Episode102-0 奏多、修学旅行からの帰宅
月曜日から修学旅行へと旅立たれていたお兄様がご帰宅する本日、学校から帰宅した私は今か今かと、玄関先で直立不動の体勢で待っている状態である。
お兄様のいらっしゃらない我が家は、本当に寂しいものだった。
お腹の膨らみが目立ってきたお母様は、お部屋でパッチワークして赤ちゃんの掛け布団を作るのに集中しているし、お父様も夕食後は最近また仕事が忙しくなったようで、書斎に向かうことが続いていた。これがどういうことを指しているか。
――私の話し相手がいないということである。
住み込みのお手伝いさんいるけどお仕事の邪魔できないし、お手伝いさんのプライベートも邪魔できないし! 麗花と瑠璃ちゃんに電話しようとも思ったけど、用事もないのに電話するのもと思って我慢した。
間でスイミングスクールあったけど、春日井も緋凰も御曹司の立場で忙しいのに、話し相手なんて頼めない。そこはスパッと帰ってきた。
たった二日と半日だったけど、お兄様がいないだけでこんなに寂しくなるとは思わなかった。寂しくなるのは分かっていたけど、想像以上だった。
玄関扉をジィっと見つめて待っていると、ようやく扉からカチャリ、と念願の音が聞こえピョンっとその場で思わず飛び跳ねる。
「ただいまー……」
「お兄様お帰りなさああぁぁぁい!!!」
姿が見えた瞬間バッと駆けて、身長差のせいでお腹付近にタックルするように飛びつくと、「ぐふっ」という声が聞こえたような気がした。
きゃーっ、久しぶりのお兄様の体温とお日さまの香りだぁ!
待ってた。待ってた!!
お腹にグリグリと頭を擦りつけていたら、ポンポンと軽く頭を撫でられる。
「ただいま花蓮。家に入りたいんだけど」
「お兄様ならこのままでも入れます」
「無茶言うよね。僕にもできないことの一つや二つはあるんだよ」
ぎゅううぅっと離れる意志皆無なことを伝えると、「甘えただなぁ」と言って、仕方なさそうにズリズリ体重移動して家の中に入った。できるじゃないですか!
見上げてぷぅと頬を膨らませる。
「入れたじゃないですか。お兄様のうそつき」
「タックルしてくるのは予想ついてたけど、離れてくれないのは予想外だったんだよ。そんなに僕がいなくて寂しかった?」
「当たり前じゃないですか。お兄様のいない百合宮なんて、ただの宮です!」
「どういうことそれ」
お兄様がいてこその百合宮ってことが言いたいんですー。
「花蓮重い。靴脱ぐから一旦離れて」
「重くないです!」
百合の貴公子にあるまじき発言に反論して、仕方なく離れて靴を脱ぐのを見守って玄関に上がったら、即座にひっつく。何か物言いたそうな目を向けられたが、ニコッと笑い返しておいた。
ふぅ、と一息吐いたと思ったら手を取られて、キュッと繋がれる。
「!」
「これでいい?」
「はいお兄様!」
さすがお兄様。私のこと分かってるぅ~。
ニッコニッコ手を繋いでお兄様の手洗いうがい(私も手を洗わされた)を見守り、リビングに入ってソファへと並んで座ると同時に、ギュッと腕に縋りつく。
お手伝いさんがお盆にカップを二つ乗せて持って来てくれたそれを手渡され、湯気から立ち上るふわりとした香りに顔がほころぶ。
「レモンの爽やかな香りに癒されます」
「そうだね。あー、こうしていると帰ってきたって感じがするなぁ」
こくこくレモンティーを飲んで落ち着くと、お兄様が私を見ていることに気づく。
「何かあった?」
聞かれたことに首を傾げ、フルフルと振る。
「いいえ? 何でですか?」
「やけにひっついてくるから。何かあったのかと思って」
「何もなかったですけど。学校だって今、来月の劇の練習とか舞台の作成とかで大忙しですし、スイミングスクールは相変わらずです。強いて言えば、家でのお話し相手がいなかったことくらいです」
ん?とお兄様も首を傾げた。
「母さん達は?」
「お母様は赤ちゃんのためのお布団パッチワークでお忙しいです。お父様も夕食後は最近お仕事がお忙しいようで、すぐ書斎に行かれますし。お手伝いさん達だって、お仕事があるから邪魔できません」
ぷぅと口を尖らせて言うと、フッと笑われる。
ヨシヨシと頭を撫でられて、心地良さにニコニコする。
「お姉さんな発言だね。まだ小学校に上がったばかりなんだから、甘えてもいいと思うけど」
「お兄様は甘えられていました?」
「……そう言われると僕の妹だなって思うよ。でもそうだね。あの頃とは家の雰囲気もかなり違うし、母さんはダメだけど、父さんになら僕みたいにタックルして行ってもいいんじゃない?」
「そんなことしたらお父様、ポキッて折れちゃいます」
「ぶっ!」
噴き出して笑われた。
オールパーフェクツなお兄様なら信頼性抜群だけど、お父様の耐久性において信頼性は皆無である。それにふと思う。
「……お兄様は寂しくありませんでした?」
「もちろん花蓮に会えなかったのは、少し寂しかったよ」
「たった少しですか。いえ、そうじゃなくて、私がまだ赤ちゃんの時です」
そう言うと、何を思って言った発言なのか察したようで、真顔になった。
「何の心配してるの一体。どうしてそんなこと考えたんだ」
キュゥと服の袖を握って、俯く。
「お母様、私の教育でずっと私の傍にいました。お父様だってずっと会社で、家にいるところなんて全然見ませんでした。そうなるとお兄様、お一人だったんだって思って。この二日間の私と同じです。……だから、お母様取っちゃっていた私が、お兄様に構われなかったのも、仕方がなかったのかなって」
こうして話し相手のいない二日間で、イヤと言うほどそのことを突きつけられたような気がした。
『まぁ気をつけようね。元気なのは悪いことではないし、どちらかというと今の花蓮の方が僕は好きだよ』
私が乙女ゲーのことを思い出して最初の頃に、お兄様から何気なく言われたその言葉。
私は記憶を思い出す前からお兄様のことが大好きだったけど、多分お兄様はそうじゃなかった。私がひっついていたというよりはお母様の方がひっついていたけど、でもお兄様にとっては。
お忙しいのかなってあの頃は思っていたけど、考えたくなかったけど、避けられていたんじゃないかって思った。寂しさの原因を作った私が、お兄様から疎まれていたって。
お兄様のことが大好きだったから、近くにお兄様がいた時は、ずっとお兄様を見ていた。見ていたから、最初の顔面ダイブの原因となったお誘いの時、目が笑っていないことに気づいた。今はもう、そんな目を私と話す時にお兄様はしないけど、でも。
「はぁー……、まったく」
「! わっ、お兄様!?」
グシャグシャと頭を掻き回され、あっという間に私の頭が鳥の巣へと変貌した。なんてことを!
「本当、よく見ていらないことに気づくの本当に兄妹だな。あの頃の僕は丸めてゴミ箱にポイしといて」
「えっ。どんなお兄様も大好きなので、ゴミ箱にポイしません!」
言うとまたグシャグシャにされた。
ああっ、私の頭が鳥の巣ボンバーに!
手櫛ではどうにもならない始末に嘆いていると。
「……物心ついた頃から放ったらかしだったし、残念ながら寂しいって感情はなかったよ。だから花蓮が生まれても、全然そんなのなかったから気にしないこと。あとあの頃の僕を焼却炉で燃やしておくこと」
ゴミ箱にポイしないし、焼却炉でも燃やしません!
言葉に出さずプンプンする私をお膝の上に乗せて、お兄様が鳥の巣ボンバーに顎を乗せてきた。
「お兄様の顎シャープだから痛いです」
「突き刺さってないから血は出ないよ。良かったね」
よくなーい!
「花蓮は赤ちゃん生まれるのあんなに喜んでたのに、今更不安になったんだ?」
「ふ、不安になってません。赤ちゃん生まれたら構い倒しますので大丈夫です!」
「それは赤ちゃんの方が大丈夫じゃないからストップで。大丈夫だよ。母さんも父さんも、僕だって花蓮を一人にしないよ」
「……お兄様いなくて寂しかったです」
「うん」
修学旅行に行くから帰ってくるのは分かっていたのに、どうしてだか無性に不安になったのだ。うぅ、自覚していたけど私ってば、もの凄いブラコン……!
「お兄様お土産何ですか」
「急なお土産要求きた。本田さんが荷物僕の部屋に運んでくれている筈だから、後で取りに行くよ」
「私も一緒に行きます」
「これは僕と一緒にいたいのか、お土産欲しいのかどっちだろう」
そんなやり取りをしているとリビングのドアがカチャと開いて、お腹の膨らんだお母様が顔を出して中に入ってきた。




