Episode89-2 聖天の運動会
席でもアレなのにわざわざ給仕を通してではなく、自ら他家の子どもに大事なプログラム表を渡すとか、特別な関係でもないと騒ぎになる。特に百合宮家クラスはな!
しかし頑として断っても、今度は遠山家の体裁が悪くなる。渋々お母様の手からプログラム表を受け取り、パラ……と気持ち静かに開いた。
「あのね、お兄ちゃんは三番目の徒競争(百メートル)に出るからまだだね」
「え~」
光子ちゃんはお兄ちゃん大好きだな。
私もお兄様大好きだけど!
麗花の出番も確認すれば、彼女の出番は最初の徒競争(六十メートル)だった。私の時みたいに転ばなければいいけれど……。
順々に目を通していたら、目の前にコップが三つ置かれた。
何だと思って置いた人物を見たら、先程お母様の微笑みで顔を赤くしていたあの給仕の男性だった。
「こちら、百合宮家のご当主さまからのご提供です」
「……あ、ありがとうございます」
ソッと視線を向ければ、私に気づいたお父様が鷹揚に頷いた。
要らない! ありがたいけど要らない! ほら周囲から、「百合宮家と遠山家は、いつからあんなに親しく……?」とか聞こえるほどになったじゃないか!
最悪私の存在、見る人から見たらバレるぞ! 春日井夫人とか!!
注意したくてもできない歯がゆさに耐えていたら、生徒が順々に運動場内に入って来ているのが見える。
担任の先生を先頭にキッチリ男女に並んでいるのは、さすが学業環境も屈指の進学校とも名高い教育の賜物か。低学年からは可能な限り目を背け、高学年の方を集中して見つめる。
「あ、いた! おにいちゃーん!」
「光子、静かにしなさい!」
遠山少年を見つけたらしい光子ちゃんが大きな声を出したのを、夫人が慌てて止めさせる。光子ちゃんは不満げにぷぅと頬を膨らませているが、騒がしいのはマナー違反になる。
本当面倒くさーい。ただ見てるだけとか、つまらないよね。
応援してこそ運動会は盛り上がるってものなのに。
「子どもは元気が一番ですわよね」
「うむ。全くだ」
お隣からそんな光子ちゃんを擁護する声が、すぐに聞こえてきた。
百合宮家と遠山家の関係に興味津々なため、様子を窺おうと静まっている中でのその発言は鶴の一声ならぬ、百合宮の二声。
子どもは元気に応援しても可、という暗黙の了解が一瞬の内に浸透してしまった。その証拠に。
「そうよね、元気なのは健康な証拠ですわ」
「ああ。せっかく見学に来ているんだ。応援しないとな」
などと、似たニュアンスの声が方々から聞こえてくる。
あまりにもお隣からの視線がうるさいので見れば、片方はにっこり、片方はドヤ顔をしていた。ドヤ顔やめろ。
まぁそんなこんなで、色んな偉い人の挨拶から始まり準備体操も終えて、やっとプログラムに移る。事前に聞いた話、清泉と違って聖天は紅白で分かれるそうで、奇しくもお兄様は白、麗花は赤チームという振り分けだった。色の振り分けに悪意を感じる……。
と、入場門から徒競争出場の一年生が入場してくる。これも女子が先で、男子は後らしい。
麗花、麗花~と……あ、いた! 今日は縦ロールポニテだ!
う~ん。こうして見ても、麗花ってば超美少女。あの子だけ容姿が桁外れに整ってるよ。可愛いなぁ~。
麗花を見つめてニヤニヤしていたら、それを光子ちゃんに指摘された。
「かっちゃん、なにみてるの~?」
「うん? ほら、あそこにすごく可愛い女の子いるでしょ? 髪がクルクルってなってるの。あの子麗花ちゃんって言ってね、私のお友達なの~」
「そうなの? ならおうえんしなきゃだね!」
「ね!」
ウチの両親のおかげで応援可となった今、応援しないという手はない。
話をしていたら、パンッとピストルが打ち鳴らされて第一走者がスタートする。大きな音が鳴って隣でビクッとする光子ちゃん、超可愛い。
そうして遂に麗花の順番がやってきた。
私と光子ちゃんは、せーのっって息を吸い込んで。
「「れいかちゃーん! がんばってーー!!」」
子ども二人の大きな声援が、運動場いっぱいに響き渡った。
…………あり? 何だこの空気。
スタートも始まらないし。
お隣以外の見学席が、シン……と凍りついている。
生徒の方を見ても、一切の動きを止めた様に凍りついている。
運動場に流れる音という音は、軽快なBGMのみ。
おやぁ~? この現象には覚えがあるぞぉ~?
あっ、分かった。麗花の他にも“れいか”っていう名前の子がいるから、どの“れいか”か分からなくて皆反応に困っているんだ!
「あのー! 麗花ちゃんはー、薔之院さん家のー、麗花ちゃんのことでーす!」
「でーす!」
光子ちゃんがつられて楽しそうに言った。
ん? クラウチングスタートの体勢をとっていた麗花が、立ち上がって先生に何か言っている。
ん? 何かこっちに向かって、ものすごく速い走りでやって来る!
目の前まで来た麗花は目を三角に吊り上げようとして……光子ちゃんの存在に気づき、口角は上げて目だけが笑っていないという器用な表情をした。
「その席にいるだけで事情があるのは分かりましたわ。ですが! 貴女、自分の学校で空気を凍らせるばかりでなく、ここでも空気を凍らせるとかどういう特技ですの!? 応援は嬉しいですが、TPOというものを考えて下さる!?」
「てぃーぴーおー?」
「後で教えますわ!!」
小声でヒソヒソと怒られる私に次いで、光子ちゃんにはニコリと笑い掛ける。
「応援ありがとうございますわ。嬉しいですけれど、静かに走るのを見ていて下さると、もっと嬉しいですわ」
「わかりましたですわ~」
口調につられた光子ちゃんが笑ってそう返すのを聞き、ギンッと私を一睨みして麗花は帰って行った。
応援ダメ? せっかく応援の許可が出ているのに、静かに見ているだけなんてつまんなーい。
と、ふと周囲から「百合宮家ばかりでなく、遠山家はいつから薔之院家とも親しく……?」という声が聞こえた。ハッとして遠山夫人を見ると、両手で顔を覆われてしまっている。
――あ、やっちまった




