Episode96-0 緋凰家にて演技指導
土曜日のスイミングスクールを経ての日曜日。前日に、「別に怖い野獣じゃなくても良くなったから、大丈夫でぷー」と意訳するとそういう意味の言葉で、再度正式にお断り申し上げたところ。
「あぁん? 寝言は布団に入って寝てから言え宇宙人」
と、意訳するとそういう意味の言葉でけんもほろろでしたとさ。
全く、私の呼び名を亀子か鳥頭か宇宙人か一つに統一してもらいたいものだね。
ということで私の緋凰に対するヘイトは溜まる一方、憂さは麗花ジャファーにギッタンギッタンにしてもらうことを期待し、宣言通り勝手に我が家まで迎えに来た春日井に連行され、立たされた扉の前。
初めて訪問した緋凰家の皆様(お手伝いさん)にギョッとした顔をされながらも、隣に春日井という守護者を携帯した私は何も言われることなくここまで辿り着いた。
ちなみにその守護者はというと、初めは「う~ん……」というような顔をし。その途中に「マジかコイツ」というような顔をし。現在は「うん、何かもうこれでいいや」という何かの悟りを開いた顔をしている。
「陽翔、来たよ」
「開いてるぞ」
春日井が扉をノックして中にいる人物に声を掛け、その向こう側からいつ聞いても生意気な声が許可を出す。心持ち、そっと静かに扉を開けた春日井。それが今の彼の気持ちらしい。
しかし途中まで開けた扉が止まり、ゆっくり振り返られる。
「もう一度聞くけど、本当にそれで大丈夫?」
「何も問題ありません」
「いや、問題しかないと……。正式に自己紹介する時のこととか」
「何も問題ありません」
だってそんな日は来ない。
同じ返答しかしない私にふかぁ~い溜息を吐いて、ようやっと扉は開かれた。
その性能上、視界範囲的には若干の狭さを感じるが、見える範囲ではどうも中にいる人物の私室らしかった。勉強机もあるしベッドもある。え、まさか緋凰の部屋でするの?
そして部屋の主というと、ベッドに腰掛けて何やら読書をしていたようで、人の接近を感じ取ったのかふと顔を上げてこちらを見る。
「入ってくるの遅かっ……」
あ、持ってた本落とした。え~なになに?
『我が子の運動神経を改善する十の方法』? ……はっああぁぁ!!?
「誰が誰の子どもですか!」
「うるせぇ誰だお前この不審者!」
「正式にお断りしたにも関わらず、強制的に呼び出した人の言うことですか! 失礼にも程がありますよ!!」
本当に春日井が迎えに来るもんだから、それまでベッドでゴロゴロしていたのにお手伝いさんに言われて、「うわ、本当に来たよ」と思いながら渋々着替えて出てきたのに。自宅警備員の私が薔之院家と米河原家以外で、こうしてプライベートで外に出るのって滅多にないんだぞ! 帰ってやろうか。帰ってやろうか!
「陽翔。信じられないかもしれないけど、猫宮さんだから。ね、猫宮さん」
「当然です」
「喋り方と態度と夕紀以外に信じられるもんがねぇんだよ! どういう格好だそれ!?」
どういう? 見て分からんかね。
「上下ジャージに、野獣役に必須なマスクですよ。本番でも手作りのお面つけますし、途中で買ってきました。できたらリアルライオンさんが良かったんですけど、あいにく売り場にはリアルクマさんしかなくてですね」
「マスクの種類なんざどうでもいいんだよ聞いてねぇよ! 夕紀、止められなかったのか!?」
「止めたんだけど、『あ!』って後ろの方指差されてついそっち見ちゃったら、その間に会計終わっていて……」
「お前本当に令嬢なのか? それとも本当に宇宙人なのか?」
れっきとした血筋も確かな由緒正しい家のご令嬢ですが何か?
れっきとした人間ですけど何か?
ジャージは動きやすさ重視。これはダイエット訓練にも使用したものだ。過去、パンダの着ぐるみを華麗に着こなしたことのある私。被り物がパンダからクマに変わっただけである。
「何か問題が?」
「問題しかねぇだろ。よくそれでウチの門くぐれたな」
「いえそれほどでも」
「褒めてねぇよ! 夕紀、マジでコイツどっかの令嬢なんだろうな?」
「うーん……。その筈なんだけど……」
自信なさそうに言うの何なの?
有栖川少女の生誕パーティで、両家揃ってちゃんと挨拶したよね?
まぁマスクに関しては、顔バレが一番の理由だけど。さすがにゴーグル装着して来れないし。
「はいはい時間は有限ですよ。時は金なり。タイムイズマネーです。ちゃっちゃとやっていきましょう」
パンパンと手を叩いて促すと、一方からジト目、一方からうわぁという目を向けられた。
「俺、正体分かったら一度コイツん家に教育クレーム入れるかもしれねぇ」
「いや、でも本当初対面とかスイミングスクール初日途中とか、ちゃんとしたご令嬢だったよ? あれ、幻だったのかな……」
「初日途中てどういう表現」
「あのー。始めたいんですけどー」
私の格好に文句をつける緋凰のせいで大分時間をロスしてしまったが、やっと演技練習が始まった。
「言い忘れてたんですけど、私の出番って物語終盤の野獣なんですよね。それを指摘されまして。その頃の野獣はベルへの愛しかありませんので、怖くならなくても良くなりました」
「ホント鳥頭だなお前。早く言えよそういうの」
「言おうとしたのにけんもほろろだったのは誰ですか」
「それじゃあどういう野獣をすればっていうのは、猫宮さんの中ではもう固まっているの?」
春日井に問われ頷く。
「はい。いつも通り、ベル役の子に突進していく方針で」
「いつも通り?」
「お前のいつも通りがどんなか知らねぇけど、不憫だなそいつ。こんな鳥頭の宇宙人に絡まれて」
「何とでも仰って下さい。私達はお互いに好き合っている友人ですから!」
ふふんと鼻高々に言うと、どこか思い出すように視線を宙に彷徨わせた春日井から。
「もしかしてそのベル役の子、僕と親交行事で会った子達の中にいた?」
「ええ。丸眼鏡のマッシュルームヘアの子です」
「えっあの子!? 猫宮さんの野獣役もそうだけど、男子でベル役か。大変だな」
驚く春日井に私も驚いた。
外見特徴言っただけですぐ思い出せるんだ。記憶力いいなぁ。
「あぁ? そいつ男子なのかよ。お前令嬢のくせに、男子にいつも突進してるのか!?」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。突進するのはその子だけです」
「不憫過ぎるなそいつ」
何とでも言うがいい!
私は本人から大好きって言われている!!
家でジャージに着替えた後、急いで鞄にお財布と台本を入れて持ってきた私は、台本を取り出して二人に見せる。
「ここですここ。コッグスワーズがパーティの準備を始めるところからです。そしてパーティでベルと踊った後、ここから初台詞です。『ベル。一緒にいると、楽しいか?』」
「じゃあここから練習しようか。僕がベル役するね。ガストンも兼任しようか?」
「いや、それは俺がやる。相手しながら粗探す」
粗をわざわざ探すな。
マスクの中でムッとしていると、スッ、と春日井から手を差し出された。なにこれ?
首を傾げた私に、彼はフッと笑った。
「パーティで踊るんでしょ? ほら手を取って、お姫様?」
「っ!」
お、お姫様じゃないし! 野獣だし!
ていうかそれ、どっちかっていうと私の役!!
同じことを緋凰も指摘した。
「夕紀、ベルから誘わないだろ。つかよくクマスクにお姫様とか言えるな」
「うん? まぁマスクの向こうの顔知ってるし、変じゃないかなって。でもそうだね。じゃあ野獣から誘ってくれる?」
「台本の台詞もないところから始めさせるの、どうかと思うんですけど」
ニコッと微笑んで誘われるのを待つベル春日井。
何て強気なベル。ベルたっくんとのベル度がベルである。……ん? 何言っているのか分からなくなったぞ。
仕方なしに所作はお母様直伝・淑女と令嬢の技術を応用転換し、お兄様をイメージする。相手が見えないのは分かっているけどつい微笑みながら、片膝をついてゆっくりとベルへと手を差し出した。
「どうぞこの手を取り、私と踊って下さいますか?」
お兄様をイメージした、柔らかな微笑みをマスクの中で炸裂させる。見えないけど。
春日井は少々その瞳に驚きの感情を滲ませたものの、「はい」と女子顔負けのとても嬉しそうな声と表情をして、差し出された手を取る。
そうして立ち上がりベルと顔を見合わせ、エスコートをするようにスッと舞踏場(部屋の中央)へと向かい手を取り、もう片方の手をベルの腰に沿わせ、ベルの手も野獣の肩に軽く置かれた。
「……」
「……」
……。
何となく雰囲気でここまで持って来たけど、どうすんだこれから。踊るわけにもいかないしなぁ。いや本番は踊るよ? たっくんとダンスの練習もしなくちゃ!
「ワン、ツーで左からね」
「え。本当に踊るんですか?」
「踊らないでどうすんだ鳥頭。本番でもお前が踊るんだろうが」
「踊りますけど。足踏みますよ?」
「当たり前みたいに言うなクマスク。ダンスは省略だ夕紀。コイツの言い方だとマジで踏むやつだ。お前の足を犠牲にするわけにはいかねぇ」
たっくんの可愛いアンヨだってそうだよ。何回運動会のダンス特訓で裏エースくんの足を踏みつけたと? 今度のダンス練習は、今までにない集中力をもって取り組む所存です。
「……まぁエスコートするまでは合格だな。何つーか、そういうのを見ると令嬢教育受けてんの分かる。お前どこでそんなに鳥頭で宇宙人になったんだ」
「なに残念そうな目で見てるんですか。素直に褒めることができないのは何故ですか」
そして懐から何やら取り出し……げっ!
「今はスイミングの時間じゃありません。今すぐその物騒なものをしまいなさい」
「あ? 劇にも時間制限あるだろうが。ちんたらしてっと最後までできねぇぞ。取りあえずこっからノンストップで通すからな。十分刻みの三十分設定っと。ほらやんぞ」
横暴! 強引!! 俺様野郎!!!




