Episode110.5 side 白鴎 佳月④-2 白鴎に連なる者
「好きな子? 花蓮さん以外に? 有り得ないわ」
「有り得ないって。というかそもそもどうして、そんなに幼い時に会うことにこだわるんです。それに俺だって奏多と話すまでは、彼のことちょっと苦手に思ってましたし」
「……私は出会った頃から、素のままだった。父は微笑みの仮面をつけた後だった。取り外した仮面の彼の人と接して初めて、強く惹かれたんですって。だから自分の対が“対らしさ”を見せない限り、惹かれることはないの。ただ、気になるだけで」
そうだった。ずっと、見ていた。
“百合宮の長男”の顔を取っ払った姿を見て、接して、涙が溢れて止まらなくなるほどに感情が高ぶった。
「貴方の場合は、顕著だった。対の存在は感じ取っても、あの長男の被る仮面は完璧すぎて、隙がなく見出せなかった。私のように独占欲が強ければ、なおさら。求める反動が大きくて、心が耐えられなかったのね」
「……そう、言われると納得する部分も、あります。けど、詩月は?」
可愛い俺の弟。あの子にまで、俺や母のようなドロドロとしたものが巣食っているのか?
「詩月……。私も、貴方も、対は同性。お父様も、お祖母様も、近年何代遡っても同性。けれど、詩月の対は異性。男と、女なのよ。同性でさえこんな感情を持つのに、異性であればどうなるかなんて、想像がつくでしょう?」
「それは」
「ただでさえ貴方がそうなのに、あの子がそうじゃないとは限らないでしょう? ……詩月が生まれて、向こうに娘が生まれたと知った時に調べたの。先祖に誰かいなかったかと」
そこで母は視線を落とした。
――それはとても、静かな眼差しだった。
「いたわ。家系図に、その名を黒く塗りつぶされて」
どういう反応を返せばいいのか、分からない。
白鴎の家だって歴史ある古き家だ。それなのに名を消された。末梢、された。
「必死に探して、当時の手記を見つけたの。ところどころ字が滲み穴が空いていて読み辛かったけれど、解ったわ。そして名を潰したのにどうして手記が残されていたのか。同じことを、繰り返させないためだと」
「何とあったのですか。その手記には」
「……彼の人の、日記。綴られる百合宮への想いと、叶わぬ恋への慟哭。
『どうしてあの人は私を見ないのか。私はこんなにも、あの人への想いで狂ってしまいそうなのに』。
そんなことばかりが綴られた文章。そして、彼の人の弟が書いたものでしょう。
『兄は遂に狂ってしまった。してはならないことを兄は犯してしまった。愚鈍であれば救いはあったのに、優秀な頭脳を持ったばかりに念密な計画を立て、実行してしまった。兄は幼馴染として彼女と接していた。彼女も頼りになる幼馴染として兄を信頼していた。だから、周囲には駆け落ちと認識される。――本当は、』」
「……本当、は?」
「字が滲みきっていて読めなかったわ。でも、解るでしょう? 彼が何をして、対の彼女をどうしたのか」
「……」
「救いなんてそこになかったから、消されたのよ。なかったことにされた。あれほどまでの想いを抱いた人間をいなかったことに。詩月まで、そうさせるわけにはいかないの」
衝撃的なことばかり聞かされて、明かされて、脳が全然働かない。それでも俺に向ける弟の笑った顔ばかりが、その時頭の中に浮かんでいて。
「幼馴染として、いて、間違ってしまったのなら。どうして、あのパーティで、会わせようと」
「貴方が完璧な仮面をつけている長男のせいで、体調を悪化させるほどの想いを抱える人間だということが、分かったから」
俺の。
「私も貴方も想いは強く根深い。だから詩月もきっとそう。だからせめて仮面をつけ始める前に会わせたかったの。成長して、仮面をつけた状態で会わせたらきっと歪になる。それならまだ幼い時に会わせた方がマシだわ」
でも、それじゃ何なんだ。詩月はハロウィンパーティで出会った天使ちゃんのことを、頬を淡く染めて、どんな子か楽しそうに話していた。
初めて会った時も運動会でも、あの子は仮面なんてつけていなかった。変わるのか? 花蓮ちゃんと出会った瞬間に。その天使ちゃんへの気持ちも。
「……伯父さんは? 琉星さんと晃星の父親に、対はいないでしょう」
彼は、母の兄。穏やかな気質の。
「……産まれる前に亡くなったの。本当なら兄がいたと咲子がとても悲しんでいたから、よく覚えているわ。対のいない、出会うことさえもなかった静夜兄さまには、確かに百合宮への想いはなかった。けれど恋した人への執着は、まるで対へのそれのようだったわ。継ぐ筈だった家督を躊躇いなく放り出すほどの」
「っ!」
「佳月。考えなさい。どうすれば百合宮の長男の隣にいられるのかを。排除するのではなく、別の方法を」
そう最後に言って、母は部屋を出ていった。
考える。荒らぶる感情を抑え、理性的に。
どうすれば奏多の隣に、『俺』という存在が在れるのか。
『お医者さまの言うことは絶対です! 私のあのケガも、本当に二週間できっちり治りましたもの!』
グッと両の拳を握って、自信満々にそう言っていた彼の妹のことを思い出す。力任せにグシャリと前髪を乱して、両目を閉じる。
母の話を理解することで精一杯で、その血を確かに継いでいるのだと覚えのある詩月に関する“それ”を、とてもではないが口にすることはできなかった。
――詩月は、彼が可愛くてしょうがない俺のところによく来る。
勉強が終わった休憩時間とか、学院から帰宅してすぐとか、お風呂から上がって寝る前とか。夜中、悪夢を見て怯えた時とか。
それはまだ詩月が二、三歳の頃の話。
今ではもう、夜中に弟が俺のところに来ることはないけれど。
顔を青くして、おおきくなりたくない、と言った。
どうして、と俺は聞いた。
詩月は。
『ぼくのまえではいつもおなじかお。わらったとか、ないたりとか、おこったかおとかみたいのに、ぜんぶ、ぜんぶおなじかおしてるの』
『おんなのこ。ぼくあのこのことだいすきなのに、あのこはぼくじゃないだれかをみてわらってる。あのこはいつも、ぼくじゃないひとをえらんでる』
『ぼくはそれがいやで、すごくいやで、ひろいけどくらい、なにかのなかにそのこをとじこめてた。あのこはくるしそうなかおしていて、それをみてぼくは……わらってたの』
『こわかった。おおきくなってあんなことするなら、ぼくはおおきくなんてなりたくない』
――――そう、確かに言っていたのだ。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます!
佳月編はここまでとなります。さて、次回からは……!




