Episode93.5 side 新田 萌の憂鬱③-0 助けにいきたい
全然授業に集中できず、四時限なんてあっという間に過ぎた。
給食も終えたお昼休憩は教室にいるのも億劫で、誰とも約束していないし、どこかに行ってしまいたい気持ちに駆られて校舎を歩く。
渡り廊下を他クラスの一年生とすれ違いながら俯いて歩いていると、目の端にノートを抱えた男女の生徒が通るのが映った。多分、学級委員がクラスの授業ノートを職員室まで運んでいるのだろう。
その特に何の変哲もない日常の風景を何となく足を止めて見つめていたら、丁度曲がり角で向こうからやって来た男子生徒に女子の方がぶつかってしまった。そしてその衝撃で抱えていたノートが廊下へと散らばってしまう。
「おい、気をつけろよ!」
「あ、ご、ごめんなさい!」
ぶつかった男子に高圧的に言われた女子が謝って、慌てて散らばったノートを拾い集める。そんな一部始終を目撃してムッとする。
あれが春日井さまだったら、きっと優しく手を差し伸べてご自身も謝罪されるのに。と、ムッとしていたのも一瞬。
『助け合うのに家格なんて関係ありまして? むしろ、その時助けられる人間が助けた方が、現実的ではなくて?』
そのお言葉をハッと思い出し、すぐに私も拾いに行かなきゃ!と足を一、二歩動かしたところで。
「はーい、ちょっと晃星くんが通るよ~っと!」
向かっていた私をそんな緩い言葉とともに追い越して、何と秋苑寺さまがその女子のところへと向かって行くではないか!
周囲の生徒もギョッとしてその場に立ち止まる。もちろんノートを拾い集めていた女子も、ノートを抱えたまま見守っていた男子も、ぶつかった男子も。
「大丈夫? 俺も拾うよ~」
「えっ。あの、秋苑寺さま! わ、私が拾いますから。や、やめて下さい!」
「いーの、いーの。ほら人手があった方が早く拾えるでしょ? ん? なに突っ立ってんの? 君も早く拾ってよ」
「す、すみません!」
秋苑寺さまに言われて、ぶつかった男子も拾い始めた。さすがに三人も拾っていれば、クラスの半数分のノートなんてすぐに集め終わる。
しかしそれだけに終わらず、何と秋苑寺さまは拾い集めたノートを女子の手から取ってご自身の腕へと抱え始めた。
「しゅ、秋苑寺さま!?」
「いや女の子にノート持たせられないって。丁度俺も職員室に用事あるし、ついでに持ってってあげるよ」
「え!? そ、そんな」
困り果てている女子は、ファヴォリではない普通の生徒。ファヴォリの、それも秋苑寺さまにノートを持たせて運ばせたなんて知られたら、女子生徒のその後の反応なんて想像しなくても分かる。
何より先日の薔之院さまと同じく、これは規律違反に当たる。けれど秋苑寺さまはそんなことをお気になさることもなく、けれど。
「ねぇ、皆見てたよねー? 俺が自分から手伝って、俺がこの子の手からノートを取ったの! ぜーんぶファヴォリの俺から率先して手伝ったことだからね~!」
この渡り廊下にいる全ての生徒へと、まるで証人になってもらうかのように大きな声で呼び掛けた。
やはり皆何とも言えないような顔で頷き、それに秋苑寺さまが満足そうに頷いて、もう用はないとばかりにノートを抱えたままスタスタと歩き出す。それを学級委員の女子と男子は慌てて追い掛けていき、しばらくその場で皆固まっていた。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
そんな秋苑寺さまの奇行現場に居合わせてしまった私はその後、渡り廊下から中庭に出て木陰のベンチに座っていた。そして再び鬱々と気持ちが沈み込む。
「秋苑寺さまよりも早く私が拾いに行っていたら、あんなことも起きなかったのに……」
どうしよう、秋苑寺さままで違反してしまった。
あの時の薔之院さまのお言葉を思い出して、すぐに手伝いに行こうとしたのに。もうあんなことが起こらないように、しっかりしなきゃって休みの間に決めたのに。何で私、ちゃんと出来ないんだろう……。
じわ、と目に涙が滲んで、ポケットからハンカチを取り出して拭く。
「あ~、何か今日暑くね?」
「そうか? 風もあって涼しい方だと思うぜ?」
ふとそんな声が聞こえて顔を上げたら、少し離れた距離で男子生徒が二人、こちらへとゆっくり歩いて来ているのが見えた。
確かに今日は天気予報でも、午後は日差しが照って気温が上がると言っていた。木陰だからか、ここは涼しいけれど。
そんなことをつらつらと考えていたら、「おいっ!?」という男子の慌てた声にもう一度そちらを見ると、何と先程「今日暑くね?」と言っていた男子が座り込んでいた。
「どうしたんだよ!?」
「いや、ちょっと立ちくらみ……」
大変だ。
ベンチを譲って、早くあの子をここで休憩させなくちゃ……!
ハンカチを握りしめたまま立ち上がり、今度こそパッと一、二歩走り出したところで。
「大丈夫か!」
涼やかな声が後ろから掛けられて、颯爽と私を追い抜いていった。
え、えっ? あれは、白鴎さま!?
思わぬ人の出現に驚いて足が動くという機能を停止し、呆然と成り行きを見つめてしまう。
白鴎さまは座り込んでいる男子へと駆け寄り、おでこへとその手を当てて熱を計る仕草をされる。そして問題の男子二人も突然の白鴎さまの出現に驚いて固まり、そんな仕草をされた男子はギョッとして首を竦めた。
「……少し熱いか? 水分はちゃんと摂っているのか」
「あ、あの白鴎さま! お、俺、ただの立ちくらみで」
「いや、瞳も潤んでいるように見える。気分は悪くないか?」
熱いのと瞳が潤んでいるのは、多分白鴎さまのとてつもなくお綺麗なお顔が間近にあるためだと思われる。白鴎さまのお顔は女子ばかりでなく、男子にとっても目に毒というのは周知の事実。
男子は言葉もなくブンブンと首を振っている。
早く離れてほしそう。
そしていつの間にかギャラリーがちらほらできていた。「う、羨ましい!」という声がちらほら聞こえるのは、決して気のせいではない。
「夏の暑さを甘く見るな。俺はそれで体調をひどく崩して、泣いていた子を知っている。体調が悪いのに無理をするな。……ほら、一旦あそこのベンチへ行こう。手を貸す」
「いや、え、ほ、本当に大丈夫で」
「そうです! 白鴎さまのお手を煩わせるわけには……っ」
男子二人が必死に断ろうとするのを、けれど白鴎さまはお認めにならなかった。
「君一人より、俺と一緒に運んだ方が早いだろう。ほら早く」
そこまで白鴎さまに言われて、断れる猛者はどれほどいるのだろうか。ファヴォリでもない普通の男子生徒二人にはそんなの無理難題で、大人しく運ばれ運び手伝われていた。
何ということだろう! 男子本人が軽い立ちくらみで断っていた状況を、多くのギャラリーが目撃している。
白鴎さまにしても、これは完全に規律違反だった。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
どうしよう、どうしよう……!!
「今日暑くね?」と私が耳にした時点ですぐにベンチを譲っていれば、白鴎さままで違反をされることなんてなかったのに! しっかりしなきゃダメなのに。
私じゃ薔之院さまをお助けできないから、せめて他の困っている生徒を私が助けて、少しでも薔之院さまの思いが報われるようにしなくちゃって。
私だって選抜リレーの選手だった。それなのに、白鴎さまにまで抜かされてしまうなんて……。
あまりの情けなさと不甲斐なさにフラフラふらつきながら中庭から移動して、図書室へと向かっていた。図書室は色々な種類の数多の本が多く収容されていて、他の施設や教室よりも広い。
本を読む気分なんて微塵もないけれど、あそこは静かで誰にも話し掛けられないから、気分を落ち着かせるのに最適な場所だった。
中庭から図書室へ行く途中にはミラー教室という特別教室があって、丁度そこに近づいていた時にその教室からズデンって大きな音がした。
何の音かと気になって廊下側の窓から中の様子を窺うと、ほっそりとした女生徒が床へと尻もちをついているのを目撃する。
「あ。そう言えばお休みの日にワックスかけるって、先生言っていたよね……」
ミラー教室はいわばダンスをするためだけの教室で、主に高学年からの教養授業選択でダンスを選択した生徒が使用する教室になる。けれど低学年でも、お昼休憩の時の使用は許可されているのだ。
だからワックスをかけたばかりの床は、いつもよりも滑りやすくなっているのだろう。尻もちをついてもすぐに立ち上がって練習を再開するその子は、見掛けたことのある子で確か1ーDの子だったはず。
教室の中は運動会からあまり日が経っていないこともあってか、体を動かしたい子が多いようでいつもよりも人がいた。その子はお友達の数人と一緒にいて教えてもらっているけれど、どうにもターンのところでバランスが取れずに転んでしまっている。
ほっそりして軽いせいもあるのか、回転が多くなっているのも原因と思われる。
「早い……。そこはもう少しゆっくり回ったら、バランスも取れて……あっ」
見守り始めてから何度目かの転倒の時、もう見ていられない!と、私も教えに行こうと体を反転させて扉に向かおうとして――ビクッと思わず仰け反ってしまった。
――――ミラー教室の扉周辺に、男子生徒の塊がいた。




