BTS炎上の本質は何か
これはあくまでも僕の考えであって、BTSのメンバーの方やファンの方、関係者の方を不快にさせるために書いているものではないということを予めご了承ください。
それでは本文に入らせていただきます。
先日、韓国の人気グループであるBTSのメンバーの一人が原爆Tシャツを来たということでMステの出演取り消しになった。このことに対し、韓国メディアは幼稚だとか、徴用工の判決の政治的措置ではないかなどの憶測を立てている。
恐らくはそれはあるのだろう。なぜならば、今回ばかりは日本という国を本気で怒らせたに等しいことをしているからだ。別に原告を非難するわけでもないし、したくもないが条約という概念そのものが崩れかねない事態が起こっているとみていいだろう。
話を戻そう。
今回の件での問題の本質はそこではないはずだ。原爆Tシャツを着たことがあるという事実が問題なのだ。確かに日本は敗戦国で韓国は被害国だ。だからといってその害を加えた日本の被害を軽はずみに一つのファッションとして扱ってはならない。それは死者に対する暴挙と言わざるを得ない。そこで大切な認識は戦争をしているのは国であって人民でないということだ。
軍人が非難されるのは致し方のない部分がある。勿論経緯は払わねばならないし、払わないというのならそれは愚かだ。
その一方で市民はどうなるのだろうか。その空襲や地上戦そして、原子爆弾によって亡くなった市民ことだ。
ある日を境にして過ごしていた日常が、未来への可能性が断ち切られたのだ。どれほど悔しかっただろうか。どれほど無念だっただろうか。それは想像もできないことだ。
そして、亡くなったということはその周りにも大きな影響を及ぼす。人は一人では生きていけないし、誰かしらと何かしらのつながりを持つ。それが顕著なのは親子であり兄弟だ。或いは子供な妻や夫、もしかしたら友人と答える人もいるかもしれない。
そんな人の悲しみを深く、言葉で表せない部分がなるのは言うまでもないだろう。
そのような感情は、どのような人にも当てはまるのだ。
だから、敗戦国、勝利国、被害国。この枠で考えてはいけないのだ。ことこのような問題に関しては。
もう一つ例を出そう。と言うのも、件のBTSはナチスのモノも身につけたことがあると言う報道があったからだ。
ここで考えるのは、国際問題がどうとかそのようなことではない。
もう殆ど存命の方はいらっしゃらないだろう。しかし、そのようなものを身につけた姿を収容所に入れらて生き延びた方や、それによって大切な人を奪われた方が見たらどのように思うだろう。まず間違いなく不快になったり怒りを覚えるだろう。
ここからもわかるように、人の持つ悲しみに際限はない。だからこそ平和は大切なのだ。だから、たとえ考証したとしても賛美してはならないのだ。人が人を殺し合うんこと程、多くの負の悲しみを与えるモノもないからだ。それは被害国(ここにおいては韓国を想像していただきたい)においても同様だ。自分たちが被害者だからといってその国で起きた惨劇を貶すことも軽く扱ってはならないのだ。そこには生きた人間の証が確かに存在しているからだ。それは我々にも言える。確かに相当な圧政を敷いたのも事実だ。しかし、事実は歪曲させてはならない。そのように都合の良いようにしてしまうと後世に教訓を残すものとしての歴史の役割が、国家の都合或いは権力者の都合によって全く意味をなさなくなるからだ。
歴史は事実をありのままに受け止めるべきなのだ。それが酷い歴史であろうと自分たちにとって屈辱的であろうとも正しく学ばねばならないのだ。それが歴史教育だ。
以上を踏まえるとBTSのメンバーの一人は大変不適切な行動であったことは疑いようのないことだと言える。
それは日韓問題の一つ慰安婦というものを軽はずみに扱えるかということと同義なのだから。
それと同じことをしてどうして騒ぎすぎと言えるのか。理解に苦しむばかりである。双方痛みがあるのだ。
それはどこも一緒でありだからこそ乗り越えていかねばならないのだ。
最初にも書きましたが、このエッセイはBTSの方やそのファンの方、関係者の方を傷つけるためのものではないかとご了承ください。僕なりに、今回の騒動の本質は何かということを自分が得られる限りの情報から考察した結果です。
最後に皆様はどのように考えておられるのじょうか。ご意見ください。