茜色の空
カンカンカンと目の前で黒と黄色のコントラストで彩られた遮断機が下りていく。
なぜ僕はそれを見ているのか分からないままボーっとしながらその踏切の光景を眺めてた。
僕の最後の記憶はいつもの自分の部屋でいつも通り眠る記憶だ、もしかしたら今僕は夢を見てるのかもしれない。しかし夢なら、この記憶にない田舎のような景色に説明がつかない。
ただどこかしら見覚えがあるような気がする。気のせいなのかもしれないが。
なぜ自分がここに立っているのか、ここはどこなのかなんて夕暮れの光で伸びた自分の影に目を落として自問自答を繰り返すが答えは見つからない。その間もカンカンカンと耳障りな音が辺りに響き渡る。きっと僕が中学生だったらこんな体験も楽しめただろうし、恐らく夕暮れをトワイライトだなんて言いかえて雰囲気に浸っていたんだろう。
そういえば遮断機の音が鳴りやまないな、と思い足元の影から線路へと視線を上げると今まで気が付かなかったが同年代の少女が線路を挟んだ向こう側に蜃気楼とともに立っていた。
同年代だって分かったのは制服が僕の通っている高校のものだったからだ、逆に言えばそれ以外分からないとも言うが。
彼女の最も不思議な点は首から上がぼやけてわからないことだ、顔はもちろん髪型も。ただ彼女には何故か既視感を感じる。こんな人がいるわけがないのに。
遠くから電車の騒音が聞こえてくる、そう思い顔を聞こえてきた方向へ向ける。その瞬間顔のぼやけた彼女が遮断機を乗り越え、線路へと飛び出そうとしているのが視界の端に映った。
慌てて引き留めようとするが、顔を正面に向けた途端すべてが遅くなっていく。これがスポーツ選手でいうゾーンなのだろうかなんて場違いなことを考えながら彼女へと声をかけようとするが口が動かない。
彼女は電車が到着する寸前に線路の中央に到着し、そのままこちらへと顔を向けてくる。その表情がぼやけているはずなのに分かったんだ。
そのまま激突して減速もせず通り抜けていく電車にはまるで彼女のことが見えていないようで。ただ僕には彼女が轢き殺されている瞬間が、僕の顔へとかかる血しぶきが、彼女が轢かれる前に浮かべていた満面の笑顔が、夕焼けの真っ赤な光と暑さで揺らいだ空気が、そして鮮血特有の匂いが僕の脳裏へとこびり付ける。これがいくら夢だといえどきっとしばらくの間はこびり付いたこれは落とせないだろう。
吐き気や眩暈、悲しみや不快感。色々な感情に襲われた僕は今さっきまでそこに居たと思えないような、黄色と黒、そして赤が混じった遮断機の向こう側にある辺りに肉片が飛び散り血の霧が立っている中央に落ちているボロボロになった彼女の死体を眺めながら意識が遠のいていった。
背中が湿っている感覚が不快で目を覚ます。窓のカーテンを開けて外を見るとどうやらまだ夜は明けていないみたいだ。机の上の時計を見るとAM4時とデジタルの文字が教えてくれている。
部屋のドアを静かに開けて汗を流すため忍び足で一階に降りていく。
こんな早くに目が覚めたのはいつぶりだろうか、夜更けの冷え込んだ空気に晒されてくしゃみをする。夏だからと薄着でいたのと汗で濡れた服が更に体温を下げてくる。夜の独特な雰囲気が好きな僕としてはこんな時間に起きるのも悪くないかななんて考えながら洗面所へと足を踏み入れる。
シャワールームから出てきたときにはキッチンのほうでトントントンと包丁の音やコンロで何かを煮込む音がしていた、きっとシャワーの音で目を覚ましてしまったのだろう。
キッチンへと向かうと母親が朝ご飯を作っていた。まだ風呂へ入ってからあまり時間はたっていないと思っていたがどうやらもう日が昇っているようで外からは新聞配達と思われる原付の音が微かに聞こえてきた。
あまり長風呂をする性質ではないが変な時間に起きたのもあるし、なかなか不快な夢を見ていたことだから気づかないうちに意識がとんでしまったのかもしれない。そう時間の流れの速さを自己解決すると、母に朝ご飯はいらないと断って部屋に戻り学校の準備をする。
準備を終わらせた後僕はベッドに座って改めて夢のことを考える。そうするとなんだか言葉にはできない不思議な気分になってくる。顔のぼやけた彼女に覚えた謎の既視感は、そして顔がぼやけて表情どころか顔立ちすらはっきりしない彼女の最後の顔が笑顔だと感じたのは何故なんだろうか。
考えてももちろん答えは出ない。そうやって意識を深く沈めて考えているとデジタル時計のアラームが鳴った、学校へと向かう時間だ。
床に置いていた教科書やらが詰まった学校指定のバッグを持ち上げて玄関に向かう。家を出る直前に母へいってきますと声をかけてそばに止めておいた自転車へまたがり、少し錆びてギコギコとうるさくなったペダルを押し込んで自転車を走らせる。
通学路をゆっくりと進んでいると目の前に学校中の全員が知っているような有名人の女子生徒がほかの女子生徒に混じって。彼女は学校一の美少女なんて言われていて、クラスの中でよく聞く芸能人の名前を聞いても顔が浮かばない僕だが彼女の名前は聞けばわかる。それに比べて僕は世間一般でいうところの陰キャなんて呼ばれているやつでうわさを聞く限り優等生の明るい彼女とは正反対な性格で友人も指で数えられる程度しかいない。
朝っぱらからにぎやかに話している彼女とその取り巻きの集団のそばを少しスピードを出して通り抜け、どうせならと思い彼女の顔を横目に見ると、偶然だと思うが目が合ってしまった。いつもの僕ならば恥ずかしさで顔が赤くなってしまうところだが今日は違う。
彼女の顔を見た瞬間、夢の中の少女と目の前の彼女が何故かはわからないが同一人物だと感じたんだ。彼女も何故か驚いていたが僕としては夢の中の彼女に覚えていた既視感の理由がわかってすっきりした気分だった。
学校に到着してクラスの端で小説を読んでいると、これから面白くなってくるというところで先生がやってきて中断された。少し恨めしい気持ちを隠して赤点を回避するため、一時間目の数学の授業に真剣に取り組む。
夕方ようやく授業が終わった僕は疲れを発散するために軽く体を伸ばしてげた箱へと向かう。自分の靴を取り出そうとげた箱を開けると、僕の3年間使ってきた革靴の上に見覚えのない走り書きのようなメモが置いてあった。
内容は放課後校舎裏へ来てくださいなんて一昔前の告白のメッセージじみたもので、この一週間女子はおろか男子とも話した記憶のない僕からするといかにも怪しげな手紙にしか見えなかった。
告白という一縷の望みにかけて校舎裏へと向かうことにする、まあいたずらか、げた箱を間違えたんだろうけど。
ただ校舎裏で待っていたのはそのどれもではなく、いつも笑顔を浮かべていて朗らかな彼女にしては珍しい真剣な顔をした学校一の美少女と名高い彼女だった。
彼女と会話はおろか同じクラスになったことさえない僕からすると呼び出される理由に心当たりはなく、彼女以外の人もいないことだからきっとげた箱を間違えたんだろうと踵を返して帰ろうとすると、彼女が待って!なんて声をかけてくる。
立ち止まって話を聞いてみるとどうやら彼女も僕の見た夢と同じような夢を見たらしくただ一つ違うのは彼女の夢では僕が電車に轢かれる役だったらしい。らしいというのも彼女は顔のぼやけた少年が線路に飛び出た瞬間気絶したとのことだ。
そして朝驚いていたのも夢の中の少年と僕が重なったからだそうだ、そして僕も驚いていたことだからもしかして同じような夢を見たのではなんて勘ぐって呼び出したらしい。
実際夢を見ていたからよかったもののたまたま目が合って驚いていたのならとんだ勘違いだぞ。なんてツッコむと気が付いたのか少し恥ずかしそうに照れていた。そんなうっかりやな一面を見ていると今まで雲の向こう側の人間だと思っていた彼女にも親近感がわいてくる。
そのあと彼女にSNSの連絡先を聞かれて驚いたが、きっと人生で起こることの中で五指に入る幸運だろう、すぐさま答えてまた明日と言って帰ることにした。
なんとなくいつも帰る道じゃなくてすこし遠回りをして近くに流れている川沿いで自転車を走らせたくなった。空はもう日が沈みだしていて夢の景色と似てきたな、なんて思いながら家へと向かっていると知らない踏切が見えてくる。
あまりこの道は通らないといえど、この踏切があった記憶はない。しかしこの踏切どこかで見覚えがあった、そう、夢の中の踏切だ。あたりの景色は一致しないが遮断機が下りた踏切の前に立つと確信した。
ここには夢の中の遮断機がある。何故ここが夢に出てきたのかはわからないがここまでくると偶然とは思えない不自然さだ。
もしかしてと思って踏切の向こう側を見ると予想通り彼女が立っていたんだ。ここまで一致するとこの後のことを想像してしまい吐き気がする。
しかしその悪い想像は実現せず、無事電車は通り過ぎて遮断機が上がっていく。彼女のそばを通り過ぎる際、どうしたのなんて心配してくる、それほどまでに顔に出ていたのだろうか。彼女には大丈夫と言って家路を急ぐ。
それから一か月、あの夢に関連したことは起きず、きっとあの日のことも全て偶然だったのだろう。彼女とは今もSNS上でやり取りを続けていて学校では話さないが、僕の中では友人といえるくらいには仲良くなった気がしている。恥ずかしくて本人には言えないが。
そんな日常が続いていたある日、たまたま僕たちは二人きりで帰る機会があったからあの踏切まで帰っていた。
いつも帰っている時間よりも遅いせいで帰り道には生徒はおらず、踏切周辺にも人気はなかった。いつもと変わらないのは熱されて真っ赤になったガラス玉のような夕焼けだけだった。
踏切にたどり着いてもっと話したかったなんて気持ちを隠して線路を挟んで別れを告げる。
向こう側にいる彼女も何故か少し寂し気な表情で目を合わせてさよならと返してくれた。さすがは学校一の美人、少し寂しげな表情を浮かべていると、何かのドラマのようだ。相手がこんな無個性な奴でも。そして遮断機がカンカンカンと耳障りな音を奏でながら降りてくる。まるであの時の夢みたいだななんて他人事のような感想を覚える。きっとこれが夢を見た日だったら一致しすぎてて焦っていたんだろうか。
遮断機は下りてしまって電車の音が近づいてくる中、僕と彼女は見つめあったままで体は動かなかった。彼女の寂しげな表情がハッと何か思いついた表情になって、線路の中央へ飛び出るのは聞こえてくるのと同時だった。
僕が慌てて声をかけるよりも早く電車は近づいてくる。夕焼けの光が逆光となって彼女を際立たせる。彼女は轢かれる直前に寂し気な笑顔を浮かべて遺言を残していった、電車や遮断機の音よりも小さな彼女の声が聞こえたのは気のせいかもしれない。
ただ彼女は確かに「忘れないでね。」とポツリと呟いた。少なくとも僕にはそう聞こえたんだ。
彼女がはねられる音。夢で嗅いだよりも生臭い鉄の香り。真っ赤に染まる車体。グロテスクなほど朱く輝く太陽。そのすべてに見覚えがあって、ただ認めたくない光景だった。
そんな夢のような現実を否定してしまいたくて。彼女は顔のぼやけた少女だと自分に言い聞かせたくて。ただ現実は無情にも事実を押し付けてくる。彼女の遺体を見たくなくて、ただ見てしまって。僕の意識は遠のいていった。
目が覚めた時、目に映るのは真っ白に染まった、アルコール臭い空間だった。今思えば病院なのは明確だがその時は何も考えられなくて、意識も、記憶すらも曖昧だった。瞼を閉じれば彼女の遺体がこびり付いていて。
そのあとはあまり覚えていない。学校生活に戻った後も半ば夢うつつだった。
ただ、あの踏切のあたりにそのあと行ってみたけれど踏切はおろか、線路すらなかった。あの夢は、あの事故は、何だったんだろうか。ただ彼女が亡くなったのは現実だった。
それから10年たった今でも彼女の最後の顔は忘れられていない。彼女の遺言を守っているわけではないんだけれど。きっと僕は死ぬまで彼女の声を、彼女の姿を忘れられないような気がしている。
あの頃の僕は恥ずかしくて気づいていないふりをしていたんだろうけど、彼女のことが僕は好きだったんだ。今更でしかないけれど。
未だに夏の終わりの夕焼けは切なさを感じる。太陽のように輝く彼女の沈みを連想させるから。
今夜も僕は彼女の夢を見るんだろう、あの日以来常に見ている彼女の夢を。