Episode49.5 side とある忍の語り⑧-1 忍は逃げられない
這う這うの体で教室に戻った後、授業が始まってすぐに衝撃を受けた。
何に衝撃を受けたかって、自分の信条三項目(信条となったのは伯母が原因だが)が破れてしまったことにだ。
目立たず・騒がず・空気を読め。
薔之院さまの見せた笑顔の攻撃力が高過ぎて、脳みそが吹っ飛んだせいで忘れていた。
目立たなかった筈なのに目立っていたと言われ、確かに空気は読めていなかったし、けど目立たないことに比例して人との会話も最低ラインで、騒がしいとは一番無縁だった。
それなのに、表情が、騒がしい……!!
騒がしい。騒がしいとは一体……!!!
「えー、それではこの問題は……確か今日の日付でいうと、男子十三番。前に出てきて答えなさい。……男子十三番?」
「忍くんです先生~」
「ん? あー……と、いるな。おい、頭抱え込んで大丈夫か? 体調悪いのか?」
ポン、と肩を叩かれて見上げると、月見里先生の眼鏡の向こうの瞳とかち合った。
どうして目の前に。あ、そうか。
いま授業中で、確か国語だった。
「……騒がしいの意味とは」
「は? 声や音がしてうるさかったり、落ち着いていなかったり、忙しかったりとまぁ色々意味はあるが……待て。何でこちらが質問されている。君も黒板の問題を答えなさい」
先生に指されて見ると、確かに黒板に未だ空白の問題が。
……考えすぎて、当てられていたことに気がつかなかったようだ。不覚。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
放課後、サロンにて。
語弊があった。現在サロンの入り口扉の前にて佇んでいる。
最後の授業終了後、秋苑寺くんはさっさと教室から出て行き他の、と言っても1ーDのファヴォリは自分の他には女子一人しかいないが、その子も荷物を片づけたら教室を出て行った。予想外のことが起こったせいで、サロンに関することが何も考えられなかった。
いつもなら素早く行動するのに圧倒的行きたくないでトボトボ歩いていたら、授業が終わってから二十分以上経っていた。
「……」
どうしよう圧倒的入りたくない。
一応サロンには来たのだから、このまま外から話をこっそり聞くじゃダメだろうか。
そんなことを考えていたら、後ろからでも感じる圧倒的オーラを放つ人物の気配を察知した。
恐る恐る振り返ってみると、不機嫌そうな顔をした緋凰くんがゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来ている。
何だかいつにも増して不機嫌そうである。
どうしたんだ。
サッと扉の前からずれて様子を窺っていると、いつものことであるが自分には気づかれずに、そのままサロンへと入室していく。
緋凰くんの前にも数人程自分の後から来はしたが、同じような感じだった。
よし、ちゃんと自分の気配は消せている。
「入りませんの? も、もしかして待っていて下さったんですの?」
「……」
何故だろう。ちょっとモジモジした薔之院さまが、扉の前からずれた位置に立っている自分に声を掛けてきた。
気配……消せていたよな……?
思考停止して何も答えない自分をどう思ったのか、何だか嬉しそうな顔をして、「同じ年の子のエ、エスコートなんて初めてですわっ」と呟いている。
待ってほしい。エスコート初めてなの?
初めてのエスコート自分でいいの!?
……うわっ、キラキラした目でこっち見てる!
今まで感じたことのない種類の圧を受けて、自分の圧倒的入りたくないが屈した。
扉を開けて彼女に入室を促すようにすれば、既に表情はいつもの凛として涼しげなものに戻ってはいたが、目のキラキラだけはそのままだった。
「行きますわよ」
声も語尾に音符がつく一歩手前の浮かれ具合である。本当どうしたんだ。
この時点で気持ちは既にげっそり。
一体自分は何に攻撃されているんだ。
薔之院さまについてトボトボと歩いていれば、やはり今日も頻度としては珍しい彼女の入室に「ごきげんよう」と、恐る恐るといったような挨拶が掛けられる。
それに薔之院さまも鷹揚に「ごきげんよう」と返して、まっすぐに自分の所定の位置である、室内の一番隅っこのソファの隣にサッと座った。
まるで椅子取りゲームかというくらいの速さで座った。
そんな速く座らなくても、日の当たりもよくない一番隅なんて誰も座りたがらないから。
表情とか態度は令嬢然として普段と変わらないのに、雰囲気だけが浮かれている。器用だな。
そして着席すると同時に、給仕が飲食の確認にやって来る。
「私はベルガモットのアイスティーを。貴方は?」
「えっ」
驚きの声を上げたのは自分ではない。
声を上げた給仕を怪訝そうに見る薔之院さまだが、自分は気づかれないのがいつものことなので、逆に給仕のこの反応は何だか安心する。
「……緑茶」
「か、畏まりました」
入学してから初めて給仕された。
慌てて礼をして立ち去る給仕を感慨深く見送っていると、やっぱりって顔をした薔之院さまが目に入る。
「貴方いつも緑茶を飲んでますものね。飽きませんの?」
どうしよう。
いつも緑茶飲んでることまで把握されてる。
「……それしか飲めない」
炭酸は喉が痛いし、果物百パーセント系は後味が舌に残るし、お茶系は緑茶が一番すっきりする。ちなみに紅茶は苦く感じて飲みたくない。
「ふ~ん。……あら」
薔之院さまが何かに気づいたように、入り口扉へ顔を向けたので同様に視線を向けると、二人の生徒が騒がしく入室してきた。いや、騒がしいのは一人だけだ。
春日井くんと、彼に付きまとうようにして傍を離れない有栖川。
問題児の入室に一年生プティの女子らの空気がピリつくが、あの騒動後は皆あまりに無視できない場合のみ以外は静観するようになった。今は様子見の状態だ。
けど、何やら違和感を覚える。
何がいつもと違うのか、はっきりと分からないが……。
「夕紀」
緋凰くんに気づいた春日井くんがそちらに向かうのに伴って、有栖川も付いていく。そして春日井くんが座った隣に彼女も座ろうとした――その瞬間。
「座らないで」
静観していた女子らの目が見開かれるのが、見なくても分かった。男子でさえ、えっ、という感じで一気にそちらを見た。
それはフェミニストで優しい彼から発せられた、明確な拒絶の言葉だった。
そして違和感の正体に気づく。
いつもは宥めながら注意をしていた彼が、一言も有栖川の言葉に反応を返していなかったことに。
「ど、どうしてですの春日井さまっ。いつも許して下さっているのに!」
何だかいつもと違って、どこか必死な有栖川。
そっとその襟元を見たが、彼女の羽のバッジは未だ健在だ。
ついでに周囲の確認をするが、やはり他のクラスも強制召集を受けたようで、同学年のプティがほぼこの場にいた。だがおかしなことに、低学年の二、三年生と高学年のプティは逆に誰もいない。
……え? 何でこれに気づかなかった。
 




