Episode14.5 side 百合宮 奏多①-2 奏多の境遇とあの始まり
十一歳のとある日、僕は外に出てみないかと妹を誘った。
母に逆らわず言う通りに動く“百合宮家の長女”に対する“百合宮家の長男”として、たまには何かしないと示しがつかない。両親と、妹に対する皮肉でもあった。
行き先はこの頃学校の女子の間で話題になっている、設楽園の花園でいいだろう。
色とりどりの大小様々な花が咲き乱れていると評判で、女性なら誰もがうっとりするとのこと。
そうして着いた先で、まさかあんなことになるとは想像もしていなかった。
気絶する妹を急いで家に連れ帰り、家中が大騒ぎする中で妹は彼女の自室のベッドへと寝かし、僕はその看病を買って出た。
母は僕を叱るよりも妹の容体を優先し、診察した医者と話している最中だ。
ベッドの中で静かに眠る彼女の顔を見つめて、深く溜息を吐く。
……一体何をやっているんだ、僕は。
妹に勝手に期待して、勝手に失望して、挙句の果てには八つ当たりするなんて。その挙句の結果が、妹の怪我とは。
額に掛かる前髪をゆっくり払うと、少し膨れたこぶが現れる。
とその時、妹の口元が微かに動いたように見えた。
触れたせいで目を覚ましたのだろうか?
「……き、さま……」
「花蓮? なに?」
吐息と一緒にこぼれた言葉を再度拾おうとして顔を近づけた瞬間、閉じていた筈の目がカッと見開き、
「あああああああああああああぁぁぁっ!!!!!」
「うわあああぁぁっ!!!??」
大きな叫び声を上げたことに驚き、思わずベッドから転がり落ちた。
なん、何だ!?
そして起き上がった妹は見たこともない形相でこちらを見た後、慌てたようにベッドから転がり下りて僕のところまで走ってくる。
「ああああ、あのっ!」
「か、花蓮!?」
「ぎゃああああ!!」
どもった声を上げて何かを聞こうとしたようだが、あまりの妹の様子に声を掛ければ、何故か彼女は再び令嬢とは思えないような叫び声を上げた。
そして今度は姿見のところまで走ったかと思えば自分の姿を確認した後、何事かをブツブツと呟きながら床に崩れ落ちている。
額にできたこぶを見て、ショックでも受けたのだろうか?
外に連れ出す前の妹の状態とは百八十度どころか三百六十度違うその様子に、ただただ呆然としていれば、またもや想像を絶する事案が発生した。
「うわあああんっ!」
「え、ちょっと」
な、泣いた!? それも大声上げて!?
その時になってやっと立ち上がって妹の元へと行こうとして、ハッと気づく。
――どうやって泣き止ませたらいいんだ?
学校の女子たちが泣いたところなんて見たこともないし、ましてや今まで妹が泣いたことなんて一度たりともない。泣き止ませ方なんて、知らない。
僕は愕然とした。
思えば避けていたせいで妹の気を引くようなものも知らないし、家庭教師から学んだことを振り返ってみても、どれも今この時に役立つ知識なんてありはしなかった。火がついたように泣く妹に、僕は何もしてやれない。
そのことに酷く衝撃を受けていると、いつの間にか部屋に母がやってきて、泣いている彼女を抱きしめていた。
妹が母を呼んでギュッと服を握りしめる様子を見つめ、僕は小さく呟く。
「……あぁ、抱きしめればよかったのか」
その後何とか泣き止んだ妹であったが、疲れてしまったのかすぐにまた眠ってしまい、一旦は部屋を辞したものの心配で部屋の前にポツンと突っ立っていると、今度は父がやってきた。
「奏多」
「父さん」
さすがに仕事人間の父も娘が怪我をしたのを知って放っておけなかったのか、途中で放り出してすぐ帰宅してきたようだ。眉間に皺を寄せて僕に容体を聞いてくる。
「花蓮はどうだ」
「今は眠っています。先生は一日ベッドで安静にしていれば良くなるとおっしゃっていました」
「そうか……。花蓮はどうして走ったりしたんだ。何かあったのか?」
「いえ、それが僕にも……。花蓮が怪我をしたのは僕の不注意です。すみません」
頭を下げれば、「いや……」と返事が返る。
そのまま何も話さないまま二人して部屋の前にいたが、父は「咲子、母さんにも話を聞いてくる」と言って、妹には会わずに母の元へと向かって行った。
眠っていると聞いて会うのを止めたというよりも、僕と同じ理由で部屋の中に入れなかったのだと思う。
仕事人間の父は僕に会うことも、妹に会うこともほとんどない。
だから、何と言葉を掛けていいのか分からないのだろう。まぁそれは僕も同じなんだけど。
そうして少しして母がやってきて、妹の様子を見ようと扉に手を掛け少し開いたところで、それは聞こえた。
「そして会わないことで好きになることもない! 何これ完璧すぎる!」
丁寧でゆっくりと話す常の妹の口調とはかけ離れた、砕け過ぎの口調に驚いて扉の隙間から中の様子を窺えば、うっきゃーと嬉しそうにベッドの上を飛び跳ねる姿に呆気にとられた。
走ってこけるわ、大きな声は出すわ、泣くわ、飛び跳ねるわで最早別人としか思えない。
こんな妹、初めて見たことばかり過ぎて彼女に対してどう接すればいいのか、以前にもましてさっぱりだ。色々淑女としてその何たるかを教えていた母の教育が跡形も……ハッ!
バッと僕と同じようにその妹の様子を目の当たりにしている筈の母を見上げると、母は口元をワナワナと震わせて悲壮な表情でその様子を見ていたが、次の瞬間には両手で顔を覆っていた。
「……どうしましょう奏多さん。花蓮ちゃんが可笑しくなっちゃったわあぁぁ~っ!」
「か、母さん落ち着いて! 花蓮なら大丈夫だから! ……多分」
いや正直、大丈夫な気がしない。




