Episode93.5 side 新田 萌の憂鬱⑥-0 萌の想いと目標
「……少し、聞きたいことがある」
用件を口に出されてハッとし、背筋を伸ばす。
「はいっ。何でしょう!」
「運動会のことと、今日のこと」
「運動会と、今日?」
繰り返し言って、コクリと頷かれる。
「今日見ていた。新田さん、規律違反現場に全部立ち会っていた」
「ええええぇぇ!?」
あれ、あれを見られていたの!?
あの役立たずで不甲斐なくて、情けなさ満点のあの私の姿を!!?
「み、みみみみみみ皆様を規律違反からお守りすることができなくて、本当に不甲斐なく申し訳ないと大変思っておりますぅぅぅぅ!!!」
「……謝罪はいらない」
「ひえっ。わ、我が家はそんな大した家じゃ」
「違う。……運動会のことを聞こうと思って追い掛けていたけど、思いつめた顔をしていた。自分が話し掛けようとする度に新田さんが問題が発生したことに気づいて、生徒を助けようとしていたことも知っている。……言い方アレだけど、全部四家の御曹司が邪魔していた」
「ひえぇっ」
言った! ほんのちょこっと、ミクロ単位ぐらいは微かに心の奥底に感じていたことを言ってのけた!
何者!? 何者ぉ!? それに話し掛けようとしてくれていたのに、それに気づきもしない私ぃ!
「……今日、落ち込んでいた理由は?」
「えっ!? あ、う、その……わ、私のせいで薔之院さまに厳しい処分がって怖くて。でも私じゃお助けすることなんてできないから、せめて薔之院さまのお言葉を胸に、困っている生徒を助けられたらって思ったんです。だけど、全部、先を越されてしまいまして……」
「薔之院さまのお言葉?」
キュッと手を握って、その時を思い出す。
「薔之院さまはあの時、『助け合うのに家格なんて関係ありまして? むしろ、その時助けられる人間が助けた方が、現実的ではなくて?』って仰りました。だから私が、今度は私が困っている生徒がいたら助けないとって、思って」
「なるほど。……本題。運動会のこと。あの時、入場門に向かう途中でなに言われた?」
「え? なにって、どういう」
男子の目が僅かに細まり、ビクッとしてしまう。
「1ーCの城山さん。選抜リレー前に、何か言われていた」
「あ、あぁ。それなら、『始めが肝心ですものね。新田さまなら、薔之院さまも抜かせられるはずですわ』と」
「……それだけ?」
「はい。それだけ、ですけれど」
少しだけ視線を落として何か考えているようだけれど、そもそも何でそんなことを聞かれるのか、さっぱり分からなかった。何となく気まずい思いでよそを見ていたら、「あと、」と言われてピッと前を向く。
「さっきの。水島さん。仲良い?」
「美織ちゃんは入学前からのお友達です。私は仲良しだと思っています」
「? あっちはそうじゃないと?」
「……遊ぶ時はずっと私の家で、向こうのお家には今まで一度もお招きされたことがなくて。何か理由があるのだとは思っているのですが」
そうじゃなかったら、私はどうしたらいいのだろう。
「……招かれたことがない? 毎年行われている催会も?」
「うぅっ。そうです!」
追い打ち掛けられてる! ひどい! 踏んだり蹴ったり!!
「水島家、兄がいる。会ったことは?」
「ないです!」
「……」
もう何なの!? どういうことなの!?
いい加減誰なの!? どこのクラスのファヴォリなの!?
「承知した。ありがとう」
「いえ……。あの、すみません。私、前にどこかでお話しとかしたことありますか? 私のお名前ご存知なのに、えと、私その、貴方のこと存じ上げなくて……!?」
言いながらハッとした。
『名乗って下さった方を忘れるなど、失礼極まりないことですわ』
薔之院さまのお言葉が!
薔之院さまのお言葉が、私の胸にグッサリと突き刺さる!!
人を助けることもできない約束も忘れるばかりでなく、もしかしたら以前紹介し合ったことも忘れてしまうような子なのか、私……。それもファヴォリクラスの子を忘れるなんて、最低だよ私……。
キリキリ痛む胸を手で押さえて耐えていたけれど。
「すまない。新田さんとは初対面。自分は1ーDの尼海堂 忍」
「あ、そうですか」
何だ。初対面。良かった、なら私は紹介し合った子を忘れるような子ではない。そう思って。
「……え?」
「時間取らせた。すまない。それじゃ」
「え、えぇっ!?」
気づく頃には一体何がどうなっているのか、姿形さえもう見えなくなっていた。どういうこと!? というか、
『あんな子が尼海堂くん以外の子を寄せつけず、いつも凛となさっている薔之院さまの、知人……!?』
今の子が中條さま曰く、薔之院さまが唯一お気を許しているという、尼海堂さま……!!? 待って。何でそんな方が私と話を? あああっ、薔之院さまのご様子聞けばよかったあぁぁ!
ガックリと床に手をついて項垂れる。数人いた教室には最早私しか残っておらず、人の目なんて気にしなくてもいいことだけが幸い。
「うぅぅっ。本当に今日何なの……。どうして私がこんな目に……」
ひとしきりそうして嘆いた後、ノロノロと起き上がって落とした鞄を手に、ゆっくりと駐車場まで歩き出す。もう早く帰りたい。早く帰って寝て、気持ちを回復させなくちゃ。
ふと窓から差す西日に、反射で目を眇める。眩しくも何故か目を向けてしまうその光は、まるで薔之院さまのよう。
先程の尼海堂さまは掴みどころがなく、何をお考えなのかは分からなかったけれど、彼の雰囲気はどこかあの四人にも似ているところがあって。そう、何となく逆らえないような……。
薔之院さまはお気を許されているとのことだけれど、私はちょっとという感じ。彼女と彼が一緒に並んでいるところを想像して、うーん……と唸る。何だろ、想像がつかない。普段どんなお話をされていらっしゃるんだろう?
それにやはりというか、大輪の薔薇のように華やかな薔之院さまには、同じクラスの緋凰さまが一番よくお似合いだと思う。うん、しっくりくる。緋凰さまファンの方達には申し訳ないけれど。……それを言うと、白鴎さまも。
想像して、うんうんと頷いてしまう。
白鴎さまを好きな美織ちゃん、城山さま。二人とも可愛いと思うけれど、やはりあの白鴎さまのお隣は、あの方が一番よくお似合いだと思ってしまう。たった一度しかお会いしたことがない――百合宮 花蓮さま。
たおやかな百合のように優美で、淑やかな方。そんな方の隣にも、男子が隣に並ぶのであればそれはやはり、白鴎さましかいないのではないかと思う。……まぁ全部私の想像というか、妄想なのだけど。
そんなことをつらつら考えていたけれど、私は同時に二つのことができないらしい。足がいつの間にか止まっていて、全く前に進んでいなかった。焦りに焦って思わず競歩になる中、また性懲りもなくピタッと足が止まる。
ふと視界の端に映った窓ガラスの向こう、あれに見えるは……薔之院さま! まだ残っていらっしゃったのか。サロンからのお帰り?
きれいに巻かれた縦ロールの髪を揺らして颯爽と歩まれるお姿は、遠目に見ても美しく、キラキラと眩しかった。
――私も薔之院さまのように、シャンと背筋を伸ばして、堂々と歩める人間になりたい
運動会からの鬱々さなんてもう、どこかに吹っ飛んでしまっていた。




