Episode98-0 演技指導は続行か否か
誰が見ても分かるだろう、怒っていますという意思表示と、抑揚のない声。
初めて見せる態度だったからだろう。春日井が少し焦った顔で覗き込んでくる。
「ゆ……ね、猫宮さん?」
「たまたま一度舌を噛んだだけで演技指導を強制されるなんて、おかしいと思いました。後日ちゃんとお断りしたのにけんもほろろだったのは、別の意図があったからですか」
普通に善意で言ったことだろうと思った。
お口は極悪で態度も悪いがあれで面倒見は良いし、春日井大好きっ子なだけのガキ大将だと思っていたのに。なるほど、なるほど。
「私が緋凰さまか春日井さま。どちらか……いえ、どちらともに近づこうとしていたと。そうですか。プールのあれも演技ではないかと。そうですか。――馬鹿にしているんでしょうか」
「! 猫宮さんっ」
「……」
私は座ソファから立ち上がって彼等から離れ、けれど話はできる位置で体育座りする。
寄ってこようと立ち上がる春日井を、「来ないで下さい」と言って座らせ、二人を睨みつける。
……睨みつけてもクマさんの円らなお目めで、怖くないかもしれない。
というか、やっぱり企んでたんじゃないか。
こればっかりは知っていたらしい春日井も同罪だから、許さないぞ。
「……」
「……」
「……陽翔も、悪気があったわけじゃない。ごめん。陽翔も僕も有名な家の子息だから、女の子もすごく話し掛けてくるんだ。中にはそれで問題になったりする子もいて。いや、猫宮さんがそうっていうんじゃなくて……ごめん」
弁解すればするほど沼に嵌っていくことに気づいて、最終的に謝る春日井。静かに話を聞いていたけれど、幼馴染が言ってもなお口も開かず、微動だにしないもう一人を見つめる。
悪いと思っているんだかいないんだか、良くも悪くも内心を悟らせない表情をしていて本気で腹が立つ。
ああもう本当にコイツ、春日井以外どうでもいいんだな。別に仲良くとか考えてなかったけどさ!
「そんなに春日井さまの近くにいてほしくないのなら、別のスイミングスクールに通います。夫人には大変お世話になりお返しもできませんでしたが、仕方がありません。問題にならないようにお話ししますので、ご安心下さい」
「えっ!? ちょっと待って猫宮さん!」
「そういうことでしょう? “これ”は」
言いながら、緋凰のストーリーを思い出す。
そうだコイツ。秋苑寺とは違うけど女子に対しては疑い深いヤツで、自分に縋っていた麗花を自分に取り入るために周囲との態度を変えていると思って、振り払うようなヤツだった。
麗花の家庭環境や人間関係から、今なら取り入るじゃなくて、好かれようと努力していた態度だと分かる。
突出した高位家格の令嬢だからしっかりしなければという思いと、けれど好きな人には可愛く見られたいし、好かれたいという思い。
好きな人の前で女の子らしく態度が変わるなんて、そんなの当たり前のことなのに。
「“これ”をされたのが私で良かったです。他のご令嬢でしたら、傷ついて終わりでしょうから。というかやるのなら、会って初め頃とかにして下さいよ。その方が私も夫人にここまで面倒を見てもらうこともありませんでしたし、辞めるのに変な罪悪感も抱かずに済みましたのに」
やれやれよっこらしょ、とその場から立ち上がり、ベッド近くに置いていた鞄を手に取る。
こんなことになった以上、もう演技指導云々はできない。しようとも思わない。
その場で向き直り、ペコリと一礼する。
「ついでの演技指導、どうもありがとうございました。ではこれで」
「ついでじゃねぇ」
ポツ、と聞こえたそれにそちらを見る。
表情が変わらないのはそのままで、しかし目はちゃんとこちらを向いていた。
「ついでじゃねぇよ。……悪かった」
「何がですか」
間髪入れず突っ込んだら、グッと僅かに口元が引き結ばれる。
「亀子試したこと。そんなに、怒ると思わなかった」
言って、そこでやっとシュンとする様子を見て、はぁ~~~~と深く息を吐く。息を吐くついでに、ベッドの上に置かれたままの『我が子の運動神経を改善する十の方法』と題名のある本も目に映った。
仕方なく鞄を再度置き、その場に体育座りし直す。
「学院で普段、女の子とどういう風に接しているんですか。こんなことされたって知ったら、普通怒りますよ」
出て行かなかったことに二人ともホッとしたようで、張り詰めた空気が少し緩和した。
「……女子と話すことは滅多にねぇ。いつも俺の周り、男が囲ってるから」
知ってるぅー。ピーポーウォールー。
……んん? 男?
「男が囲うって、女子は?」
「だから女子が寄ってこねぇように男連中が囲んでんだよ。何か俺に用がある時でも、話はそいつら通してから俺に伝えられる。直接話すことなんか早々ねぇよ」
「過保護ですか」
なんっじゃそりゃ。
てっきり男女でワラワラしているのかと思っていたのに、ピーポーウォールは男子オンリーで出来ていたとは。と、いうか。
「よく文句言いませんね。緋凰さまなら、『鬱陶しい邪魔だ散れや!』とか言いそうですのに」
「学院じゃ口調ちゃんとしてるって言っただろうが、言わねぇよそんなこと! 俺に憧れてしてるっつーことだし、そう無碍にできねぇよ。別に今まで特にそれで不便なかったし」
「こうして私に怒られている時点で不便発生しましたね。女子と普通にコミュニケーション取っていたら女はこうだっていう、一方的な思い込みをせずに済んだかもしれませんからね」
「……」
反論が出てこないということは、そういうことである。もう一人にチラリと視線を向ける。
「で、春日井さま」
「な、何かな?」
「私、春日井さまにも怒っているのですが。幼馴染で親友ということですし、先程も緋凰さまのお考えはご存知だったと。緋凰さまよりもお会いした回数は多いですのに、貴方も私をそうだと、少しでもお思いになったわけですよね?」
聞くと彼は首を横に振った。
「それは違う! 僕はただ、本当にどういう格好で来るのかなって気になっただけで。陽翔の考えは確かに知っていて、でもそれで陽翔が納得するんならって思って止めなかった。傷つけて、ごめん」
「ごめん」
春日井に続いて、再度緋凰も謝りの言葉を口にして頭を下げる。
……やれやれまったく。春日井は私のことを知っていて女子に優しいから分かるけど、緋凰は身元不明の女子に頭下げるとか、ゲームの緋凰からじゃ考えられないんだけど。
でもまぁ、それだけ悪いことをしたって思ってくれているんだよね。
「もういいです。頭上げて下さい。私も、ついでの演技指導なんて言ってすみませんでした。お二人ともお忙しいのに、短い時間で物語の台詞を覚えてきて下さったの、本当にすごいと思いました。ついでで出来ることじゃありません。それに……」
ベッドに置いてある本を手に取る。
「緋凰さまはこれ、可能性としては私が高いですよね? こんな本をわざわざ購入して読むくらいには、私の水泳指導もちゃんと考えて下さっている。まぁそこまで考えて下さっているのに、どうして試そうだなんて思ったのか、甚だ疑問でしかありませんが」
「……」
頭は上げたがむっつりと黙り込んで、どうもそれに答える気はないらしい。
本当、攻略対象者の考えることはよく解らんね。
さ~てと!
「はい反省会終了! 時間は有限です。時は金なり。タイムイズマネー。さっさと後半戦やっていきますよ! あ、いえまだ最後まで終わっていませんでした。続きからします?」
「……待て。待て待て待て。どういうことだ!?」
バッと立ち上がって、珍しく理解不能とでもいうように叫ぶ緋凰。同じくその隣の春日井も、目をパチクリとさせている。
「何なんだよ!? え、続きからって何だ。演技指導のことか!?」
「何を当たり前のことを」
「当たり前!? お前あんだけ怒ってスイミング辞めるとか帰ろうとかしてたくせに、どういう切り替え方だよ!?」
聞かれ、口を尖らせる。見えないけど。
「えー。もういいですって言ったじゃないですか。謝って下さいましたし、それ以上怒る理由ありませんし。言っておきますけど、次はありませんから」
「しねぇよ、もう。どういうヤツかちゃんと、分かったから」
「言っておきますけど、鳥頭でも宇宙人でもありませんから」
念のため釘を差して本をベッドへ置いてから、トコトコ座ソファへ戻る。
そしてジィっとグラスとそれを置いた部分とを目を凝らして観察していたら、春日井から恐る恐ると。
「どうしたの?」
「……いえあの。さっきゴンッて置いちゃったので。傷になっていないかと」
「グラスはまだいいけど、テーブルは高いぞ。アンティークだからな」
「マジですか!!」
ぎゃあどうしよう! ゆ、百合宮の財力で賄えるだろうか!?
いやでも、見たところ傷ついてはいないみたいだし、これセーフじゃない……?
「え、これセーフですよね? 春日井さま見て下さい! 緋凰さま多分セーフです!」
一時の感情でやってしまった己の所業を何とかこうにかしようと、焦って隣とその向こうを見たら一体どうしたことか、二人とも俯いて肩を震わせている。
何だ、何を隠そうとしている。
「ぷっ、くくっ。マジ……猫宮さんの口から、マジって……!」
「心配するところっ……、今更……! 絶対鳥頭っ! 多分セーフって何だよ……っ」
抑えようとしているようだが、震えも笑い声も内容も抑えられていない。
顔がスンッとなるのが分かった。見えないけど。
「人が弁償の瀬戸際にいるところを笑うとは、どういうことですか。天誅喰らわせますよ!」
「いやごめっ、あっはは! うん、これ、多分セーフだねっ」
「ぶっは! やめろ夕紀! 多分セーフ……多分セーフっ」
「天誅決定!!」




