Episode49.5 side とある忍の語り①-0 忍は見た
忍者とは、この世で至高の存在だと思っている。
彼等の存在を知ったのはいつだったろう?
四角い画面(後にテレビという物だと知る)に映り、静かに素早く活動するその姿を飽きずにずっと見つめていたことは、おぼろげながらも何となく記憶に残っている。
そうして物心ついた時にはよく彼等の真似をして、水の上を走ろうと家の庭池に飛び込んで溺れたり、手裏剣がなかったから代わりに包丁を壁に投げたりして両親、特に母にはしこたま怒られた。
上手くいかないのは自分に色々足りないものが多いせいだということは何となく分かっていたので、その分修行を積み重ねることが大事だと、母に邪魔されながらも黙々と自分にできる修行を行った。
見つかり次第母に修行を邪魔されるので、見つからないように存在を消すことを覚え、息を潜めるように生活をしていたら結果、齢四歳にして常に家の者に探し回られるほど気配を消せれるようになった。
――決して、影が薄くなったというわけではない。
忍者、彼等は自らのことをあまり語らない。
敵に情報を知られぬためである。
「だからって目で語られても何も伝わらないんだから、ちゃんと言いたいことは口に出して言いなさい! 栄養があるんだからニンジン残さず食べなさい!!」
母が箸で掴んだニンジンを口元に運んできた。
その動き、疾風の如き速さで微動だにもできず。
くっ、まだまだ修行が足りぬ……!
「口開けなさいって言ってるでしょ!」
「……よはひじょうなり!」
「ただの食わず嫌いが大層なこと言うな!!」
グイグイと口にニンジンを押し付けられるその間、父はただ一人、静かに黙々と茶碗の飯を食べていた。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
忍者たる者、自然と一体化すべし。
木登りは既に去年習得した。今は気配を消し、木と同調して神経を集中させるのだ。
「ねー、降りておいでよー。そんなところにいてケガしたらどうすんのよー」
修行中に話し掛けてくる不届き者が現れた。
忍者たる者、主君でもない者に呼ばれて、そうホイホイと出ていくわけがない。
「せっかく芙蓉庵の笹餅買ってきたのに。食べないのー?」
「かたじけない伯母上。ささもち、ちょうだいする」
「……はいはい。それじゃ、お部屋で食べようね」
母は忍者修行によく口を出してくるが、母の妹である伯母は父同様、何も言ってこない。
伯母曰く、「小さい頃から子供に押し付けるのは良くないよー。好きにさせるのが一番!」とのことらしい。さすが小学校の教師とやらを生業にしているだけはある。
だがしかし、自室で笹餅を食べ始めて数分後。
お茶を飲んで一息吐いた伯母は、ポツリと言葉をこぼした。
「忍も、あと一年で小学生かぁ……」
「!」
油断した。
笹餅が喉に詰まりそうになり、慌ててお茶を飲み干す。恐る恐る様子を窺うと、伯母は両肩をガシッと掴んできて鬼気迫る表情で口を開いた。
「忍。絶対、絶対に学校では目立たず・騒がず・空気を読んで過ごすのよ! あの人たちの血を引いた子供には絶っっっ対に目をつけられちゃダメだからね! あああもうっ何で皆して同じ年に子供産んでんのよ、嘘でしょ!? 学校だって聖天学院じゃなくても色々あったでしょ姉さん!!」
最終的には頭を抱えて転がり出す。
これを三回会う内の一回は言い聞かせられ、このような姿を見せられているこっちの身にもなってほしい。思いっきり引いた顔をしている自覚しかない。
今回はその一回に当たってしまった。
どうにも伯母は、来年通う学院で先輩たる複数の人達に振り回されて、ひどい生活を強いられたらしい。
当時を思い出したくもないのか詳しいことは話してくれないが、自分の忍者修行を認めているのもこういった、伯母自身の経験もあってのことだと察している。
と、部屋の襖がスパーンと音を立てて開いた。
母だった。
「蘭子、アンタまた勝手に家に来て! 忍に余計なこと吹き込んでんじゃないでしょうね!?」
「姉さん! 何で忍よりによって聖天学院に行かせるの!? 地獄の華の乙女どもの子供に目をつけられたら、一巻の終わりなのよ! 私の二の舞になってもいいわけ!?」
「なに訳の分からないことをまた言ってるの! 当時も今も皆さん素晴らしい方たちでしょう。アンタがよくケガしてたのは、鍛え方が足りないからだって言ってるじゃない」
「ちっがーう! 咲子先輩や雅先輩はまだマシだけど、本当にヤバいのは美麗先輩と静香先輩と樹里先輩なんだってばー! 皆騙されてるー!!」
「まったくいつまで経っても軟弱な子ね! ……来なさい、久しぶりに稽古をつけてあげる」
「えっ。ちょ、まっ! し、忍ー! 助けてー!!」
母に首根っこを掴まれた伯母は、ズルズルと引きずられて開かれた時と同様、スパーンと音を立てて襖の向こう側へと姿を消した。
母はフェンシングのオリンピック覇者である。ちなみに現在三連覇中。そんな母に稽古をつけられる、ただの教職員である伯母の未来は想像に難くない。
ついでに父は柔道のオリンピック重量級覇者である。これまた四連覇中で、我が家はオリンピック常勝者として有名な家であった。
そんな家の長男に生まれたため、母は剣道もしくは柔道をさせたい考えであり、しかし父は何も言わずただ静かに黙々と鍛錬を行うのみ。
父が忍者修行のことをどう思っているのかは全く分からないが、その大きく広い背中に『すきにすればいい』と書いてあるため、心おきなく修行を続けることを父の背中に誓う。
「……忍」
静かに黙々と精神統一のため瞑想を行っている父に、珍しく呼び掛けられた。
大きく広い背中から視線を上げて正座をすると、父が正面に座り直す。
「……その手に持っているものは何だ」
「……筆」
「……父の背中は紙ではない」
その後それを見つけた母に、「ちょ、これ油性! 何で貴方も書かれる前に止めないの!? 忍ーーーー!!」と自分だけでなく、父も一緒にしこたま怒られたのだった。
伯母は目立たず・騒がず・空気を読め、と言っていた。
目立たず・騒がずは忍者修行の成果と、寡黙な父の性分を受け継いだため実践できている。
だがしかし空気を読む、というのは一体どうすればいいのか。
さっぱり分からない。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
建物の構造と地形は、事前に頭に叩き込んでいた筈だった。忍者たる者、己のいる場所も把握できないなどと言うことは、論外である。
ただ現在の状況を踏まえて導き出せる言葉はというと――――ここどこ? に尽きる。
「……」
トイレを済ませて元々いた会場へと戻ろうとして、どうしてかさっきのトイレのある場所へと戻ってきてしまった。
おかしい。なぜ、と思考を巡らすが、まったく見当もつかない。
廊下を見渡すも誰もいない。一体どうするべきか。
取りあえずトイレから死角になる直角に曲がった廊下の壁へと、身を潜ませて様子を窺うことにして暫くジッとしていれば体感にして約五分後、女子トイレから二人の女の子が出てきた。
「!」
華やかな装いをしていることから、自分と同じ催しに参加している子達だと推察する。
あの子達に付いていけば間違いない、きっと元々いた会場へ戻れる――そう確信して一歩を踏み出そうとして、ピタリとその足を止めた。
彼女たちが出てきたトイレから少し遅れて、もう一人出てきたからである。そしてその出てきた女の子を見て、ますます気配を消すように、空気と一体化するように動きを止める。
家格が高いだけあって気位も高い、子供のくせに口達者で可愛げがない、だが子供は仲良くさせておいて損はない――参加者の大人たちからトイレに行く前に耳が拾った、言葉の数々。
その対象者である彼女、薔之院 麗花。
参加する前にも色々と似たような噂を聞いていた、あまり良くない評判を持つ女の子。足を止めたのはそんな彼女に目をつけられたらという心情と、出てきた彼女の表情が。
そんな気位が高いとか可愛げがないとかいう言葉とかけ離れた、今にも泣き出しそうな表情をしていたから。
ぎゅっとスカートを握りしめ、痛いけどどうすればいいのか分からない。そんな、表情をしていたから。
「……」
一歩も動けずただ彼女を見つめるばかりで、後から思い返せば何か一言でも声を掛ければ良かったのだろうか。
そんなことを思う前に薔之院 麗花は深呼吸をして顔を上げ、さっと動き始めたのだった。
この間、自分はただの置物と化していただけ。
何だかそれが、妙に情けなく感じた。
彼女の後姿までが見えなくなったところで、静かに一歩を踏み出そうとしたところ、今度はギィと男子トイレの扉が開いた。
出てきたのは、なんとこの催しに来ている中で最も高い家格の御曹司――秋苑寺 晃星だった。
彼はふぅと軽く息を吐いて、ゆるりとパーマのかかった髪をガシガシかく。会場で見かけた時とは違った、その少々荒い所作に少し驚いてしまった。
「はぁーあ、ちょっと壁薄くない? てか悪口言うにも声大きいんだよ」
そして女の子達が去って行った方……自分が隠れている場所とは反対方向へと首を巡らし、どんな表情をしているのかは分からないがポツリと、「薔之院 麗花、かぁ」と言うのだけは聞き取れる。
彼の言葉と今までのことを見て、大体の状況は察してしまった。
女の子二人が薔之院 麗花の悪口を言っていた、本人が悪口を聞いていた、そしてその悪口を秋苑寺 晃星も聞いていた、と。
彼は溜息を何度か吐きながら先の女の子達同様に廊下を歩いて行ったが、自分はその場から動けなかった。
最初ただ話し声ばかりでうるさいとしか感じていなかっただけのあの場が、ひどく嫌なもののように感じてしまって、戻りたくなかったのだ。
そうして何となくその場でそのまま動かずにいたら、大分時間が経った後でこれも忍者修行の一環に思われた母に見つかり、家に帰ってからしこたま怒られた。
しこたま怒られている最中でも、あの時の薔之院 麗花の泣きそうな表情が――何故か頭から離れなかった。
 




