Episode103-0 帰宅サプライズ
「あら、奏多さんお帰りなさい。声を掛けてくれれば良かったのに」
そう言いながら、お母様がゆっくりと歩いて向かいのソファへ腰を降ろす。
「玄関扉を開けた途端、弾丸タックルされてからずっとひっつかれてるんですよ。声を掛ける暇は、花蓮が与えてくれませんでしたから」
「私のせいですか!? 私にひっつかれてもお兄様なら、お母様にお声を掛けることくらいできます!」
「無茶言うよね。だから僕にもできないことの一つや二つはあるんだって」
「ふふふっ。本当に奏多さんが帰って来たって実感するわ」
お母様には妊娠中によく飲んでいるというカフェインゼロの紅茶が運ばれ、一口つけながら私達の様子を微笑ましく見つめる。
「花蓮ちゃん、奏多さんがいなくてとても寂しそうだったのよ? 夕食の席でも奏多さんの席を見つめて食べていたもの」
「行儀の悪いことをしたらダメだよ花蓮。あぁ、あと母さん。花蓮から話聞いてたんですけど、パッチワークで忙しそうだからって構ってもらえなくて、拗ねてたそうですよ」
「まぁそうだったの? 花蓮ちゃん、来てくれて良かったのよ? 私も気づけば良かったわね」
口を挟む暇のないバラしの数々に、お口をパクパクさせるしかない。
「お母様! お兄様! そういうのは本人のいない時にバラすものです!!」
「あ、バラすのは良いんだ」
「花蓮ちゃん気になったのだけど、頭どうしたの? 後で直しましょうね」
「お願いします!」
恥ずかしさについ声に力が入ってしまう。
これでも精神年齢三十歳だぞ! 甘えたの寂しがり屋じゃないやい!
と、何やら玄関の方からドタドタドターっていう、何かが接近するような音が聞こえてきたと思ったら。
「奏多あああぁぁあーーーーッ!!!」
バアアアンッとリビングの扉を開け、お父様が入ってきた。
えっ、まだ十五時ちょっと過ぎ。
どうしたお父様、早退したの!?
私以外の室内にいる二人もポカンとしてお父様を見つめていたら、何とお父様、お兄様の肩を掴んで揺さぶり始めた。
ちょ、ちょっと! 私まで揺れるやめろ!
「奏多ひどいじゃないか! 私を置いて帰るとは!」
「は、え、どういうこと??」
本気でわけが分からないという声が、すぐ真上から聞こえる。
「修学旅行から帰ってくる日だから、サプライズで迎えに行ったら驚くかと思ってずっと車の中で待機していたのに、全然来ない!! しかし本田くんに伝えるのを忘れていて慌てて連絡したら、もう乗って帰っている途中だと言う! だけどメールは送っていただろう、奏多!!」
「えー……? 僕悪くなくない?」
お兄様は完全に悪くないと思います。
お迎えサプライズって。お兄様専属運転手の本田さんに連絡忘れるとか、完全なるお父様の不手際。お父様の張り切りは何かしら穴があるな。
「奏多さん。メール気がつかなかったの?」
「いくらマイクロバス内でも、携帯マナーはきちんとしないとダメでしょう。乗る時点で電源は切っているし、入れなくても問題ないと思ってそのままでした」
「お兄様が正しいです」
「そんなっ」
ガックシと床に両手をついて項垂れるお父様に、呆れの視線を落とす私。お母様はあらあらと苦笑し、お兄様も私と同じで呆れているのだと思ったけど。
「……迎えに来てくれてありがとう、父さん」
見上げたお兄様の顔は、何とも言えないというような困った顔でいて、照れたようなお顔だった。私が見ていることに気づいたお兄様に何か言われる前に、ニコッと笑って。
「お帰りなさい、お兄様!」
「お帰りなさい、奏多さん」
「お帰り、奏多」
私に次いで、お母様と、項垂れから顔を上げたお父様からも。
「……っ。た、ただいま」
主に私、たまにお母様。
お父様は逆に迎えられる側。
揃ってお迎えの言葉を掛けられたお兄様は、珍しくも言葉が詰まって。でも、嬉しそうにそう返してくれた。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
――その日の夜。
「僕のベッドで何してるのかな?」
潜って顔だけを出した状態でお出迎えしたら、視線に気づきベッドを見てビクッとしたお兄様から半眼になってそう問い掛けられたので、ニッコリと笑った。
「えへへ。お兄様のお部屋でお泊まり会です!」
「えへへじゃないんだけど。あれだけひっついていたのに足りないの?」
「足りないからここにいます。私の体温であったまっているので、温いですよ!」
お風呂から上がって歯磨きしてから一旦自分の部屋に行って枕取ってきて、寄り道せずにお兄様の部屋のベッドへと直行した。今日はお兄様もお疲れで、早々に就寝することを見越しての計画的犯行である。ムッフッフ。
「さぁどうぞお兄様。私がいなくて寂しかったこの二日間の空白、存分に抱き枕にして埋めて下さい!」
「それ絶対に僕と麗花ちゃんと瑠璃子ちゃん以外にやったらダメだからね。あと寂しかったのは花蓮だろう」
お兄様も寂しかったって言ってた!
私だけじゃないもん。あとお兄様しかこんなことしないもん!
バンバンと布団を叩いて催促したら、やれやれって顔をして仕方なさそうに布団の中に入ってきた。
「……? 端の方まで温いのはどうしてだ?」
「転がってまんべんなく暖を撒きましたので、抜かりはありません。えっへん」
「ベッドで飛び跳ねるの禁止。ゴロゴロ転がるのも禁止。勝手に潜り込むのも禁止。そんな顔されても母さんが見たらお説教ものだよ」
禁止事項増やされてショックです、を前面に押し出したらそう言われて返り討ちにされる。ううぅっ。だからお母様に見つからないように、コソコソお兄様の部屋に侵入したのに!
「家でくらいいいじゃないですか。外ではしっかり令嬢しています」
「疑わしいなぁ」
「ひどい! ……っ!?」
プリプリ文句を言っていたら、唐突に抱き込まれて驚く。
「何びっくりしてるの。抱き枕になってくれるんでしょ」
「い、言いましたけど、突然でした!」
「はいはい。さすがに疲れたからもう寝るよ」
言われ、腕を伸ばしてパチッと電気が消された。いきなり真っ暗になった空間に目をパチパチすると、くくっと笑われる。
「……お兄様の意地悪」
「知らなかった?」
「いいです。お兄様いつも優しいから、たまの意地悪くらい許してあげます」
「……そっか。ありがとう、花蓮」
殊の外優しくて穏やかな言葉が落とされて、嬉しくて思わず笑んでいたら「おやすみ」と言われたので、私も「おやすみなさい」と口にする。
お兄様の体温とトク……トク……と一定のリズムで聞こえてくる心臓の音に、次第に意識もまどろんでウトウトしてきた。
「お兄様……。起きてますか……?」
「寝たよ」
うそつき。
「勝手に……いなくならないで下さいね……朝……」
ポン……ポン……とそっと背中を叩かれると、更に眠りの世界へと誘われていく。ほとんど意識が落ちた中で、「……明日は二度寝するか」と小さく落とされた呟きが聞こえた気がする。
その日最後に覚えているのは、その呟きを聞いた気がして、ひどく安心したことだった。




