クリーミーブロンドの縄
「失礼ですが、ノワール殿下はグレイのことを愛していらっしゃるんですか? もし愛していないなら、ノワール殿下にグレイは渡しません」
ヴィーシュはぎくりと足を止めた。
仕事の合間に気分転換でもしようと中庭に向かったはいいが、全く気分転換にならない事態に遭遇してしまった。いや、気分転換どころか首に縄を何重にも巻きつけられた気分だ。吐き気すらする。
――失礼などでは済まない「不敬」にあたる発言をした女性は、頭が悪いに違いない。今の発言がきっかけで戦争が始まったらどうしてくれる。例え戦争に負けなくとも国が心身ともに深手を負うのは避けられない。もしそうなってしまったら……いやそんなことよりあの女性を捕らえる方が先か。大事になるだろうか。
ヴィーシュは何とか柱の影に隠れ、ぐらぐらする頭を必死で動かす。
何故なら、女性が面と向かって意味の分からない発言を投げた相手が「ノワール殿下」だからだ。「ノワール殿下」とはノワール王太子妃殿下。しかも「両国の平和を望んで」隣国から嫁いできた女性。そんな彼女に喧嘩を売るということがどういうことなのか、少し考えれば分かることだ。
「ルーザ、でしたね。あなたは今の発言がどういう意味を持つのか、分かっているのですか?」
ノワールは微笑を消し、真剣な表情でルーザに告げた。
そもそもノワールは好き好んで嫁いだわけでもないし、夫となったグレイ王太子殿下とは顔を合わせて一月も経っていない。そんな状態で「グレイを愛している」と言ったところで誰が信じるというのか。
「――それはっ」
ルーザはその意味に気付いたのかどうか定かではないが、このままではまずい。
「義姉上」
「あら、ヴィーシュ様」
今来た風を装って話に割り込んだヴィーシュに、ルーザは肩を大きく震わせた。対照的にノワールは何でもないかのようにヴィーシュを受け入れる。
「俺のことはヴィーシュと。それより、妹が義姉上を探していましたよ」
「もうそんな時間ですのね。わざわざありがとうございます、ヴィーシュ様」
「ですから、俺のことはヴィーシュと呼んでください」
「そうでしたね、ヴィーシュ」
行きましょうと促すと素直に動くノワールは、ルーザにそれほど強い感情を抱いてないように見える。が、まだ油断はできない。ノワールの後に続く侍女はルーザを一瞥した。無表情ではあるが、彼女がルーザにいい感情を持っていないことは明らかだ。
ひとまず中庭から離れた場所まで移動し、適当な部屋に入る。客室となっている空き部屋の扉前――もちろん室内の――に侍女を立たせ、ヴィーシュはノワールをソファへと座らせる。自分もテーブルを挟んで対面のソファに座り、ノワールに謝罪した。
「先程の失言、申し訳ありません。教育が行き届いておらず、ご迷惑をおかけしました」
「……彼女の発言は不問とするつもりでした。ですが、ヴィーシュの謝罪は受け入れます」
「良いのですか?」
「そうですね……今回は、としましょう。次はどうなるか分かりませんよ?」
冗談めいた笑みを浮かべるノワールだが、謝罪を受け入れるということは本当に何も咎めないということだ――ノワールからは。
先程のやりとりが他の貴族に知られれば、ルーザはただでは済まない。ただでさえグレイとのことがあって妙な立場にいるというのに。
しかし、ノワールの問いかけでルーザが自分の問題発言に気付いた可能性が高い。そうなれば流石に『次』の行動を起こすのはまずいと考えるだろう。特に今回のことで咎めがなければ、『次』どうなるか分からない。
そう、ノワールの「今回は不問にする」発言は、ルーザにとって諸刃の剣だ。今回のことに甘え再び同じ様なことをすれば、今回の分の「咎」が一緒になってふりかかる。「一度慈悲で見逃してもらったにも関わらず、それを蹴って愚かな真似を繰り返すとは」と騒ぐ貴族たちが目に浮かぶ。それは当然だ。彼らは無意味に戦争を起こしたくないからだ。だからこそ、失言をしたルーザに必要以上に噛み付くだろう。
そしてそうなった場合、ノワールは自らの手を下さずしてルーザを排除できるだろう。
ヴィーシュは深緑を見つめた。
彼女は、一体どこまで想定して「不問」としたのだろうか。ルーザに発言の意味を考えさせ可能性を与えたことも布石なのか。いや、まず何故中庭でルーザと居たのか。侍女がいたとはいえ、庭師の見習いでしかもグレイと関係があるルーザと2人になる機会が、そうそうあるだろうか。
聡明な女性だとは思っていた。けれどもし、もしこれ以上のことまで計算して「不問」としたのなら、「聡明」などという生温い認識を改める必要がある。
兄・グレイは、彼女とうまくやっていけるのだろうか。
未だに首に縄を幾重にも巻きつけられたような感覚のヴィーシュは、王太子のくせに真っ直ぐな性根の兄を心配した。
数ヵ月後、ヴィーシュのそれは杞憂に終わった。腕を組んで歩く兄夫婦を見て胸を撫で下ろす。ようやく、首の縄が取れた気がした。
楽しそうに話す2人の仲睦ましい姿は徐々に見られるようになり、最近では頻繁に見かける。節度を守った距離でいながら仲の良さが分かる様子は、城内にいる人はもちろん、出入りする人々から国民へと伝わっていった。
やはり対照的なのはルーザだった。最初は悔しそうな顔でノワールを見ていた。しかし、何もしなかった。おそらく彼女は、ノワールの発言から自分の立場に気付いたんだろう。失言する前に気付けていれば、そんな歯痒い思いをしなくても済んだだろうに。
念の為ルーザを見張らせておいた部下からの報告によると、同僚たちが悔しそうにしているルーザを慰めていたが、彼女は聞く耳を持たず、最近では小さな声で何かを呟き続けたり、虚ろな目をしていることもあるそうだ。
彼女の同僚であるピアンタからの情報では、ルーザはこんな性格ではなかったらしい。本当に、植物が好きな少女だったそうだ。グレイと関わり始めてから少しずつ夢を見始めたのかもしれない。自分が、王太子と結婚する夢を。
そんなある日グレイの結婚が決まり、夢は壊れた。グレイは結婚が決まった日、ルーザに話した。結婚することになったことと、感謝の意を述べたらしい。らしいというのは、ピアンタが盗み聞きしていたからだ。彼は諜報役に向いていそうだ、是非とも部下に欲しい人材である。
それはさておき、ピアンタがルーザの様子に違和感を感じたのはグレイの結婚が決まった日から。それから何かがズレていき、自暴自棄へと走る。そして失言。
あの時の首の縄は、ヴィーシュではなくルーザの首を絞めつくしたのかもしれない。しかし、その縄をかけたのは他でもないルーザ自身だ。
寄り添う王太子夫妻を見てポロポロと涙を零すルーザ。
ノワールの「不問」の判断は、彼女を救ったのか、絞め殺したのか。それはヴィーシュには分からないし、興味もない。無益な争いの火種がルーザの首1つで治まるならどうでも良いとも思っているからだ。
ただ今は――貴族や王族の中では稀な性格の兄と、本性が分かりかねるが夫へ向ける柔らかい深緑に嘘偽りが一片も見えない義姉の姿を、見ていたいと思った。




