Episode65-1 スイミングスクール前の戯れ
無事にスイミングスクールに通えることになった私はその週の土曜日、水着袋を抱えて意気揚々と車に乗り込んで到着し降りたその場で、パカッと顎が外れるのではないかというくらい口を開けた。
そんな間抜け面を晒す私に、「花蓮ちゃん、お口閉じなさい」と、初日の付き添いであるお母様から注意が飛ぶ。
……えっ。いや待って。
ス、スイミングスクールだよね? えっ??
辛うじて口を閉じたものの、お母様にギギギと顔を向けて口を開く。
「あのっ? ここ……えっ、スイミングスクール?」
「そうよ? 下手に知らない方に習うよりは、知っている方に習った方がいいでしょう?」
いや正論。
まさかその可能性に行き当たるとは思ってもいなかった私は、混乱のままにお母様に手を引かれて歩かされる。
そして出迎えのためにわざわざ玄関で待っていたらしいその人は、とても嬉しそうな笑顔を向けてきた。
「咲子さま。花蓮ちゃん! ごきげんよう、今日からよろしくね」
「ごきげんよう、雅さま」
「お、おはようございます。春日井さま」
そう。連れてこられた先は、何と去年の春のお茶会以来の、春日井家であった。
玄関からお屋敷の中に上がり、取りあえず応接室へと通される。上等な皮張りのソファに座った丁度そのタイミングで、香り良いお茶が運ばれてきた。
一応水泳を習いに来た身で、飲み物を飲んでもいいのだろうか?
手をつけるか迷う私に、春日井夫人がにこやかに笑う。
「そうよね。花蓮ちゃん泳ぎに来たのだものね。でも水泳は午後から始めるから、今は飲んでも大丈夫よ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言われてしまったので、コクリと一口喉を潤す。
「ふふ。驚かせたくて、娘にはこちらにお伺いすることは内緒にしておりましたの」
「まぁそれで。花蓮ちゃんびっくりした顔をしていたから、どうしたのかと思ったわ」
ふふふ、ホホホと笑い声が室内に渡る。
未だ状況についていけない私は、大人しくお茶を飲むしかない。混乱で頭の中がいっぱいだ。
と、ようやくお母様から説明が入る。
「雅さまはね、学生時代に学院を代表する水泳選手として活躍されていらしたのよ。家にも子供用のプールがあって、息子さんにも教えているそうだから、花蓮ちゃんの先生にぴったりじゃないかしらって」
「咲子さまからお話をお伺いした時、即答してしまったわ。週三日も花蓮ちゃんに会えるなんて嬉しいもの」
スラリとスレンダーな春日井夫人、水泳していたからスタイルいいんだ……って、ちょっと待って。
「週三日? あの、土曜日だけじゃなくてですか? お忙しいのでは」
「あとは火曜日と木曜日ね。ふふ、その曜日は前から調整しているから大丈夫なのよ。夕紀さんと一緒に頑張りましょうね」
何ですと!?
え、春日井と一緒!? マジで!!?
ちょっと待って。
てことは、火曜日と木曜日と土曜日は今後、春日井とも必然的に顔を合わせるってことに……!?
何てことだと呆然としていたら、コンコンと応接室の扉がノックされた。「どうぞ」と春日井夫人が入室を促して部屋に入って来たのは、話に出てきた張本人。
「ようこそお越し下さいました。百合宮夫人、百合宮さん」
緩やかに微笑み、そう挨拶を口にする。
「夕紀くん、お久しぶりね」
「お久しぶりでございます……」
現実についていけていないせいで変な挨拶をした私に緩く笑い、夫人の隣に座る。
「今日から一緒に母に習うと聞いたよ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
ニコッとする春日井に、意地でニコり返す。
「ケガ、もう大丈夫?」
「あ、それならもう大丈夫です。お部屋できっちり二週間、ジッとしておりましたので」
ほら、と前髪を上げて見せれば、お母様からペシッと軽く手を叩かれた。
「殿方の前でおでこを見せないの」
「えー。でもそんなこと言ったら、泳ぐ時どうするんですか。水泳キャップ被りますよ?」
「あら、それもそうね」
お母様の天然発言に春日井親子から笑い声が漏れ、何だか私の中の緊張も話の中で自然と鎮静した。
そして午後から本命の水泳ということで、この午前は親同士の語らい、子ども同士の語らいと何故か分かれることに。
応接室からリビングに移動する、春日井夫人とお母様。私のことは春日井に任されてしまい、彼と一緒にどこかへと歩き始める。
「あの、どちらへ?」
「百合宮さんの家には負けると思うけど、庭へ。その方が落ち着けるんじゃないかな」
「確かに緊張はしていましたけど、今はもう大丈夫ですよ?」
「そう? でも、できるだけリラックスして泳いだ方がいいよ。考えるんじゃなく、頭をからっぽにして自然に身を任せなさいって、よく母が言っているんだ」
「そうなんですか」
なるほど。考えるから理想の動きと現実の動きが一致しなくて、自分で難しくしちゃうってことね。あ、そう言えば裏エースくんも体が覚えないとって言っていたな。
そうして歩いている内に、庭を見渡せるウッドデッキへ着き、ガーデンチェアの椅子を引かれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
相変わらずの紳士ぶりに舌を巻いて座る。
向かい側に春日井も座り、眼前に広がる庭を一望する。




