Episode174-2 海棠鳳③―萌の逃走―
想像して青褪める私の様子を見て、中條さまも小さく息を吐かれた。
「恐らくファヴォリでも百合宮家と白鴎家のご令嬢という影響力が大きい生徒の前で、薔之院さまへの悪い印象を植えつけようという魂胆なのだと思いますわ。私達の学年のファヴォリは、女子の方は私がおりますから心配はありませんし、男子側は秋苑寺さまも低学年の頃より薔之院さまのお味方です。一応尼海堂くんもですが。そうしますと、低学年の子達の印象を操作する方が簡単ですわ。特に百合宮先輩の妹君は滅多にサロンに来ておりませんから、薔之院さまがどういう御方か知らないでしょうし」
「そんなっ」
「城山派へ遠回しに牽制をすることは可能ですが、それで止まるようならここまで派閥勢力を伸ばすことはできなかったでしょう。下手に動けば、私達が逆手に取られてしまいますわ」
ゴクリと息を呑む。
百合宮家が妹さまを思って張り切って準備されている、親交行事の催し。
それを何らかの方法で台無しにし、その原因が薔之院さまに向かうように仕向けられてしまったら。
――間違いなく、百合宮家は薔之院さまに悪印象を持つことになってしまう。
「あの! わ、私、城山派の皆に、薔之院さまへの誤解を解…」
「いいえ」
堪らず声を上げるも遮られる。
中條さまは首を振って、気遣うような視線を私に向けてこられた。
「……新田さん。城山さまと長らく親交がある貴女に言うのは酷だと思いますけれど、言わせて頂きますわ。彼女とのお付き合いは止めた方がよろしいです。私は一気に薔之院さまに心を奪われてしまったので、早い段階で気づけました。家同士の繋がりも多少あるのであれば難しいかもしれませんが、貴女と彼女の場合はそうではないでしょう。貴女だって彼女がどういう人間なのかはもう、気づいているのではなくて?」
ズキンと胸に棘が刺さった。そんな気がした。
薔之院さまをどう思っているのかを、はっきりとその口から聞いた訳じゃない。だから違うかもしれないと、今まで自分が見て接してきた姿を信じたくて、見ない振りをしていた。
――――城山さまを信じたいと。そう思うこと自体がもう、答えなのに。
広い図書室の本棚に隠れた奥の隅の席でヒソヒソ話していたけれど、報告会が終わって中條さまが席を立たれて暫くしても、私はぼんやりとして椅子に座っていた。
同じクラスだから疑われることは低いとは思うけれど、それでも違う派閥の生徒同士が一緒にいるのはいらない火種の元となる。
小さな、幼い頃はそんなの関係なく、友達になったのに。
どうして成長すればするほど、相手を疑い、疑わなければならなくなるのだろう? 小さい頃に仲良くなった子達は、いつの間にか皆遠ざかって行く。
どうして変わってしまうの? 元からそうだったの? 違うの?
ずっと、城山さまは薔之院さまのことが嫌いだったの? 仲良くしたいと、笑って言っていたのに。どうすれば仲良くなれるのか、悩んでいたのに。
「……美織ちゃん……」
浮かんでしまう。今は遠い場所で頑張っている、彼女の顔が。
学院から他所の学校に転校すると、学院生である最後の日に彼女から告げられた。
『萌ちゃんと離れるのは寂しいけど、私、ここから離れられることにすごくホッとしているの。ずっと息苦しくて、私には合ってないって思っていたから。でもね、萌ちゃんと一緒にいる時だけは、私でいられた。普通に息をすることができたの。場所は離れちゃうけど、ずっとずっと、萌ちゃんのこと、大好きよ』
ご両親の離婚に伴い、住まいも引っ越すことになった美織ちゃんはでも、スッキリとしたような顔で笑ってそう伝えてくれた。絶対お手紙書くね!って私は泣いて言って、彼女もうんって頷いてくれた。
――息苦しかったなんて……知らなかった。
白鴎さまに近づいていた時の彼女の様子に、違和感を覚えていたけれど。彼のことが好きな筈なのにどうしてと思っていたけれど、本当は違っていたのかもしれない。
苦しいことから解放されるのなら良かったって、そう思った。けれど心の奥の方で、ふとした時にジクジクとした痛みを感じる。
……一緒にいたのに気づけなかった。
気づいてあげられなかった。大事な友達なのに。
いつも私は――――遅い。
助けたいのに、助けられない。
他の人の手で解決される。
「……うっ」
じわ、と目に涙が滲んでポロポロ落ちていく。拭こうと思ってポケットに手を入れようとして、鞄に入れたままということをハタと思い出した。
……人を助けることもできない、約束だけでなく物も忘れる私なんて!!
「うっ、うぅ~」
「……あの」
「!?」
間近で聞こえた声にビクリとして見れば――――尼海堂さまがいる!!??
「ひぎゃっ……きゃ!」
「!」
衝撃のまま条件反射で後ろに重心を動かして、けれど椅子に座ったままでやったそれがバランスを崩して椅子ごと後方へ倒れていく浮遊感にザァっと血の気が引くのも束の間、腕をグッと引き戻されて椅子だけが床に転がった。
引かれた勢いのまま身体が尼海堂さまの身体にぶつかって、抱き留められる態勢に……っ!? なに!? 待って今どういう状況!!?
色んな事が一気に起こり過ぎて、心臓がバクバク鳴っている。
尼海堂さまは相変わらず突然出現されるし、椅子と一緒に倒れそうになるし、怖い尼海堂さまに助けられ……って近いいいぃぃぃ!!
心の中が大騒ぎで目の前グルグルしていたら、身体がスッと離れた。
「……無事?」
「ひょえっ。だ、だだだ大丈夫でありまする!」
「……」
あ! また目を細められている!
一度視線を私の頭から足まで上下に動かされた後、倒れた椅子を直して下さった。……あ、ファヴォリにさせてしまった!
「す、すみません!」
「いい。自分が急に声を掛けて驚かせてしまったせい。……また、泣いていたから」
「え?」
ポツッと落とされた呟きに目をパチパチとさせる。
そしてもう離されているが、腕を掴まれた方じゃないその手にハンカチがあるのに気づく。尼海堂さまは私の顔を見た後、それをポケットに仕舞われた。
……え。もしかして私が泣いていたのを見て、ハンカチを渡そうとして下さったの……? というか、またって?
泣きそうにはなっても、尼海堂さまの前で泣いたことはないのに。
驚きの連続で涙は既に止まっていた。涙は止まった、けど。
尼海堂さまは薔之院さまを見ていると、いつもいつの間にかお隣にいらっしゃって。笑っている薔之院さまのお隣にいらっしゃるのに、いつも目が合って私は恐怖に飛び退いてしまう。
そう。いつも、目が合って――……。
「失礼します!!」
バッと頭を下げて、その場から早歩きで広く大きな図書室を出て廊下を走る。
彼の居る場所から離れたくて、マナーよりも感情を優先してしまう。反応も見ず返事も聞かずにそのまま逃げてしまったけれど、一体どう思われただろうか。
だってしょうがないじゃない! いつも見られていたんだと、改めてそう思ったら。
――どうしてだか心臓だけがバクバクと、音を立てる速さを増していったのだから。




