聖夜の贈り物
メリークリスマス!(^o^ゞ
(※イラスト付きです!)
1.働き方改革
「残業をさせてください。お願いします!」
僕は人事部の担当に頭を下げた。
暖房のよく効いた部屋である。その担当は背広を脱いでいた。
「何度言えばわかるんだね、君は……」
彼は盛大なため息を吐いて周囲を見やった。
明らかに退社したいであろう雰囲気を隠そうともしていない。
人事部というアウェーな空間で、僕の心臓はぎりぎりと悲鳴を上げた。
「働き方改革の導入によって、月の残業時間は45時間までと制定された。君の勤勉ぶりには瞠目するが、これ以上の労働は違反になってしまうよ」
そこを何とかお願いします。
僕は追いすがるように頭を下げ続けた。
清潔なカーペットが視界いっぱいに広がっている。
「政府に申請すれば、月に100時間までの残業が認められるんですよね」
「それは繁忙期だけだ。それに君は働き過ぎだ。有給休暇も溜まっているじゃないか。君は働くよりも休むことを考えた方がいい。過労で倒れられてもこちらが困るよ」
「お願いします。住宅ローンと車のローン。それに子どもが小学校に上がるのでお金が必要なんですよ」
「家族、家族。家族ねえ」
その担当はアゴに手を添えて思考を始めたようだった。
僕は畳みかけるように、「ええ、家族がいるんです」と続ける。
「ふむ。君の言い分はわかった」
彼はそう二ヤッと笑みを浮かべた。
僕はほっと胸をなで下ろす。
「ならば余計に残業はさせられないな。帰ってくれ。もう退社の時間だろ」
そうデスクの置時計をこちらに向けてくる。
確かに定時の時刻は超過していた。
「なんでですか。僕には家族がいるんですよ」
「だったらなおさらだろ!」そう彼は怒鳴った。「私にも家族はいたよ。だけど、家にも帰らず、仕事仕事で働いていた私は、とうとう女房にも見捨てられてしまったんだ。それでも養育費や生活費は仕送りしているが、今でも子どもに会わせてもらえていない。いや、子どもに合わせる顔がないよ」
それを聞かされては何も言えなかった。
2.クリスマスイルミネーション
暗くなってから家に帰ると、妻と娘が、クリスマスに向けた飾りつけをしているところだった。
物置部屋にしまったクリスマスツリーをリビングに置いて、鈴や星などのキラキラした装飾品をくっつけていた。玄関の扉には"ジングルベル"を歌うサンタクロースの人形が吊るされていて、ちょっとした振動や衝撃を与えると歌って踊るという仕掛けだった。家屋全体にも電飾がつけられていて、夜中に電源を入れると、まるで家全体が一つのクリスマスイルミネーションのように輝き出すのだった。
「パパ、おかえりー」
そう抱きついてくる娘を抱き上げて、高い高いをしてあげると、
「パパ、もういいよ。お手伝いしてくる」
娘はウサギのスリッパを鳴らして廊下を駆けて行った。
「あら、今日は早かったのね」
「ああ。これからはいつも、これくらいの時間に帰ってくるよ」
「そう。それは良かった」
「いいわけないだろ」
キッチンから漂う煮物の香りと、鍋のぐつぐつ煮える音を聞きながら、僕は静かに憤る。
「マナには私立の小学校に行ってほしいんだよ。私立の方が面倒見はいいだろうし、いじめの件数だって公立に比べれば少ないはずだ。そのためにはもっとお金が必要なんだよ。もっと働かないといけないんだ。お前だってそうだろ」
僕はそうさとすが、
「いいえ。マナは公立でもやっていける。それよりもあなたが家にいてくれることの方が嬉しいに決まってるわよ」
いいや、そんなはずがない。
僕も熱くなって反駁を加えた。
「公立学校を否定するつもりはないが、私立なら大学までエスカレーター式で進級できるところもあるし、マナには受験勉強で苦労してほしくないんだよ」
廊下で論争を繰り広げていると、ダイニングキッチンへと通じるドアが小さく開いた。そこには装飾用の鈴を手にして立ち尽くす幼女の姿があった。「パパとママ。マナのせいでケンカしてるの?」彼女は今にも泣き出しそうな気配を見せた。
「いや、なんでもないんだ。パパといっしょにおもちゃの飾りつけをしよう」
僕と妻は一時休戦状態になって、ダイニングキッチンへと入った。
妻はキッチンで料理をして、僕はリビングで子どもの世話をした。
テレビはNHKの教育番組で短いアニメが放映されていた。
こんな時間に帰って来たのは本当に久しぶりのことだった。
外套をハンガーに掛けていると、娘がアニメのエンディング曲を歌っていた。僕はそんな娘を初めて見た気がした。
3.幸せってなんだろうか
クリスマスシーズンが近付くにつれて、僕の焦りは募る一方だった。
早朝の満員電車に揺られながら、妻が渡してくれたカタログを開く。
それはケーキ屋のカタログで、ディズニーのキャラクターがデザインされたデコレーションケーキに丸が付けられていた。値段の欄に目を移すと、「まあ、技術料や人件費を考えれば順当なのかな」と思われる数字が載っていた。決して安くはなかった。
それでも僕はすぐにネットで予約を入れた。
買わないわけにはいかない。娘には僕と同じ目に遭ってほしくない。
僕はバブル景気の崩壊と共に、この世界に産声を上げた。
僕の父親は建築業者の専務取締役で、母親は専業主婦をしていた。
父親の会社は、先祖代々に渡って踏襲されてきた会社だったが、父親はある日を境に会社を辞めた。それは祖父の経営権を巡って、伯父と揉めることになり、明るみに出ていなかった悪事の責任を取らされる形での辞職だったのだ。
噂によると、一級建築士の資格と一級技能士の資格を有する父親とは違って、その伯父は二級建築士の資格と一級技能士の資格を有していた。そのため、これでは父親に経営権が渡ってしまうと恐れて、伯父が濡れ衣を着せてきたのだとする説が濃厚だった。
優秀な資格を保有していた父親は、すぐに仕事を見付けたが、重要なポストに任命されるまでには長く時間がかかった。それでもバブル時代の羽振りの良さは健在で、支出が収入を上回り、ついには貯金にも手をつけて家系を圧迫し始めた。その度に、父親と母親はケンカを繰り返した。ケンカが終わると母親は涙で濡れた顔をさらして必ず僕を抱きしめた。「ごめんね、ごめんね」と繰り返して。それを見た父親は、ふんと鼻を鳴らしてベッドに横になるのだった。
僕は私立の保育園に入園するほどの恵まれた家柄だったが、小学校からは公立校になった。
正直なところ、私立も公立もあまり変わらなかったような思い出がある。
しかしこの出来事は、僕の中でトラウマになっていた。
子どもを私立の学校に入学させられるくらいの資金力がなければ、家庭がダメになってしまうのではないかという盲目的な不安があった。
だからなのだろう。
積極的に残業を引き受けて、休日出勤を当たり前にこなしていたのは。
家族の笑顔を忘れるほどに、働き詰めになっていたのは。
父親の愚行を反面教師にしていたはずが、それすらも反転して、僕も愚行を犯そうとしていた。
幸せってなんだろうか。
働いてお金を稼ぐことなんだろうか。
そう思うと視界がにじんだ。さらに記憶は霞んだ。
僕はこんな父親になりたかったのだろうか。
娘の笑顔すらも忘れてしまう父親に。
わからない。僕はなにもわからない。
娘のことがわからない。妻のことさえもわからない。
娘はなにがほしいんだろうか。
クリスマスプレゼントは何を渡せばいいだろうか。
僕は、どうしたいのだろうか。
わからない。僕はなにもわからない。
4.クリスマスプレゼント
「マナはクリスマスプレゼントは何がほしいんだ?」
休日になって、どたどたと走り回るマナに僕は聞いた。
彼女はオーブントースターから食パンを取り出して、テーブルに向って座った。
僕は目をこすりながら新聞を眺めて、ホットコーヒーを啜る。
「えへへー。秘密!」
そうテレビに目をくぎ付けにされながらも、娘は食パンをかじった。
テーブルにはイチゴジャムの瓶が置いてある。
妻は、「ふふっ」と笑った。
テレビコマーシャルではリカちゃん人形のハウスセットが紹介されていた。
僕は"変身ベルト"をほしがるものだと、自身の経験則から導き出していたが、どうやら当てははずれたらしい。まさかの変化球だった。鉄道のプラレールセットでもなく、戦隊ヒーローの可変式ロボットでもなかった。おもちゃ屋を巡って希望小売価格をチェックしていたのだがどうやら水の泡だったようだ。
でもここでリカちゃん人形だとリサーチできたのは大きかった。今度はこの人形について調べればいいのだ。
「サンタさんにお手紙を出しておかないと、マナのことを忘れちゃうかもしれないぞ」
僕は念のためにそう脅しをかける。
もしも希望の商品と違っていたら申し訳ないからだ。
「んー。サンタさんにも秘密!」
「おいおい、それだとサンタさんが困ってしまうだろ」
「えへへー。大丈夫だよ。昨日ママといっしょに、サンタさんにお手紙を書いてきたから」
「そうなのか。それは楽しみだな。マナが良い子にしていればきっとサンタさんも来てくれるぞ」
「うん、ありがとう。パパ!」
僕は娘の笑顔に照れ臭くなって、新聞で顔を隠した。
妻がまた「ふふっ」と笑っている。
「今日はね、あのね、近くの公園で遊んでくるから、今日はパパはおうちにいる?」
「うん、いるよ」
「そっか。よかった」
娘はそうはしゃぎながら身支度をしている。
いつの間に、こんなにも成長したのだろうか。
僕がちょっと目を離したすきに、娘はもう自分で行動ができるようになっていた。
「ちゃんとあったかい格好をするんだよ」
「うん、ありがとう。パパ!」
クローゼットの中身を物色しながら、娘は背中で返事をした。
僕はその背中に嬉しさと寂しさを覚えていた。
「じゃあ、行ってくるね」
僕と妻は玄関まで出て、手を振って見送った。
娘は小さなポーチを揺らしながら、公園まで走って行ってしまった。
そうしてから僕は改めて聞いた。
「なあ、君は知っているんだろ。マナはなにがほしいんだ?」
「ふふっ、それは秘密よ!」
「おいおい、それじゃあプレゼントの用意ができないじゃないか」
「父親でしょ。それくらい当ててみなさいよ」
妻は挑発するようにそう言った。
僕はうっと漏らしたが、すぐに返事をする。
それくらいわかっているさ。父親なんだから。
「リカちゃん人形のハウスセットだろ! CMでやってたやつ」
「ふふっ。答えはクリスマスになってからのお楽しみよ!」
「おいおい、だからそれじゃあ困るんだよ」
「父親でしょ。それくらい当ててみなさいよ」
しかし、妻は同じ言葉を繰り返すのだった。
5.メリークリスマス
僕はケーキ屋で予約していたデコレーションケーキと、おもちゃ屋で仕入れたリカちゃん人形のハウスセットを持って玄関の扉を開けた。家屋の全体は電飾で優雅な輝きを見せており、僕にとってはこれだけでも十分にクリスマスプレゼントだった。扉に吊るされたサンタクロースが聖夜を祝うように、「ジングルベール、ジングルベール」と歌っている。
ちょっと緊張する。
結局、妻も娘もクリスマスプレゼントに何がほしいかを教えてくれなかった。
見当違いだとは思えないけれど、外れていたらどうしようと考えてしまう。
「ただいまー」
ゆっくりとダイニングキッチンの扉を開ける。
そこには電気が点いておらず、部屋は真っ暗だった。
ただひとつ、クリスマスツリーだけが煌々と灯っている。
「おい、だれもいないのか?」
僕はスマートフォンを懐中電灯にして、電気のスイッチを探す。
手で探っていると、凹凸があった。
僕はそれをパチッと切り替えたが、ブレーカーが落ちているのか、電気は点かなかった。
「おいおい、マジかよ」
そう踵を返そうとしたときに、人の気配が現れて。
背中から、乾いた破裂音が鳴った。
パアン、と。それは鋭く響いた。
真っ暗な空間に火薬の赤い光が浮かび上がる。
硝煙の臭いが鼻をつく。
背中を撃たれたはずなのに、僕は胸を打たれていた。
その衝撃によって思わず尻もちをついてしまう。
心臓はいまだに早鐘を打っている。
ブレーカーが正常に戻されて、ダイニングキッチンにも電気が点いた。
「メリークリスマス!」
娘はそう言ってクラッカーをもう一発鳴らした。
パアン、と。それは鋭く鳴り響く。
「おいおい、ビックリしたぜ。逆サプライズだな」
僕はケーキとリカちゃん人形が無事なのを確認して、肩で息をする。
「パパ、おかえりー!」
マナがそう思いっきり抱き着いてくるのを受け止めきれずに、僕は廊下に転がった。
しばらく抱擁してから、
「お前がほしかったものを買って来たぞ!」
そうケーキとリカちゃん人形を見せる。
「ありがとう。パパ大好きー!」
娘はそう僕の頬にキスをしてきた。
僕は幸福の絶頂に包まれた。
そうか、幸せってこういうことだったのか。
「なあ、お前のほしかったクリスマスプレゼントをパパはしっかり買って来ただろう?」
妻はまた「ふふっ」と笑った。
どうやら違っていたらしい。
この妻の笑い方は、そういう笑い方だった。
娘が寝付いた頃に、僕はもう一度尋ねてみた。
「マナがほしがっていたクリスマスプレゼントってなんだ?」
「ふふっ。まだわからないの?」
僕と妻は、可愛らしいディズニーキャラクターの砂糖菓子に目を落としていた。
クリスマスケーキと、リカちゃん人形で合っているはずだよな。
「玄関の郵便受けに入っているはずよ。答えがね」
「ああ、わかった」
僕は厚手のスリッパを鳴らして廊下を走った。
すぐに答えが知りたい。早く。早く。
気持ちが焦り過ぎて、僕は靴を履き替えることもせずに、スリッパのまま外に出た。
サンタクロースが、「ジングルベール」を歌い出す。
郵便ポストのふたを開けると、ハガキが1枚だけ投函されていた。
僕は差出人の欄に目を通す。
そこにはマナの名前が書いてあった。
【サンタさんへ。クリスマスプレゼントは、パパが、ほしいです。】
僕はそっと寝室に引き返した。
サンタクロースはまだ陽気に歌い続けている。
娘はすやすやと眠っていた。
僕はそんなマナの頭を優しくなでた。
どうやら僕も聖夜の贈り物を受け取っていたようだ。
それは幸福という名のクリスマスプレゼントだった。
※私の描いたイラストは、活動報告で掲載しています!(*´ω`*)