Episode135-2 天蜻蛉⑨―黒幕―
耳に触れる声は穏やかで。
ずっと、ずっと聞きたかった声。
「怖かったんだよ。またお前が、あんな風に泣かされたらって。傷つけられたらって。嫌だった。許せなかった」
「……うん」
「前から、そうじゃないかって思ってた。俺が仲良くなりたいヤツ、俺から行ったヤツ、いつの間にか離されてた。拓也のことにしても、他のことにしても。何となく薄ら感じてた。ほら、一年の遠足の時に、花蓮が巻き込まれて転ばされたヤツいただろ?」
「太刀川くんをポールに突き飛ばしたヤツのこと?」
「……おう。奏多さんからソイツが転校したって聞いた時、すぐにアイツの仕業だって思った。俺が、やられたから」
彼がやられた。
傷つけられたから?
「あの時お前のこと信じきれなくて疑ったのも、元々はアイツが言ったことがきっかけだった。仲直りしたって言った時に、何でもないような顔してた。でも……目が笑ってなくて。それで確信した。全部、全部コイツが今まで裏で動いてたんだって。でも、責められなかった。俺のせいだから」
「……どうして?」
「俺がアイツの――――弟だから」
目を見開く。
回そうとした頭を、けれど動かせないように手で軽く押さえられた。
「弟の俺に執着してる。俺が誰かに見られるのは良くても、俺が他の誰かを見るのは許せない。そういう、感情重いヤツ。親父は政略結婚で、俺の母さんじゃない別の人と結婚してた。それで生まれたのが兄貴。でも親父には結婚前から好きな人がいた。それが俺の母さん。兄貴の母さんは結婚後に難病が発症して、兄貴を産んで亡くなった。だから親父は母さんを迎えようとしてたけど、母さんがそれを断ったんだ。どうして母さんが断ったのかは知らないけど、でも強い人だって思う。母さんはずっとキラキラしてる人だから」
……うん。分かる。とても活発そうで、明るいご婦人だった。
裏エースくんの内面は、きっとお母さん似。
「だから離れて暮らしてるけど、親父の家は大きな家だからさ。花蓮が聞いてもすぐ分かるような、結構有名な家。兄貴連れ回せばいいのに、催会はほぼ俺が引っ張り出されてる。息子だけど跡継ぎでも何でもないのに。おかしいだろ? 親父も兄貴も、母さんと俺を逃したくないんだよ。母さんと俺が他の誰かを好きになったら、自分たちから離れていくと思ってるから」
『俺の方から好きになることなんてねーよ』
あれは、そういう意味。
「……四年前の夏。アイツは関わってなかったけど、お前がされてること、泣いて動けなかったの見て、頭に血が上った。絶対、絶対に俺が守るって。二度とあんな顔させたりするかって。けど、塩野狩から話聞いて、後に、アイツが。兄貴が」
抱き締める力が強くなる。
「まだ……好きなのかって……聞いてきたから……っ!」
あぁ、だから。
「気付いてるんだ全部! 兄貴は俺が誰をどう思ってるのか全部! 誰かを“そういう意味”で好きになるとか思っていなかったから。俺の言動が兄貴にどう見えていたのか、考えてもなかった。塩野狩を悩ませたのも、水島がお前を狙い出したのも、全部、全部俺のせいだったから! だから離れようと、嫌われようとしたのに……!!」
本心を何も言わずに。相談もしてくれずに。
一人で。
「私が貴方を嫌う筈ないよ。それに、貴方が私を嫌うとも思ってなかったよ。だって五年も一緒にいたから。拓也くんと、三人で」
「花蓮」
「拓也くんも心配してる。拓也くんも言ってたよ、新くんは本気であんなこと言ってないって」
「……そっか」
静寂が室内を包み込む。
触れる温もりが、どこか物悲しい。どうして。こんなに近くにいるのに。
どうにもならないのか。まさか裏エースくんが恐れていたものが、本当の黒幕が彼の家族だなんて。ケチョンケチョンになんてできない。
引っ掛かる。だけど色々衝撃的なことが、感情が高ぶって思考がうまく働かない。何が。
……私は、何を忘れている?
「俺だって離れたくないよ」
――言葉で、態度で伝えると言ったくせに。それに気づかない振りをするのはどうしてですか?
「でもお前を守るためには、離れるしかなくて」
――本当は解っているのに。どうしてあの時、それを言葉で伝えなかったのですか?
「傷つけてでも、そうするしかなくて」
――言葉にしてしまったら、どうなるかが解っているから
「傷つけて、泣かせて。ごめんな」
――ちゃんと受け入れなければ、“アナタ”は“私”のまま
「ずっと一緒にいたかったけど」
――間違えないで下さい。そうでなければ、
「お前が、花蓮のことが好きだから。もう一緒にはいられないんだ」
好きだから。
「……私だって」
溢れてくる。
気持ちが波打って、どうしようもなくなる。
解っていた。
ちゃんと、そうだって。
私の貴方に対する『好き』は、そういう『好き』だって。
「私だって、貴方のことが。太刀川くんのことが、」
――そうでなければ、また―――――てしまう
……っ!!
「好きですっ……―― 友達、と、して」
溢れた気持ちはどうしようもなくて。
止められなくて。
けれど。
絶対に、絶対にこの『好き』だけは口にしてはいけないのだと。
閉じた瞳から零れた涙が伝えられない想いとともに、流れ落ちていった。




