Episode86-2 清泉の運動会
それで徒競争がどうなったかと言うと、救護テントに連行されそうになったが頑として大丈夫と言い張って(本当にかすり傷)、最初からやり直すことになった。
スタート体勢はもうクラウチングスタートじゃない方でされ、結局並走の子達は顔の強張りが解けずに文字通り並走して、私達の列だけ同時ゴール。順位も何もあったものではない。
そうして競技が終了し、救護テントで膝に絆創膏を貼ってもらい陣地へと帰還すれば。
「悪かった、花蓮」
直角に頭を下げて謝罪する、裏エースくんの出迎えに遭った。
「えっ。ちょっとどうしたんですか、止めて下さい!」
「盲点だった。花蓮の運動音痴さをなめていた。速く走れてこけなかったから、走るより前のことを忘れていたせいで空気が……」
「それ私に謝ってます? それとも運動場にいる全員に謝ってます?」
私がこけたくらいで凍る空気なんて、もう知るか!
森の中に木を隠せなくて残念。ああ残念!!
プンスカプンプンと頬を膨らませて裏エースくんと一緒にテント内の椅子に座れば、隣にたっくんも座ってくる。
「花蓮ちゃん大丈夫?」
「平気です。こんなケガはもう慣れました」
乙女ゲーの記憶を思い出してから、何回転んでいると? 最早一ヵ月に必ず一回は転んでいるぞ。たっくんじゃない隣から「ケガに慣れる令嬢とか……」とか聞こえるけど、気にしない。
けれど結果的に徒競争の成績は、チームで見ると白チームは二位という好調な滑り出し。ちなみに個人成績で把握している限りでは、たっくんが三位で裏エースくんは圧倒的一位だった。遊びでも特訓の成果が出ているようで何よりである。
「百合宮さん、ケガ大丈夫だった?」
「でも、走るの速かったよ。一位おめでとう!」
三・四年生合同の台風の目を見ていたら、私が戻ってきていることに気づいた相田さんと木下さんにも話し掛けられたので、にこりと微笑む。
「はい。ケガと言っても少し擦りむいた程度ですので。順位に関しては皆で一位でしたので、あまりチームにはお役立てできませんでしたが」
「そんなことないよ。徒競争ではこけちゃったけど、でも運動会最後のチーム対抗選抜リレーがあるし、そこで挽回しようね!」
「はい、頑張ります!」
そう、高学年の四年生から六年生は男女一名ずつだが、低学年の一年生から三年生は本人たちからしたら距離が長いため、二名ずつになっている。
我が白チームの一年生女子選抜は相田さんと、実はこの私である。女子全員で走った結果、実力で選ばれたのだ。もちろん立ち片足下げでのスタートである。
と、それを聞いた裏エースくんの顔が強張った。
「おいちょっと待て。それ、最初相田からのスタートか?」
「ううん。百合宮さんからだけど」
「花蓮、行くぞ!」
相田さんから答えを聞いた瞬間に立ち上がった裏エースくんに驚く。
「えっ。何で、どこに行くんですか!?」
「運動場の隅っこに決まってるだろ。スタートの特訓だ。ほら早く!」
「え、えっ。でも、他の人が一生懸命いま競技しています。見なきゃ失礼…」
「んなこと言っている場合か。運動会の最後の最後で、またあの悪夢を全員に見せる気か!」
「悪夢扱い!?」
人間生きていたら人生一度は誰でも転ぶでしょ!?
そこまで言う!?
あまりにもあんまりな発言に逆に奮起し、裏エースくんの後について行く。くっそう! 競技前までに修得して、目にもの見せてくれる!
「たまたま足が縺れただけなのに! ちょっと転んだくらいで悪夢なんて言う太刀川くんなんて、ぎゃふんと言わせてやります!」
「あれのどこがちょっとだ。盛大に転んでただろうが。俺らのクラスの男子なんか、あの時皆呼吸止まったぞ」
「うそですよね!?」
「うそじゃないから引っ張って来たんだろ! ほらそこに手をつけ!」
女子は蒼白、男子の呼吸は止まると言う現実を知って逆にぎゃふんと言わされそうになったが、裏エース先生によるスパルタ特訓が始まってそんなことも言っていられなくなった。
体勢は様になっているが、どうも屈んだ体勢からの走り出しのタイミングがうまく掴めない。何度も何度もおっとっと、と言いながら転びそうになっていたら、頭上に影が差した。
何だと思って見上げたら、麦わら帽子を被ってサングラスをかけた、半袖フリルシャツに薄水色のハーフパンツにショールを羽織った女の子が私の傍で仁王立ちしていた。え。誰?
振り返って裏エースくんを見ても首を横に振ったので、彼の知り合いでもないらしい。特訓中に現れた私服姿のその子が戸惑う私の様子も無視して、その口を開く。
「貴女の先程のご活躍は、しかとこの目で見させて頂きましたわ」
「あっ。その喋り方と声! 麗花!?」
来るなんて聞いてなかったけど!?
それに髪型縦ロールじゃないじゃん!
「アイデンティティの縦ロールは!?」
「私のアイデンティティを髪型にしないで下さる!? 西松が今日は暑いと言うので、二つ結びにされましたの。というか貴女、何もないところで転ぶってどういうことですの!? やっぱり三輪車で正解だったじゃありませんの!」
「ちがっ。た、たまたま足が縺れただけだもん!」
「遠くから見てましたけど、今もずっと転びそうじゃありませんの。たまたまが何度も続いてたまりますか!」
げええぇ! だから何でそうコソコソするの!?
正々堂々とするのが太陽編ライバル令嬢、薔之院 麗花でしょう!
とここで麗花の視線が私達のやり取りを見るだけで、話に入ってこられない裏エースくんへと向けられた。
「貴方の教え方、とても分かりやすいと思いますわ。貴方が話に聞く、花蓮のコーチですわね?」
「サンキュ……。まぁ、体育関係で教えているのは俺だけど。三輪車とか出てきたし、アンタがダイエット訓練の子か。ということは花蓮の学校外の友達だな!」
「あら、ダイエット訓練のことをご存知ですの? 縄とびで最初に跳んだ一回で、足引っ掛けて転んだのもご存知?」
「お前縄とびもダメなのか!?」
ぎゃああぁ!! 濁して言ったことをバラすんじゃないよ!
「私も微力ながら、力になろうと思って来ましたわ。ダイエット訓練の時はもう一人の子を見るので、この子まで見られませんでしたもの」
「なるほどな。でも三輪車はいい判断だったと俺も思う。足の速さはそれで鍛えられたらしいぞ」
「まぁ、そうですの。ずっと三輪車に乗せていた甲斐がありましたわ」
三輪車三輪車うるさいよ!
たっくんの時は令嬢らしくない、裏エースくんの時は運動神経悪いで仲良くなるってどういうことだ。
え、なに。麗花、私と仲の良い子とはすぐ仲良くなれるの?
「あの、力になるって麗花もコーチしに来たの? というか今日来るって聞いてなかったけど」
「瑠璃子と日付が重なっていてどちらか迷いましたけど、貴女がどれだけ頑張っているかを見てきてって瑠璃子に言われましたの。それにサロンで奏多さまからも、見に来る?ってお誘い頂きましたし。私も話は聞いていましたけど、実際にどれほどひどいのか確認しようと思いまして。あの盛大に転んだ瞬間、貴女のご両親は凍りつかれましたし、奏多さまは天を仰いでおられましたわ」
「えええええ」
「本当にどうなさいますの。周囲の保護者さま方は百合宮の令嬢だからと反応に困って、目を逸らされておられましたわよ」
「ぎゃふん!」
何で私が転んだくらいでそんな大事になるわけ!
本当に悪夢扱いになってるじゃんか!
あんまりだと思った裏エースくんの発言が的確なものだったと判明した私は、遂に自分の口からぎゃふんと言ってしまった。
元々の先生である裏エースくんと、保護者席から快く送り出されたらしい麗花を新たに先生に加え、次の出番までクラウチングスタート特訓をひたすらに行うことになったのだった。




