Episode161.5 side 薔之院 麗花⑩-2 始まりの狼煙
「えっへへ。薔之院さんに呼び出されちゃった!」
「ウザいですわ」
「シンプルにひどいこと言ってきた!」
比較的忍もよくいる非常口へと連行すれば、着いた途端にそんなことをにへら~と笑いながら言ってきたので、普通にイラッとした。
忍がいれば多少の癒しにはなりますのに、目論見が外れてしまいましたわ……。
「私は貴方と違って面倒くさい物言いはしませんわ。はっきり用件だけをお聞きします。よろしくて?」
「うわー本当清々しいよね。いいよ? なに?」
笑いながら頷く彼に、昔の記憶を引っ張り出して口を開く。
「貴方が初めて私の家に訪ねてらした時のこと、覚えていらっしゃるかしら?」
「随分とまあ昔の話だねぇ。もちろん覚えてるよー。仲良くお話ししたもんね?」
「記憶改竄も甚だしいですわ」
思考回路どころか、記憶でさえもトんでいるだなんて。この男は社会に出て生きていけますのかしら?
「それで、その時に仰っていたお話の件ですけれど。ハロウィンパーティでどうのと仰っていたでしょう。天使の仮装をした子、見つかりましたの?」
「……本当随分とそんな昔の話、よく覚えてるね?」
薄らと、彼のヘラヘラ笑いの質が変わった気がする。
「貴方のお話では従兄弟がちょっと、と言うことでしたけれど。その従兄弟、私と同じクラスの白鴎さまのことですわね?」
「まぁ俺の従兄弟って言ったら当時は佳月兄か詩月の二択だし、絞り過ぎれるほど絞れるけどね~」
「今更ですけれど。心当たり、いま出てきましたわ」
「……ふーん」
気のない返事をして腕を組み、壁に背を預けて秋苑寺が笑う。
「それで? どこの誰かわざわざ俺に教えてくれるために、ここまで連れてきたんだ?」
「教えるかどうかは今から訊ねることへの、貴方からの返答次第ですわ」
「えー取引ってわけ? それ俺に不利じゃない? だって返答次第じゃ教えてくれないんでしょ?」
「私は白鴎さまより、天使の子の味方をしますわ」
ピクリと彼の片眉が微かに上がった。
「……なーんか分かっちゃった。薔之院さんがしたい質問、当ててあげよっか? 天使ちゃんが誰か分かったら、詩月はどう動くのかって?」
軽薄さを湛えた笑みに、言い当てられた内容にこちらも目を細める。
本当に読めない。ヘラヘラ笑っていても秋苑寺の本心なんて見えないけれど、そういう笑い方をしても全然こちらに考えを読み取らせない。
……だから苦手なんですのよ。
「だから詩月見てた訳ね。ふぅーん、そっか。へぇ。……でもさ、それも薔之院さんの中ではもう答え出てるんでしょ? 俺に聞くのはその確信を得るため。違う?」
「……その通りですわ」
学院の女子生徒には淡白な白鴎さま。
そんな人が、女子が嫌いなこの従兄弟が彼のことを気にして探すほどに気を向けただろう女の子。――それに。
『それはないね。どんな感情であれ、アイツが家族と俺以外に強く関心を持っている人間は、文通相手の天さんと、あともう一人だけだから』
『なるほど』
あの時の、忍と秋苑寺の会話内容。
その時は繋がらなくてあまり気にしなかったけれど、今なら分かる気がする。私があの子からの相談を忍にも確認した時に、忍から秋苑寺に唐突に確認したそれ。
あの子が他校訪問禁止令を出される原因となった運動会で、忍は彼女と面識ができている。
私の親友のあの子のために、忍はずっと何かしら動いてくれていた。普段は周囲の様子だけを観察して特に動くでもなく、どうでも良さそうな感じの忍が。
そして水島という女子生徒のことで忍が白鴎さまに何事かを伝え、それをすぐに了承したと言う彼。
『俺は尼海堂に、水島を守れと頼まれた。君から見て、俺は守れたか? “彼女”の憂いは、取り除けそうか?』
どことなく影を落とした仄暗い顔で、そう言ってきた。
あの件で彼もまたあの子と何かしら関わりがあるのだとは察したけれど、敢えて詳しく知るようなことはしなかった。
奏多さまと彼のお兄様との仲は学院では周知のものだし、その縁であれば不思議はなかったのだけれど。
――あの子から、白鴎さまの話は聞かない。名前が出ることもない。
奏多さまも佳月さまのお話を彼女にはしていないようだし、白鴎家に長女が生まれていることも彼女は知らなかった。
「秋苑寺さま。白鴎さまがご使用されているハンカチのブランド、どちらのものですの?」
「うん? え、これまたどういう意図の質問? ヤッバい、全然分かんなーい」
「確信を得るためですわ」
そうはっきり告げると、暫く首を傾げていた秋苑寺は結局彼の中で意図が繋がらなかったらしく、肩を竦めてその答えを口にする。
「フランスの有名どころ。『Luxury D』のヤツ。学院入学前によくフランス行ってたからさ、気に入ってずっと使ってる」
「……そうですの」
聞いて思うのは、やっぱりという諦念の思い。
ハロウィンパーティ、聞いても他の人間が知らない天使の仮装、水島家の会社設立パーティ。符号は一致し過ぎる程に一致していた。
あの子はただ純粋に、ハンカチを元の持ち主に返したいだけだろう。けれど白鴎さま側に引っ掛かりを覚えて、あの子のことを伝えるのを躊躇ってしまう。
文通を長年続ける程、特定の人間には関心を持っている。それが、あともう一人。
誰のことを言っているのか一致してしまった今では明白で、あの時の白鴎さまの。
『そうか。それならいい。憂いが、晴れるのなら』
仄暗さが薄れた、柔らかなあの眼差し。
こんなことがあるのか。
兄君同士の仲は良好、下はまだ分からないとはいえ同家格の入学者がいない以上、きっと兄君同士のような関係になると予測できる。
同じ学校ではない、社交で出会いもしない。お互い誰かも知らないのに、不思議な縁で結ばれている。
「――秋苑寺さま。私、やっぱり誰かを告げることは、できませんわ」




