかったのに、いきなり現れるとか。気づかない間に見られている可能性とか。
チラリと薔之院さまを見たら、口許に手を当てられて何事かを考えていらっしゃる。どうしようか迷ったけれど、勇気を出して口を開いた。
「すみません、薔之院さま。えっと、お聞きしたいことがあるのですけれど、よろしいでしょうか?」
口許から手が離され、小首を傾げられる。
「私が答えられることでしたら」
「あの、尼海堂さまのこと、なんですけれど」
「忍?」
意外、という顔をされて、すぐに納得されたように「ああ」と。
「忍のことが気になりますの? 新田さま、よく忍のことを見つめていらっしゃいますものね」
「え?」
「忍の方は……あら、私が口にするのは野暮かしら? まぁ、こういうことは相手側の一番身近な人間に聞きたいものですわよね。そうですわね、私が一番忍の身近にいるお友達ですものね!」
何故か頬を染められて嬉しそうなお顔をされていらっしゃいますけれど。とてもお可愛らしいけれど。とてつもなく珍妙な勘違いをされていらっしゃる……?
私がよく見惚れているのは貴女ですよ!? えっ、何で? 私、いつも怖くて飛び退いているのに何でそんな風に見られているの!? 待って薔之院さまが私のことを認識されていた!? 嬉し恥ずかしい!!
心の中で大騒ぎしていたら追撃がくる。
「新田さま、いつも恥ずかしがって逃げておられましたもの。ええ、ええ! 忍の一番身近なお友達の私で良ければ、何でもお答えしますわ!」
違うううぅぅぅ!! キラキラのお目めが眩しいいぃぃ!!
本当は「いつも尼海堂さまと何をお話しされているんですか?」ってお聞きしたかったのに、何かまた誤解が加速しそうな気がして聞けなくなった!!
「やっぱりいいです……すみません……」
「あら、そうですの? 残念ですわ……あ、そうですわ」
少し残念そうなお顔をされて、けれどすぐにお言葉が続く。
「先程考えておりましたのだけど。新田さま。お昼休憩の時間は、私の絵のモデルになって下さらない?」
「えっ?」
「後ほど白鴎さまともご相談して、あの変態に対する防衛策を練ろうと思いますの。同じクラスなのはどうにもできませんが、私とともにいれば、一先ずは秋苑寺さまからの虫除けになれましてよ! それに風景画ばかりでなく、そろそろ人物画にも挑戦してみたいと思っておりましたの。どうかしら?」
薔之院さまを虫除け扱いとか、何て恐れ多いご提案をなさるの。薔之院さまの絵のモデルとか、何て誘惑大なご提案をなさるの。
中條さまと城山さまのお顔がチラと頭を掠めたが、薔之院さまを見つめて見惚れていても許される正当な理由の前では、砂が風に流されるようにサアァァーと薄れていった。それに遠くよりも近くにいた方がお守りできるかもだし!
――そういう訳で、私は暫く薔之院さまの絵のモデルを務めさせて頂くことになったのだ。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
お昼休憩にCクラスへ薔之院さまと白鴎さまが連れ立って来られるようになって、秋苑寺さまに追い掛けられることはなくなった。
そして私は薔之院さまの後ろを付いて歩き、美術室へと向かうことが最近のルーティーンと化している。
中條さまにはあれでも抜け駆けのように思われてはいけないため、ちゃんと事情を説明したら理解して下さった。
『そうですわね……。私も秋苑寺さまの行動はさすがにアレだと思っておりましたし、さすが薔之院さまですわ。新田さんなら尼海堂くんの時のような衝動も起きませんので、大丈夫です』
何の衝動なのかは良く分からなかったけれど、無事にお許しも頂けたのである。
「今日はここまでにしましょう。新田さま、お疲れ様ですわ」
「はい、薔之院さま!」
そう声を掛けられて、椅子などを戻すのをお手伝いする。
今日で絵のモデルも四回目。私、どんな感じになっているんだろう?
ガタリと元の場所に戻して、開けていた窓も閉める。ああ、今日も良い天気だわ……。
「新田さま」
呼び掛けに振り向くとノートサイズのスケッチブックと、筆記用具を胸の前で抱えられた薔之院さまがお近くにいらっしゃる。そして彼女は微笑んで、何故かスケッチブックを私へと差し出してきた。
「気になりますわよね? どうぞご覧になって」
「え。よ、よろしいんですか?」
「ええ」
まさか見せてもらえるなんて思っていなくて、恐る恐る受け取って白紙のページから捲る。
「わぁ……!」
そして最新のページに至り一目見て、無意識に感嘆の声が自然と出ていた。
全体じゃなくて上半身のみだったけれど、とてもお上手だった。髪の毛やまつ毛なんかもすごく丁寧に描かれていて、細部まで濃淡の差があって立体的に見える。私は絶対ここまで描けない!
「すごい! すごいです薔之院さま!」
高揚のあまり語彙力のない感想しか口から出てこなかったけれど、薔之院さまはとても嬉しそうに笑んで下さった。
「そんなにですの? まだ完成してはおりませんのよ?」
「えっ、これで? そうなんですか!?」
「ふふっ。今まで学院では忍にしか見せる人がいなかったから、とても新鮮ですわ。……そうですわ。新田さまさえよろしければ、他の絵の感想も聞かせて下さるかしら? お家に持ち帰られてよろしいですわよ」
また衝撃的な提案をされて目を剥きそうになる。
なっ、何か、ツキ過ぎている気がする! 私大丈夫かな!? これ夢じゃないよね!?
けれどせっかくのご提案で、私にとったら願ってもないことで。
だから本当は令嬢らしく控えめに微笑まなければならなかったのだけれど、私は満面の笑みで「はいっ!」と元気に返事をしたのだ。
――――その様子を、美術室の外廊下から見ている生徒がいるとは知らずに。
そしてこれは、親交行事の前日の出来事だった。




