Episode63-2 社会科見学 調香体験
「緊張しなくても大丈夫だ。ゆっくりでいい。そっと摘まんで落としなさい」
その声に導かれるように西川くんのスポイトから数滴、ハイビスカスの紅色が落ちて無水エタノールを薄紅色に染めた。
西川くんはパッと振り返り、喜色満面の笑顔で後ろに立つ人物へとお礼を告げる。
「できました! あ、ありがとうございます! 百合宮社長!!」
告げられた人物――お父様は「うむ」と頷き、ポンポン、と彼の頭を軽く撫でた。
足音を立てず忍び寄ってきた時には今度は何だと思っていたが、私のことが気になって見ていたその視界に、西川くんの様子も入っていたのだろう。
西川くんの目が今まで以上にキラキラと輝いてお父様を見つめる様子に、私も嬉しくて微笑む。
さて、西川くんも上手くできたことだし、私もやろうっと。
リリーの精油をスポイトで吸い取って、いざボトルへ注入しようとしたところで。
「あ、花蓮。お前も手伝ってやろう」
「え? や、一人でできます……ちょ、やめて下さい!」
目敏く私の動きをチェックしていたらしいお父様が寄ってきて、頼んでもいないのにスポイトを持つ手を握ろうとしてくる。
ちょ、本当にやめて! ただでさえ私だけ父親参観日なのに、恥ずかしいでしょうが!
私はそんじょそこらの子供とは違うのだ。聞いて驚け、前世含めて私の精神年齢はいまや三十歳……っ!?
「「あ」」
私とお父様で変に力が入ったせいで、数滴落とさなければいけない精油が勢いよくピューッと、ボトルの中に発射された。
「「…………」」
他のテーブルはワイワイ楽しそうな声で溢れているが、ここのテーブルだけ静けさが漂う。
「か、花蓮」
「……」
「いや、大丈夫だ! やり直そう。可能な筈だ」
「お父様」
「工場長、工場長はいるか!」
「お父様!!!」
ボトルを見つめたまま目を吊り上げるが、冷や汗を大量に垂らしているのは見なくても分かる!
「こんなことで工場長さんに迷惑を掛けるのはやめて下さい! 変なことで社長の力を使うのダメ! もう、ちゃんと一人でできるって言いました!!」
「う、うむ……。すまない……」
「花蓮お嬢さま」
と、今まで遠くで見守っていた菅山さんが初めてこちらに近づいてきた。そしてサッとスーツの懐から無水エタノールとラベルの貼ってあるプラスチック容器と、ミニマムより大きめのスプレーボトルを取り出す。
えっ、今まで入れていたの? というかスーツに入ったのそれ?
「こちらに入れ替えて、無水エタノールで調整致しましょう」
そう言ってスポイトから注入した精油量を目測し、手早くエタノールの量を計って新スプレーボトルへと追加。キュッとボトルの蓋を閉めて軽く振り、シュッと自身の手首につけて香りを確かめ、頷く。
「問題は解消されたと思います。どうぞ」
手首を差し出されたので恐る恐る嗅ぐと、確かに強くない、丁度いい百合の香りが香った。
「はい。大丈夫です。ありがとうございます!」
「いえ、奏多坊ちゃんからの助言が功を奏しました」
「お兄様の?」
何て有能な秘書かと瞳を輝かせてお礼を言うと、少し苦笑した菅山さんから意外な名前が出て、首を傾げる。
事無きを得てホッとしたお父様も、その発言にどういうことかと視線で問う。
「見学前に連絡がありまして。『自分で見学先提供を申し入れたくらいだから、相当張り切っていると思います。……まぁ、やる気が空回りして調香体験とか、手伝いを申し出て失敗して花蓮に怒られる未来が予測つくので、その時のための事前準備をよろしくお願いします』と」
さすが百合宮家の頼れる長男!!
話を聞いていた裏エースくんも、「やっぱ奏多さんすげー」と声を漏らしている。
お兄様への尊敬度が爆上がりする中、息子の心配が現実のものとなったお父様はがっくりと肩を落とした。
「奏多……」
「あ、忘れるところでした。菅山さん、お母様への連絡③です」
「かしこまりました」
「えっ。いや、ちょっと待ってほしい菅山!」
無事に香水ができたからと言って、己の所業が許されるわけがないだろう。
ダラダラと冷や汗を垂らして性懲りもなく菅山さんに待ったをかけるお父様に、それはそれはとても素晴らしい満面の笑みを浮かべて。
「イヤです」
「菅山……!!」
今後とも素晴らしい働きを期待しております、菅山さん。
こうして私の知らなかった、お父様の色々な面を見て知ることができた社会科見学は終わりを告げた。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
余談にはなるが。
「あら、お帰りなさい貴方。今日は菅山さんから色々お話が聞けて、楽しかったわぁ」
「……」
「色々お話したいことがあります。よろしいですわね、貴方?」
「…………うむ」
わざわざ玄関まで出迎えて背後におどろおどろしいオーラを立ち上せるお母様に、お父様の顔面は蒼白。そんなお二人の様子を階段の手すりからこっそりと覗く、私とお兄様。
「見なかったことにしようか、花蓮」
「はいお兄様」
そうして百合宮家の夜は更けていくのだった。




