催眠おじさんと殺し屋少女
エルアリア帝国城下町の広場は、年に一度の収穫祭で賑わっていた。
パレードに屋台、人々の笑い声と甘い菓子の香り。その賑わいがピークとなった午後3時過ぎ、広場に一人の男が現れる。
朱色のマントに金色の冠。少し肥えた初老の彼は、本来このようなところに居るはずの無い存在であった。
彼の名はマルク=エルアリア。この国の王である。
百年続いた戦争を終わらせた賢王。彼は高い支持を得て玉座に君臨し続けている。
平和主義者で愛妻家。民思いで倹約家。皆の理想の王は年に数度町に降りる。
この収穫祭では、広場中央噴水前で、選ばれた子供達がリースや果物を手渡しするというイベントがあるのだ。
マルク王本人が民との交流を目的に、そして自分も収穫祭を楽しむために提案したこのイベントは、彼の人気も相まって盛大な拍手と歓声の中おこなわれるのだった。
楽器隊の優雅な演奏は少しテンポを上げ、大道芸人達も腕を止め噴水を見る。
鎧とハルバードで武装した兵士達に厳重に護衛されつつ噴水前に立ったマルク王は、穏やかな日の光の下柔らかな笑みを浮かべる。今年もこの国は平和である。その喜びを噛み締めて。
そして、真白の布に身を包んだ少年少女が前へ出る。その手には溢れんばかりの果物、または彩溢れる花飾り。
王を前に横一列に並んだ彼らは、その左端から順に王の眼前へ歩み寄る。
「はい、ありがとう」
膝を地につき、少年に目線を合わせ果物を受け取る彼の姿勢に、彼の人格が現れていると言えるだろう。
王に頭を撫でられた少年は、恥ずかしそうな、しかしとびきりの笑顔を返した。
さて、並んだ子供たちの一番右。短髪の少女は花の首飾りを抱えている。
あどけない少女の笑顔はしかし、その瞳は濁り、何も映していない。
彼女に名は無い。いや、産みの親が祈りを込め付けた名は確かに存在したが、両親を殺した組織に捕らえられたときその名は捨てた。
彼女に意思は無い。ただ組織の命令を聞くだけの機械である。無垢な少女に組織が何をしてきたか、光を宿さぬ彼女の瞳が物語っている。
彼女の任務は、王の殺害。
この美しい国にも、裏は、影は存在する。
百年戦争時代の闇の残滓が、しかし確かに少女を侵した。
首飾りに隠された短刀。少女が王の首にそれを掛けたとき、王の命を確実に絶つであろう。
そして番は回ってきた。
王は膝を折り、少女は微笑む。
ゆっくりと首飾りを、王の垂れた首へと。
静かに短刀を、王の垂れた首へと。
パッと、王が顔を上げた。
少女の瞳を覗き込む。
唐突な行動に少女の動きが止まった。
王の目から視線を逸らせない。
王が視線を横に振る。
少女の視線もそれに釣られる。
同時に、視線の反対側。少女の耳元で王は指を鳴らした。
目まぐるしく与えられる情報に、少女の五感が集中する。
連続される誘導が生む、断続的な緊張の瞬間。
数秒に満たない時間の中、少女の意識が揺さぶられる。
耳元の音の正体を探ろうと、瞬間の世界で少女は無意識に視線を向ける。
しかしそれよりも早く、王の指が少女のこめかみを突いた。
視線と、触覚がその指に極度に集中する。
僅かに後ろに傾いた重心を戻そうと、少女は前へ重心を移し。
瞬間、指が少女の鼻頭まで下がる。
香るは、柑橘系の甘い匂い。
王は先ほどの果物の果汁を指につけていた。
無意識下の緊張の連続から急降下する、香りによる緩和。
「眠れ」
緩んだ意識を潜り抜け、その言葉は深層意識にストンと落ちた。
世界がぐらりと傾き、まるで額縁に収まった絵を眺めているかのように、意識と現実が乖離する。
体を優しく支えられ、花の優しい香りに包まれながらどんどん意識を手放していく。
眠い。
眠い。
ねむい。
嗚呼、少女は殺し屋と成って初めて、穏やかな眠りについた。
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「王」
「ああ。『烏の夜』が送り込んだ殺し屋はこの子に間違いない」
祭りを後にした王は、ベッドに寝かされた少女を見る。
眠りにつく彼女はただの子供にしか見えず、よく食べていないからか情報よりも幼くさえ見える。
「この国には、まだ泣いている子供がいる。世界には、もっと」
「王よ。貴方が現れる前はもっと、もっともっと酷かった」
白衣の付き人が、暗い声の王に声をかける。
若い女性の付き人は、少女に優しく布団をかけた。
「貴方が救ったのですよ。この世界を。貴方が終わらせたのですよ。あの戦争を」
だから。と、彼女は寂しい笑顔を浮かべた。
「そう悲しい顔をしないでください。王。いや、私達の、催眠おじさん」
──これは一人の催眠おじさんが、如何にして地獄の戦争を終わらせたのか。如何にして一国の王となったのか。その過程でどれだけ多くの人々を救ったのか。彼の半生を綴った、物語である。
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